介護日記

 

 2002年9月23日

 秋晴れの午後、和子をダム湖に連れて行きました。
 この頃は車椅子を載せないで行くことも多いのです。風もなくおだやかな日で、助手席を回転して和子を立たせようとしたとき、若い女の方が近寄ってきて、「あの、和子さんですね」と言われました。「そうです」と私が答えると、「ご本読みました。帯広の老人ホームに勤めています。本の中のダム湖の描写を思いだしていたら、さっき車が着いて・・ああ、和子さんだ、と思いました」と。助手席が90度回転する仕掛けの車は、そんなに見かけないし、あの本には和子の写真がたくさん載っているからわかったのでしょう。本が出てから、思いがけない出会いを重ねています。

 素敵な秋晴れに恵まれた3連休前日の20日、北海道の中央部の美瑛町から、町主催の家族介護教室の講師に招かれました。私の話のあとの懇談会も含めて3時間の予定ということで、折角だから元気な和子を皆さんに紹介したいと思って、斜里行きの時のサポーター2人にお願いして、車に和子を乗せて出かけました。話の導入に斜里行きの全行程を追ったHBCの特集のビデオを上映してから話をする予定だったのですが、私の方の手違いでビデオは上映できませんでした。でも、50名弱の在宅介護に関わっている方に、和子の発病以来の私たちの闘病記を2時間余りお話しして、そのあと懇談をしました。この病気になると、本人はもちろん家族の方も、周囲の無理解と偏見にさらされて生きていかなければならない状況が垣間見えました。
 閉会の時刻が迫った最後に、私はやや説明不足ではあったけれど、「アルツハイマー病も、癌や、心臓病や、糖尿病や、その他たくさんの難病と同じ難病の一つに過ぎない、人格崩壊など考えたこともない」と言いました。
 「人格崩壊」などと、専門家と言われる医師や脳神経学者が作り上げた虚像と偏見から、日本の社会が抜け出すのに、今後どれほどの年月がかかるのかを改めて思いました。

 その日は美瑛のペンションに1泊して、翌日秋晴れの道を十勝岳の山麓に向かって車を走らせました。標高1000メートルを越えるあたりを走る山岳道路のあたりはすっかり紅葉して、十勝連峰が一望のもとに見渡せて、素敵な光景でした。和子も目を楽しませたでしょう。今回は全行程500キロ弱だったけれど、和子は元気で旅から帰りました。

 私の本『和子 アルツハイマー病の妻と生きる』が出版されて、たくさんの人たちに読まれました。初版4000冊は、ほぼ売り切れたようです。札幌市の図書館には21冊が購入されて、順番待ちで今も読まれていると聞きました。教え子の元・会津の精神科医からも、

何か自分にもできることがないかと考えました。この本が多くの方の力で、色々な所へ広まっていくことは素晴らしいことだと思います。この機会に、病気のことや病気を抱えて暮らす人、そしてその人の周囲の人達のことについて、より多くの人が理解してくれることができないかと思いこんなことを考えてみました。
私で良ければ、医療や福祉という立場からだけではなく、今までのケースから学んできた主人公(当事者)とその家族の思いについても話をさせていただきたいと考えています。講演会といっても、大袈裟なものではなく、どこか公的な会場を借りて、使用料は参加費でまかなえばいいと思います

と提案がありました。1年間札幌の病院にいた彼は、母校の教授から呼び戻されて、去年の10月から福島市にいます。
 何回か札幌で準備会を重ね、1度は彼も参加してくれて、以下のように『高齢者の心の病を考える会』を企画しました。もしご案内が行ってない方で、当日参加できる方はどうぞお出でください。

『高齢者の心の病を考える会』の案内ページへ

以上です。今回はこれにて。

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