介護日記

 

 2005年2月16日 再論NHK

 私の教え子がNHKにいます。直接授業は教えなかったけれど、彼の方は私のことを覚えています。5年前、介護のことなどを勉強する手弁当のサークルで出会い、向こうから声をかけられました。「『プロジェクトX』に関わっているので、ぜひ見てください」とメールがきて、それへの返事です。


 A くん

 辛口のNHK批評を! 2000年9月12日

 『プロジェクトX』はきらいです。あれは演歌の世界です。中島みゆきの世界がきらいだという自我を持った人間がいることを、担当者は知っているんだろうか。かつて裕次郎が「黒部の太陽」でブームを起こした時代とは違います。高度成長そのものが問われているのです。高速道路も新幹線も原発も、宇宙開発も。

 私は自然科学徒の端くれだから、ああいうセンスで過去のプロジェクトが取り上げられるのは耐えられない。今夜久しぶりで見たけれど、やっぱり見るにたえない。いつか <物申す> に少し書いたように、宇宙開発事業団の存在そのものが「壮大な税金の無駄遣い」という見方もあるのです。

 Kアナも日曜美術館あたりは良かったけれど、「食卓の王様」ぐらいからつまらなくなった。アシスタントの女性Kアナがいちいち感心しているのも、見ていられない。感心ばかりしていないで、勉強して疑問点(を感じないのかも)をぶつけるのが、只のイエスウーマンでない存在証明でしょう。そしていちばん気に障るのは、「・・・だった」というあのナレーションのイヤラシサ! ナレーターは一体誰なんだろう?

 客観的に過去のプロジェクトを紹介する番組なら、きちんと反対の意見も紹介して、公平に(それが可能かどうかは知らないが)、無用な感情移入は避けるのが公器を預かる立場として必要な筈。感情移入は視聴者が勝手にやればいいので、公器のNHKがやるのは全くの筋違い。
 現場の、縁の下の力持ちの苦労を紹介するというのなら、零(ゼロ)戦や戦艦大和や、日本の原発開発のプロジェクトもやりますか? みんな現場は苦労しています。物事には「歴史の検証」という視点が必要なのです。

 商業主義にまみれたオリンピックを、「全部見せます」と臆面もなく連日のコマーシャル。膨大なカネを払って放送権を手に入れることを視聴者はNHKに頼んだのだろうか?
 長野オリンピックが残した惨憺たる負の遺産を長野県民は覚えているだろうから、今度の知事選はひょっとすると面白いことになるかも。八十二銀行の頭取がTBSの報道特集で、「声なき声を代表して欲しい」と田中康夫にエールを送っていました。

 BS1でABCやCNNのニュースを時々見るけれど、キャスター達(男も女も)が何と個性的で自分の意見を持ち、デレデレしていないかと痛感します。

 NHKはかつてはこうではなかった。ガキの声や子どもだましの正体不明のCGコマーシャルを流したりはしなかったし。

 まあ書き出すとキリがないので、これくらいで。「アーカイブ」は時々見ています。そして「やはり昔は質が高かった」と思っています。


 これが5年前の9月、私がNHK職員の教え子に書いたメールの要旨です。まだ下っ端の彼に書いてもどうしようもないけれど、無邪気に「ぜひ見てください」と彼が言ったその番組が私のNHK批判に火をつけました。
 その中で書いた長野オリンピックにあわせて、NHKはヒトラーが女性監督レニ・リーフェンシュタールに作らせた、ベルリンオリピックのナチス宣伝映画「民族の祭典」と「美の祭典」を放送しています。
物申す 2000.10.25

 NHKが今問題になっている「女性国際戦犯法廷」を取材した「ETV2001」の改変を自己規制というのなら、なぜナチス映画の放送にそれが働かなかったのかと、嫌みも言いたくなります。

 あれから5年、NHKが自浄作用で立ち直ったのなら私の「先見の明」を誇れるけれど、事態は5年の間に途方もなくひどくなっています。

 前号で、「民放が真似できない人とカネを使えば良い番組はできるでしょう」と書いたけれど、たとえば芸術祭参加作品のドラマで、NHKが作った『つま恋』はアルツハイマー病に対する理解が全くピントはずれのドラマで、見た人が何人もが「後味が悪い」という感想を寄せてきました。

 その時の大阪の教え子のナースからのメールです。

≪土曜のNHKのドラマ『つま恋』見ました≫
松坂慶子演じる主人公が、若年性アルツハイマーを告知される所から始まりました。やりきれない気持ちでした。
物申す 2001.12.27

 この年の同じ芸術祭参加作品で、民放のどこかが作った諏訪中央病院鎌田医師の著書 『がんばらない』 をドラマ化した作品は感動的でした。

 ドキュメンタリーも、中国放送だったか、磯野という女性ディレクターが毎年送り続けてきた、戦争の傷跡を追い続けた番組は、「ここに民放の地方局あり」と思わせるものでした。おそらくNHKが作る番組の数十分の一の予算だったのでしょう。

 お金と人を使えば、いい作品ができるわけではないという実例のひとつです。「小さな政府を!」と言われてずいぶんたちます。小泉改革の看板のひとつです。でもNHKは衛星放送受信料の収入も増えて、巨大化する一方です。そんなことを国民が求めていたのでしょうか。
 衛星放送はもともと地上波が届かない山間部や離島の視聴者に電波を届けるために始めたもの、という私の記憶は違いますか。電力会社は山間僻地の消費者に電気を送るのに、自前で電柱と電線をひいてきました。NHKはその難視聴地域の消費者に、衛星放送受信料を無料にしているのかなあ。
 それがハイビジョンにまでエスカレートして、今度は地上波のデジタル化だそうです。生活費だけで手一杯で(私もそうですが)、お金の無い人はどうするのでしょう。国民年金月6万なにがしで生活している人はざらにいます。
 更にNHKだけが「公共放送」の名のもとに、ひとりだけ幾つもの電波を独占して、24時間電波を垂れ流し続ける意味など全くないです。昼間と夜中など電波を休止すればいいし、それが余計なエネルギーを出さない「地球環境に優しい」というものでしょう。NHK札幌放送局が、平日の午後数時間にわたってやっている生活情報番組など、いったいどこの暇人が見ているのでしょう。和子がいたホームでも、食事と行事以外の時間は、ホールの大型テレビは大音量で点けっぱなしだったけれど、皆さんNHKは見ていませんでした。「テレビに老守をさせないで」と言いたかったけれど、和子はテレビから遠い部屋にしてもらっていたので、何とかしのげました。
 むかし、テレビによる「一億総白痴化」という言葉があったけれど、その第一の元凶はNHKだと私は思っていました。

 イギリスでの街頭インタビューを民放のニュースで見ました。「政府は嘘を言うから信用しないけれど、BBCは信用できます」という女性の言葉が印象的でした。NHKより国営放送に近く、受信料の不払いには罰則がある国で、この信用度はどうでしょう。歴代の報道の責任者が、政府の干渉にいかに熾烈に抵抗して放送の中立を保ってきたか、その歴史が視聴者に「信用できる」と言わわせているのです。
 書きたいことはいくらでもあるけれど、これくらいにします。

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