介護日記

 

 2004年12月31日

 北海道は、すっぽり寒気に包まれたまま年を越します。

 東北旅行から帰って1週間後、和子は予定していた検査入院をしました。腹部CTも撮って、先ずは問題はなさそうです。その間に私の方は、山岳部顧問OBの、例年の山麓会に参加しました。去年は10月15日、十勝三段山の新雪登山でしたが、今年はニセコのイワオヌプリの新雪登山になりました。
 在宅介護をしているので、こんな時しか山に行く機会が無く、「年に1度の低山歩きで体力維持をしている」などとうそぶいています。
 和子は月曜日から金曜日まで同じマンションの2階のデイサービスに行くので、その間に私の通院やら用足しに、敬老パスなるものを使って地下鉄で出かけます。そんな時は、エスカレーターは使わず階段を駆け上がるようにしています。

 11月半ば、去年合唱で参加した手稲の教会から、今年もメサイアをやるので参加してほしいと誘いがありました。教会員たちは毎日曜日の午後と月曜日の夜の練習日程が組まれているのですが、和子を連れて冬道を夜出かけるのはたいへんなので、去年と同じように、「日曜日の午後だけ」というわがままを許してもらって、1ヶ月余り毎日曜日の午後通いました。オーケストラの人数も去年より少なく、合唱も全部で20人ほど、バスのパートは私を入れても3人なので責任もあり、1回だけ嵐の日を除いて数回通いました。
 毎回、練習会場の後で和子を見ていてくださる方を頼んでもらって、痰がからんだら私が呼ばれて、部屋の外のロビーで痰の吸引をしました。

 本番は24日の夜、クリスマスイヴで、メサイア演奏にふさわしい日でした。ゲネプロから本番まで、その日は私が痰の吸引をすることができないので、教会員のナースを頼んでもらいました。本番の前に短時間夕食の時間があるのですが、去年は和子は液体のカロリーメイトでした。今年の春先、斜里旅行の前に、操作や後始末がとても簡単なミキサーを手に入れたので、家で作って持っていったサンドイッチをミキサーにかけて、ナースに胃瘻から入れてもらいました。
 去年もやってくれたナースで、私が声出しが終わって和子のそばに戻ったとき、「和子さん、顔色も良いし表情もあって、去年よりずっと良くなっているように見えます」と言われました。でも病気は進んで、明暗以外は目もすっかり見えなくなっていることを話しました。でも顔色がいいとずいぶん言われます。たぶん、胃瘻から入れる食事を、私と同じものにしたせいです。

 去年のメサイアは、第1部全曲にハレルヤコーラスを加えたものでしたが、今年はずっと短縮版で合唱も4曲だけでした。でも小編成のオーケストラも合唱も、いいアンサンブルで、合唱の練習指揮の方が、「本番がいちばん良かったですね」と言われたし、歌っていても充実感がありました。
 終わったあとのティーパーティーで、付き添ってくださったナースが、「和子さん、口を動かして、歌っているようでしたよ」と言われました。東北旅行で母校を訪ねた時、地元紙の河北新報が、「後輩の賛美歌、奇跡を起こす」と書き、帰ってから放送された北海道放送のニュース特集で、後輩たちが、「私たちが歌っているときに、一緒に口を動かされて、歌ってくださっているのがわかって・・」と、インタビューに答えていました。この放送で和子が口を動かしていたのは、星野富弘の詩に、宮城学院の先生が曲をつけた美しい合唱曲でしたが、和子はもちろん初めて聴く曲です。そしてメサイアは、和子は学生時代にソロを歌っていたようだし、私たちが結婚してからも札幌の合唱団で何度も歌っていた曲です。
 大脳皮質で言語野と言われる部分は、和子は何年も前に駄目になりました。私がビデオカメラで撮った彼女が歌う声は、98年の11月が最後です。もう6年も前です。でもメロディーを蓄えておく部分は別のところらしく、今の脳科学でも解明できてない部分です。その手稲の教会の信者で、当日ヴィオラを弾いた教え子は、「和子さんは本当に音楽が最後の窓を開けているのですね」と書いてきました。

 家ではクラシックのCDをかけっぱなしです。和子にわからないから、テレビはほとんどつけません。この頃はバッハ全集の教会カンタータをずっとかけているのですが、その中で歌手が歌う場面でも、口を動かしたりはしません。たぶん彼女が反応するのはライヴなのでしょう。そんなこともあって、私はいまシューベルトの歌曲を練習しています。

 去年の暮れ、京都の三兄が亡くなりました。年が明けて間もなく、岐阜の四兄の夫人が亡くなりました。そして続いて横浜の長兄が亡くなりました。
 来年(2005年)は、長く続いた大戦(十五年戦争)が終わって60周年です。うちのきょうだいたちは奇跡的に戦争で命を失うことは無かったけれど、戦地も銃後もない、あの苛烈だった時代を生き抜いて60年です。新しい事の記銘力は年齢相応の落ち方をしているけれど、60年前のことは不思議と忘れません。 そして私たちが生きてきた戦後60年の果て、日本はとんでもない所にきてしまった、という思いを強くします。

 26日の朝日新聞「風考計」というコラムに、若宮という論説主幹が、【自衛隊の年 「まさか」が気になる様変わり】というタイトルで、自民党の憲法改正案起草委員長・中谷元氏に頼まれて、現役の陸自幹部が憲法改正の草案を作ったという事件と、「それにつけても、あきれた事件がもうひとつ」と、立川市の防衛庁官舎のビラ入れ事件にふれ、「東京地裁八王子支部が3人を無罪にして、警察の行きすぎた取り締まりを戒めたのはのは朗報」と書いいます。でも24日に東京地検は控訴を決めています。

 この1年、世界や日本で起きていることに、触れる余裕がないままできました。夜中に痰の吸引で起きるので、デイサービスに行っている間に、短時間眠ります。読書も含めて他のことは何もできなくなったけれど、昼間眠って体力を回復しているので、恵まれた条件というべきでしょう。

 どうか皆さん、よい年をお迎えください。

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