介護日記

 

 2005年3月20日

 冬の間外に出られないので、車椅子の和子と部屋で過ごす時間が多いのですが、彼女はこの頃ひたすら眠ります。「病気が進んだのでしょうね」と主治医も言います。でも寝たきりはいけないと思うので、夕食後しばらくは車椅子に居てもらいます。毎週リハビリに来てくれる理学療法士も、骨密度が減らないように、出来るだけ体を起こした方が良いと言います。若年性アルツハイマーの平均余命7年とか10年とか教科書に書かれているけれど、介護物と言われる本を読むと、みんな感染症で亡くなっています。フト不謹慎なことを考えました。寝ている患者を見つけた感染症の細菌が、「シメシメ、寝ているぞ」と仲間の細菌に話している4コマ漫画です。老年性より若年性の方が細菌にとって美味しいことはたしかでしょうから。
 目が見えなくなったり、もしかしたら痛覚も無くなってきたのではないかと思うし、たぶんアルツハイマーの随伴症状はどうしようもなく進んでいるのだろうけれど、毎月の血液検査でほとんど問題は出ていません。一緒に生活し始めてから、生活習慣病の気配はずっとありません。40年余り、毎日何を食べていたかが、たぶんこの期に及んで影響が大きいのだと思います。「病気」は進んでいるけれど、内科的には問題はない状態です。
 体の位置を変えたとき、眼振と言って一種のけいれん発作が起きることがあるけれど、薬で抑えています。長い教師生活で、教え子に てんかん の病気を持っている生徒が何人もいました。脳のどこかに障害があるらしく、それでも良い薬が出て、飲み続ければ全く普通の生活ができます。和子の眼振もそうなのでしょう。その脳の同じ部位が犯されてきたのでしょう。

 きのう和子の薬をもらいに、地下鉄で隣の駅の出口にある調剤薬局に行きました。早朝に雪が降り、車道は融けていたけれど、歩道はまだ雪がどっさり残り、風が強く肌を刺す寒さでした。「春は名のみの 風の寒さや」と歌いながら、 毎日和子と手をつないで歩いていたのを思い出します。デイサービスやショートステイを利用する前のことだから、もう10年近く前ですが、あの長く続いた混乱期の、和子の辛さを忘れません。
 そして今日は4月下旬の陽気です。地球の循環系がすっかり狂ってしまっています。それでも桜前線の予測マップは発表されているから、春は近づいているのでしょう。

 北海道立近代美術館で、特別展『ヴィクトル・ユゴーとロマン派展』が開かれました。歩ける距離だけど雪道は無理なので、車椅子を車に積み込んで、知人をさそって出かけました。最後の週だったからか、ずいぶん混んでいて、ユゴーの原稿などの国宝3点の前は人だかりで、とても近づけませんでした。
 和子の目が明暗以外ほとんど見えないらしいことは知っていたのですが、冬になって何ヶ月も外に連れ出していないし、外の空気に当たるだけでもと思って出かけました。
 和子が早熟だった文学少女時代、『レ・ミゼラブル』のことで傷ついたことは前に書きました(『介護日記』2002.11.15)。ユゴーへの思い入れが深かった彼女だったから、見えなくても「ユゴーの展覧会だよ」と心に語りかけながら会場を歩きました。ユゴーの原稿や著作・書簡、そして彼が描いた油彩も展示してありました。ユゴーが生きた同時代のロマン派の絵がたくさん展示してありました。ドラクロアやラトゥールを初めとして、名前を知らない画家も多かったけれど、ロマン派の時代が、文字どおり豊穣な時代だったことがわかる絵ばかりでした。

 20数年前、札幌にミュージカルの『レ・ミゼラブル』が来たことあります。駅前の仮設大劇場だったけれど、コゼットの恋人マリウスを野口五郎が、エポニーヌを島田歌穂が熱唱していたのを覚えています。アンドリュー・ロイド・ウェバーの曲も感動的でした。
 10年も後に、93年のニューヨーク旅行のとき、ロングランを続けていたブロードウエイ・ミュージカル『レ・ミゼラブル』を見ました。教え子のJALのパイロッ トが劇場の窓口に連れて行ってくれてチケットを買いました。たしか3000円ぐらいで、札幌公演の半値でした。定員数百人の中劇場で、舞台が間近に見える席で、本場の舞台に圧倒されました。舞台の中央に立つやぐらのようなものが2月革命のバリケードで、それを中心にしてバリケードが回転する舞台で、全47曲もの歌が歌われました。

 この旅は和子が「中期症状」と医師から宣告されたちょうど1年後でしたが、和子は私の隣の席で感動に包まれていたようでした。「中期症状」と言われたこの時期は、まだ彼女の記憶に、札幌で見た舞台や幼い頃読んだ本の記憶が残っていて、普通の観客としてこのミュージカルの舞台に引き込まれていました。
 翌日見た『オペラ座の怪人』は前から2列目の席で、本も読んでなかったし、ストーリーも知らなかった筈なのに、帰国して訪ねてきたお客さんに、「シャンデリアが天井から落ちてきたのよ」と話したりしたものでした。

 「愛するとは行動すること」という信条を貫いたユゴーは、ナポレオン3世の追求を逃れて、18年ものイギリスへの亡命に耐え、その間にこの大作をパリとブリュッセルで刊行しました。
 ジャン・バルジャンの愛が、呪いに一生を捧げたかのようなジャベール警視を最後に改心させ、孤児コゼットと彼女を愛した青年マリウスの物語が、二月革命を舞台に、壮大に描かれたこの作品を読んだ高校時代の感激を忘れません。

 2月16日、京都議定書が発効しました。1997年、日本が議長国になって京都で採択されてから6年余り、アメリカのブッシュ政権が離脱し、そのあと関係国の長い努力の末、去年の11月4日、ロシアが批准しました。55ヶ国以上の締結、1990年における先進国のCO2排出量の55%を占める先進国の締結という2条件をクリアし、その90日後の2月16日に国際法として発効したのです。
 政府も今度は少しはやる気のようだけれど、議長国日本の最大の同盟国で、世界最大の温室効果ガス発生国アメリカは、地球の将来像をどう考えているのでしょうか。
 地球温暖化はもう10年20年のスパンで影響が出てくると言われています。南極・北極地域の氷が融け、地球の平均海面が上昇し・・・怖ろしいシミュレーションが描かれています。ライス氏は、牛肉より、この問題をどうするのか、解決策を持って来日するべきでした。

 気になるのは、二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーとして原子力を、中でも世界中の国が撤退した高速増殖炉の計画を日本があきらめていないことです。
 ヴェトナムが電力不足に備えて原発2基を作る計画をしているというニュースも気になります。原子力が未だ人類には制御可能なエネルギー源でないことは、次々と起きるトラブルを見れば明らかです。事故が起きた時の被害は予測できません。3世代あとの放射線被害など予測できるわけはないでしょう。
 そして廃棄物や廃炉の処理費用が途方もない金額になること、「トイレなきマンション」と数十年前に言われながら今まで突っ走ってきた、その廃炉の時期が目前に迫っていることがあります。ヨーロッパの脱原発先進国は、太陽熱や風力発電で、国の未来に展望を見いだそうとしています。どんなに困難があっても、他に道はないと私は思います。

 卒業式のシーズン、君が代を強制的に歌わせたり、起立しなかった教師を処分したり、この国ではいま、戦時中の強権政治の時代を思い起こさせる事態が進行しています。この問題は4月の入学式まであとをひきそうです。

 4月10日は東京大空襲60周年、そして今日4月20日は地下鉄サリン事件10周年、そして2年前の今日は米英軍がイラクに侵攻を開始した日です。

 いろいろ書きたいことは山ほどあるけれど、次回にします。

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