介護日記

 

 2005年2月9日

 今年初めての『介護日記』です。

 毎日雪が降って、それがほとんど融けないので、和子を車椅子で連れ出すのは不可能です。せめて歩道の雪が融けていれば、いっぱい着せて、少し外の空気を吸いに出かけたいのですが。車椅子用のスタッドレスタイヤはどうして無いのだろう、などと思ったりします。前の補助輪は360度回転するので、今の構造のままでは無理でしょうが。でも、ロボットが歩き回る時代に、冬道用の車椅子があっても不思議ではないと思うのですが。介助者が居ても無理なのですから、自分で車椅子を漕いで外出していた人は、冬の数ヶ月は全く外出不能です。
 それでも、そろそろ2月の半ばです。札幌の降雪量と積雪量は例年の5割増しだそうですが、3月に入れば雪解けが始まります。暖かいマンションの中での冬ごもりもあと僅かです。和子も私も風邪もひかず、春の到来を待つ毎日です。

 和子は今は月〜火は、同じ建物の1階下のデイサービスを利用しています。食事・入浴・おやつの時間以外は、利用者の方たちは、それぞれ症状に応じて、スタッフが用意したゲームや、ちょっとした作業をやっています。専従の作業療法士(OT)もいます。でも和子はそれに加われません。
 表情はあるし、体を動かされた時などは、はっきり嫌な顔もします。こちらの呼びかけにもある程度は反応するし、音楽にははっきり反応します。そんなこともあってか、今年になって、和子はデイルームの奥にある元・事務室のいっかくにベッドを置いて、ラジカセでモーツアルトを聴きながら過ごしています。院長もクラシック派で自分でピアノを弾きます。そんなこともあって、和子は結果的に特別待遇状態です。その院長が私の歌にピアノ伴奏をしてくれて、週2回ほど昼休みに10分間、シューベルトの「冬の旅」第11曲「春の夢」の練習をしています。途中で急に速くなる部分があり、さびついたドイツ語の舌が回らないので苦労しています。学生時代より音域は拡がったし暗譜もできるのですが、使わなかったドイツ語は、すっかりさびつきました。でも和子が「そこ違うよ」と思わないように、がんばっています。

 この前の日曜日のN響アワーは、阪神・淡路大震災10周年の現地コンサートでした。ウラディーミル・アシュケナージ指揮の、モーツアルトの『レクイエム=死者のためのミサ曲』は感動的でした。アシュケナージは演奏の後、犠牲者たちに追悼の言葉を述べ、アンコールでやはりモーツアルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』を演奏して終わりました。
 「あれから10年」、和子の病気がわかってからの12年余りは、日本や世界で起きた事件や戦争が、その時々の和子の病気の進行と分かちがたく結びついています。いろいろあったけれど、和子は元気で生き得ています。気負ってはいないけれど、教え子が書いてきた、「“先例”あるいは“生きた見本”」という言葉を考え続けています。

 N響アワーは日曜日の夜、和子と一緒に欠かさず見ています。「欠かさず」などと私が書ける数少ない番組の一つです。でもそんな番組は、本当に少なくなりました。NHKは途方もなく体質がくだらなくなってきたけれど、NHKの体質とは別に音楽が持つ力があるからでしょう。

 4年前の暮れ、東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」を年が明けてからNHKが、『ETV2001シリーズ「戦争をどう裁くか」』で4夜連続して放送しました。私の記憶と、いま明らかにされてきた証言が私の中で混じっているのかも知れないけれど、その第2回「問われる戦時性暴力」が、通常のETV45分枠なのに40分で終わってしまった異様さは忘れられません。どこかから圧力がかかったのか、自己規制がにわかに働いたのか、5分間の差し替え(穴埋め)をする余裕すら無く放送してしまった珍しい事件でした。
 シリーズの放送終了後、マスコミでずいぶん話題になったし、後にこの法廷で証言した米山リサ・カリフォルニア大学準教授が、BRO(放送と人権等権利に関する委員会機構)に提訴したことから、全容が明るみに出てきました。

 紅白の番組プロデューサーの数千万円着服が明らかになったことなどについて、前会長が国会の参考人招致の内容が、NHKの恣意的な扱いで通常の国会中継のように生放送でやらなかったことから、今度の騒ぎが始まったのだと思います。日頃「公共放送NHK」とうるさいくらいコマーシャルで流しているNHKが、看板の「公共放送」の馬脚を表したとしかしか思えない、語るに落ちた事件でした。そこには公共の電波を預かっている責任感などどこにも見えません。
 年が明けて会長がやっと辞任し、新しい会長が前会長を顧問に委嘱したのも、その鈍感さにあきれるけれど、顧問の手当を記者団に聞かれて、「プライヴァシーなので」と答えたのも救いがたい鈍感さでした。記者団がその席で追求しなかったのも不思議だけれど、いまどき公務員であれ第3セクターであれ、こんな発言をしたらただですまないでしょう。情報公開ですぐにわかることだし。要するにほとんど顔を出す義務もない顧問に、年間数百万の手当を払うということで、これも抗議殺到で就任依頼を取り下げ、顧問制度を廃止するようです。
 5日(土曜日)に東大の教室を使った、この問題に対する集会で、東大のD教授が、「受信料はあくまで支払うのが基本。不払いの運動は改善されるまでのもの」と発言したと新聞報道にあったけれど、「そうかなあ?」と私は思います。視聴者からの受信料を湯水のように使って、民放の後追いとしか思えないバラエティ番組や、生活情報番組と称して真っ昼間何時間も延々と電波を垂れ流しているのが「公共放送」のあり方なのか、と疑問に思わざるを得ません。
 「NHKスペシャルなど優れた番組のためにNHKは必要」と語る人もいるけれど、民放が真似できない人とカネを使えば良い番組はできるでしょう。何か事件が起きると、その取材に投入されるNHKのスタッフは民放の10倍だと、よく言われることです。
 日曜日の夜放送されるNHKアーカイブズをたまに見てつくづく思うけれど、昔のNHKの番組は、静かで心にしみる番組が多かったなあ、ということです。今は高校講座にまで、日本語の発音が変なキャピキャピお姉さんを使って大学の先生の相手をさせたり、「放送文化研究所」の人たちは気にならないのかなあと思います。

 いろいろ書きたいことがあるけれど、長くなるので次回に。

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