介護日記

 

 2005年11月18日

 和子はここ何回かひどい下痢をしています。私と同じものを食べているのだし、一過性で終わってしまいますが、大洪水みたいになるので、一日中洗濯をしている休日が何回かありました。体は汗をかくほど暖かいのに足先だけ冷たいとか、「和子さんは体温調節能力が無いから」とナースに言われたり、風邪を引いたら命取りになるかも知れないと、気をつけています。
 作夜も私が寝る午前0時過ぎに洪水が起き、体を拭いてやり、衣類を着替えさせ、シーツから全部、洗濯物の始末に夜中までかかりました。落ちなくなるので、これだけは翌日回しにはできないのです。

 インターネットで「自律神経」という言葉を検索してみました。交感神経と副交感神経の関わりを久しぶりに復習しました。かつて同じ物理の同僚で自律神経失調症の人がいました。原因はわからず、休職と復職を繰り返していたように記憶しています。
 視覚を失い、痛覚や痒覚を失い、寝かせたりしたとき手を骨折したりしないように気をつけるようになっています。昔のように「痛いでしょう!」と怒ってくれないのですから。それで先の入院中に骨密度のA判定が出てホッとしたことを先の「病床日記」に書きました。でも、自律神経の機能も侵されてきたとしたら・・・ と考えてしまいます。

 この先、彼女の病気がどんなふうに進行するのか、全く予想ができないのですが、先日の血液検査の結果も、幸いに内科的(?)には全く問題が無く、顔色もいいし、病気には見えません。内科的と神経科的とを、どこで区別するのかわからないけれど、今後も起きてくることに対処するしかないでしょう。

 パルス・オキシメーターという測定器を買いました。高価だったけれど、ここの院長から「もう必需品ですね」と言われました。 パルス(脈拍)と、血液中の酸素飽和度を測るのです。この酸素飽和度の値が90を切ると、痰が喉にからみ気管を塞ぐおそれがあるのです。80を切ると呼吸ができなくなるサインです。
 先の入院中、ナースが居る時だったようですが、呼吸が止まり、蘇生術を施して回復し、以後このメーターに心電図のコードが付いている端末を常時指に挟んでいました。無線で詰め所のモニターで常時監視できるのです。異常が起きると詰め所のアラームが鳴るのだそうです。私が行って、車椅子散歩をするときだけ外して、詰め所に告げて3時間ほどの院内散歩をしていました。

 和子の胃瘻部分の脇漏れ(チューブと皮膚の間から)がこの頃多く、胃カメラで胃袋の十二指腸に近い部分に胃瘻の先端部が入っていることがはっきりしました。女医のMも和子の胃の中を子細に見るのは3年振りなのです。その部分は胃と十二指腸の中間の小さい部屋みたいになっていて、Mがファイバースコープの先端部分の先で引っかけて胃の方に向かせても、胃の自然の蠕動ですぐ十二指腸の方を向いてしまうのです。そのモニターを私は和子の手を握りながらライヴで見ていました。

 帰宅してからデイサービスのナースと相談して、結局一度に普通量の食事を入れるのが脇漏れの原因という結論になり、昼食のご飯の量を半分にしてもらい、デイサービスから3時に届くおやつにパン一切れ(40グラムぐらい)を一緒に入れて、一日4食という形にしました。小昼(こびる)ならぬ小夕を夕方6時頃入れます。それが消化するのにしばらくかかるので、和子の夕食は9時頃、片づけが終わるのは10時過ぎ、一休みして私の夕食は11時頃です。

 だいたい一汁四菜ぐらいは作るので、一品ごとにミキサーにかけ、裏ごししてとろみの足りないのはコンスターチを入れて温めてとろみをつけ、また人肌ぐらいまでさまします。コンスターチはトウモロコシ澱粉だけど、ジャガイモ澱粉と違って60度ぐらいに温めると粘度が出て、そのあとは冷えても粘度は変わらないのです。「とろみ粉」は各メーカーが製品として出しているけれど、増粘多糖類など怪しげな添加物が入っていて、おまけに値段が高いのです。葉菜類は裏ごしにかけると繊維質はほとんど通らないので、網の目を通るのはエキスの汁だけで、とろみを付けないと脇漏れしてしまいます。料理毎に粉砕しきれるものと、裏ごしで残るものと違うので、時間がかかります。そんなわけで、用意し始めてから和子の食事注入が終わるまで、毎晩2時間はかかります。一日40時間あればいいと思う毎日です。

 和子は、ここしばらく下半身の何ヶ所に褥創ができ、なかなか良くならないので、皮膚科の往診医とも相談しながら、ベッドに敷くエアマットを入れ替えたりしながら対応しています。介護保険指定の商品なら、いつでも入れ替えができるのです。和子にとっては褥創の悪化は感染症の原因にもなり命にも関わることなので、とてもありがたい制度なのですが、これが全部保険料を払っている40歳以上の人達(もちろんわれわれ夫婦も払っていますが)と税金の負担の上で成り立っている生活であることを忘れてはいません。

 そんな中で和子は無事69歳の誕生日を迎えました。まずは60代最後の1年を無事に過ごせるように願うばかりです。思い当たる彼女の病歴は85年頃からだから、ちょうど20年です。彼女はまだ40代の最後だったから、典型的な若年性でした。気付かなかったのも迂闊だったけれど、20年前は、この病気は今ほどメジャーではなかったのです。

 さて、10月24日のアサヒコム(朝日新聞のインターネット版)道内版に、 『大捜索、地元も驚いた/自衛隊員遭難』『 延べ388人、ヘリ44機、車両51台を投入』という見出しの記事が載りました。「大雪山系旭岳(2290メートル)で、陸上自衛隊の陸曹長(42)が遭難し、「8日ぶりに救助された事件の捜索には、北海道警と陸自第2師団(旭川市)に加え、陸曹長が所属する陸自第5旅団(帯広市)が駆けつけた。自衛隊だけで、延べ388人を投入、ヘリ44機、車両51台という地元も驚くほどの異例の大捜索となった」という記事です。

 人命の重さに軽重はないし、無事救出されたことは良かったけれど、同じ頃起きたパキスタンの大地震(死者推定7万人以上)に、日本の自衛隊が救援のために投入したヘリは、大型輸送機で2度にわたって運んだ6機だけです。自衛隊の保有ヘリの機数が何機か知らないし、型もいろいろあるのだろうけれど、何かやはり変です。道路も寸断されて、ヘリによる空輸以外救援の方法がないパキスタンの山間部に、ロシアを除いてアメリカに次いで世界第2位という軍備を持っている自衛隊が、もっとやれることはあるはずだと、首をかしげたくなります。

 パキスタン地震の発生は10月8日朝でした。マグニチュード7.6、死者は当初1700人と報じられたのが、11月初めになって推定7万人以上になりました。孤立した山間部は厳寒期が近づき、降雪が間近で、住む家も食料も、そしてもちろん医療も届かない現地の状況が、NPOやマスコミの特派員のニュースで伝えられています。アナン国連事務総長が世界に訴えた拠金も目標の数分の一とかです。
 日本の自衛隊は当初大型輸送機2機で物資輸送用ヘリを6機運んで救援物資の輸送などに当たっていると報じられたけれど、その後のニュースは知りません。アメリカに次ぐ世界第2の軍事力と言われている日本の自衛隊が、物資輸送用ヘリを6機しか当てられない筈はないのになあと、その時思ったのです。
 昨日のニュースでは、イスラマバード空港にうず高く積み上げられた救援物資が、ヘリの不足で飢えの迫っている山間部に運べないという現地NPOが訴えています。自衛隊が輸送用ヘリを何機持っているのか知らないけれど、総動員すればいいと私は思います。このままでは凍死と餓死する人がたくさん出るでしょう。
 10日付け夕刊は「被災山岳地帯に日本の物資、陸自ヘリで続々」と報じているけれど、陸上自衛隊がパキスタン北西辺境の人口20万のアライに、1ヶ月で運んだのは毛布1万5千枚、テント1万張りに対して、不足分は毛布6万5千枚、テント1万張りだといいます。ヒマラヤに続く4000メートル級のこの地は、12月に入ると氷点下15度にもなると場所もあるといいいます。今までのペースでは冬が来るのに間に合わなくなるのは確かです。日本政府と自衛隊は何をやっているのだろうと腹立たしくなります。

 戦中派の私は飢えの怖ろしさの実感を持っています。野坂昭如の『火垂の墓』は妹を栄養失調で死なせた彼の実体験が元になったフィクションだけど、あの本は何度読んでも身が震える思いがします。60年前の当時のことを思い出すと、他人事とは思えないからです。

 「“戦力不保持守れ” ノーベル賞・小柴氏ら7人がアピール」
 これは11月13日の新聞の見出しです。故湯川秀樹博士らの呼びかけで結成され、反核非戦の声明や提言を発表してきた「世界平和アピール7人委員会」が創立50周年記念講演会を東京で開きました。亡くなった方もいて人の入れ替わりはあるけれど、写真家の大石芳野、作家の井上ひさしなども加わり、「核兵器の完全撤廃のすみやかな実現」「日本国憲法の理念と原則を守り、いかしていくこと」などをアピールに盛り込みました。

 米軍はアメリカ西海岸にある第一軍司令部を神奈川の座間基地に移転し、日米両軍の一体化計画が現実化してきています。沖縄の地元負担は変わらず、横須賀に08年原子力空母配備も決まりました。80年に原子力安全委員会が定めた「EPZ:緊急時計画区域」の10キロメートル圏に、横浜市を含めて77万人が居住するといいます。今まで前例の無かった、「大都会の真ん中に巨大原発」です。EPZ内の人口が最も多い東海第2発電所でも25万弱です。しかも国内の原発と違い、米軍空母の原発の中身は機密のヴェールの中です。
 ブッシュの訪日で、マスコミは「国民の支持率60%の小泉首相と、不支持率60%のブッシュ大統領が会談」と報じています。

 (注記:たった今のテレビのニュースです。パキスタンに派遣されている自衛隊のヘリが撤収を開始し始めたそうです。さすがに「任務を終えて」とは言わなかったけれど)


 追記:私のホームページのトップページのメニューに、『北海道でとりくんだこと』というページがあります。これは92年春、私たちが東京に転居した春にできあがった100ページほどの私家版の小冊子を、管理人がテキスト化してくれたものです。内容の目次が全部載っていますが、最初のテキスト化は元々の言い出しっぺだった、西高図書局OBのYがやってくれて、『地球があぶない ― 高校理科で地球と人類の未来を考える ― 』というレポートでした。
 その後更新は途絶えていたのですが、現管理人がテキスト化を手がけてくれて、先頃10月27日付けで、『生徒とともに「平和と生き方」を問う』が更新されました。
 先日、Yからも新しいテキスト化の原稿が送られてきて、二人の教え子の尽力で、順次更新されていく予定です。
 この小冊子の序文に書きましたが(ホームページ上にあります)、元西高で同僚だった奈良部健一さんのお陰でできあがった小冊子です。校正が始まる頃、和子の病気の症状が出始め、とても校正をする余裕が無くなっていたのです。私と同年だった奈良部さんは退職後しばらくして亡くなり、たぶん没後10年ぐらいになります。250冊ぐらいしか作らなかったこの小冊子が、彼の没後10年にして、こんな形でたくさんの方たちの目にふれることになったことに、感無量の思いがあります。お元気でいらっしゃる奥様に今度ご報告に上がろうと思っています。

介護日記目次   戻る   ホーム   進む