介護日記

 

 2002年10月1日

 ナナカマドの実が真っ赤になったのは、1ヶ月も前でしょうか。ダム湖の周辺もすっかり秋の気配です。ダム湖に行く途中で野菊やススキを取ってきて、和子の部屋の小さい花瓶に挿したりしましたが、それもそろそろ終わりです。いきなり11月上旬の寒波が来て、本州からいらした女性登山客が2人、別の場所で凍死されました。2人とも夏装備だったとかで、痛ましい事故です。今年の天候はほんとうに乱調です。でもここ数日は秋らしい日が続いています。平年並みだと最高気温20度ぐらいで、とても過ごしやす季節なのですが、今日の午後からから台風21号の影響で天気は崩れそうです。そのあとは寒くなるでしょう。

 美瑛行きの1泊500キロの旅から帰って1週間余りです。今日から10月です。今月末には車のタイヤもスタッドレスに替えて、半年続く冬の準備をします。大雪山は初雪が降って山頂部が真っ白になったようです。急な寒波が来て寒い日があって胸のアタックが何回かありました。スプレーやニトロでなだめましたが、毎年春と秋の季節の変わり目の定期便なので、そのうちに安定するでしょう。気を付けて過ごして行きます。

 「第2回 全道童謡・唱歌をうたうつどい in Kitara」 という催しがありました。事務局をやっている三角山放送局代表の木原さんから、和子が招待券をもらったので、私の分のチケットを買って出かけました。美瑛に一緒に行ったばかりのKさんも一緒に行ってくれました。全道から15団体600人も歌い手が集まって、なかなか盛況でした。
 このホールは2週間前に北大OBグリーの演奏会で、私もステージに立ったばかりです。残響が長いと言われるこのホールは、よく響きます。そして、このホールは車椅子スペースが12人分通常の座席とは別にあるし、地下の駐車場も使えるので、車椅子の和子を連れて行くのに便利です。
 プログラムと一緒に歌詞カードも配られて、歌われた曲の半分ぐらいは聴衆も一緒に歌いました。全部の合唱団が歌い終えるのに3時間余り、5分間の休憩の後に川田正子のステージでした。昭和9年生まれという彼女は、何とまだ現役の童謡歌手でした。彼女も5曲歌って最後の3曲は聴衆と一緒でした。

 ほとんどノンストップで4時間の長い演奏会を、和子は疲れた様子もなく聴き終えました。「鯉のぼり」や「どんぐりころころ」や「村祭り」など、明るくて軽快な曲は少しリズムを取っている感じで笑顔いっぱいですが、「浜辺の歌」や「冬景色」になると、少し心騒ぐ感じで涙を出しそうにも見えました。もう声は出てこないので、表情で推し測るしかないのですが、曲によって表情は明らかに違います。同行してくれた友人のKさんが、「和子さんは前みたいに、ただ意味もなく『はい、はい』と言わなくなりましたね。何か言葉を話そうとしているようですよ」と言われました。

 地下の駐車場で、旧知のNさんと娘さんに出会いました。Nさんは40年近く前、私たちが結婚して家を建てたときのご近所さんです。娘さんはその頃大学生でした。Nさんはもう御高齢で体もご不自由で、札幌の特養ホームにお住まいです。和子に向かって「和子さん、昔とちっとも変わらないね」と仰って、私には「和子さんはどうしてこんなに笑顔いっぱいなのでしょう。うちのホームにこんな人いませんよ」と言われました。半年前の出版記念会の時も車椅子でいらして下さったけれど、今の和子の表情は、たぶんその時より輝いています。

 8月の初め、和子を札幌に連れていく用事があって、札幌西高の同窓会館にあるピアノに会いに行きました。弾く人がいないピアノを見るのが辛くて、同窓会館に寄付したのが、一昨年の5月でした。その年の9月からOB・OGによる第九の練習が始まり、1年後の去年の8月、OB・OGのオーケストラと合唱団によるベートーヴェンの第九演奏会が開かれました。ピアノの由来は、その時の参加メンバーにはそれなりに伝わっていて、和子が欠かさずやっていた調律のせいもあって、いい音がするピアノだと褒められていました。
 第九が終わった後も、このピアノは、音大受験の生徒や卒業生や、演奏会の練習用に、順番待ちでフルに使われていると聞いて、良かったと思っていたのですが、由来を示すプレートをピアノの蓋を開けた時に見える内側の壁に付けるということも聞いていて、「会いに行こう」と思って連絡しました。ちょうどプレートが出来ていて、そしてその日は北海道二期会のオペラの練習に使われる日で、伴奏ピアニストもいらっしゃると聞きました。
 何か弾いて頂けるかも知れないと思って、和子が学生時代に使った楽譜を何冊か車に積んで行きました。二期会の練習はまだ始まってなくて、ピアニストの方はいらしてました。モーツアルトのソナタアルバムからの中から、和子の鉛筆の書き込みがあるK330のハ長調のソナタの第1楽章を弾いてもらいました。32.5.24と目次のその曲の頭に書き込んでいるから、大学3年になったばかりです。専攻が声楽だったから、ピアノの練習はそ頃までだったのかも。この楽譜に書き込みがあるのは、このソナタアルバム第1集の、18曲中6曲です。そして、もう1冊あるというソナタ集は持っていなかったようです。
 楽譜は欲張ってバッハやシューマンや、いろいろ持っていったけれど、ピアニストの方が「これがいいでしょう」と仰って、鉛筆の書き込みがいっぱいあるメンデルスゾーンの『無言歌集』の中から何曲か続けて弾いて下さって、最後に「これをもう1回弾きましょうか」と言われて再度弾いて下さったのが、作品19の6 「ヴェニスのゴンドラの歌」でした。昭和28年版で定価400円とあります。和子はずっと少し上気した面もちで聴き入っていました。弾き終わってその若いピアニストの方は、「貴重な楽譜をありがとうございました」と言われました。半世紀も前の楽譜で、その方もびっくりなさったかも知れません。30分弱の、思いもしなかったコンサートの時間になりました。

 9月になって「同窓会だより」の編集長から、新しい号が送られてきました。その中に、この日のことを紹介した記事が載っていました。

         「輔仁会だより」43号
 和子さん
  『和子のピアノ』とご対面

 輔仁会館に一台のグランドピアノがある。
西高OBの第九公演の練習用に元職員後藤治先生からご寄贈いただいた奥様和子さん愛用のピアノである。
 和子さんはアルツハイマー病で現在療養中(小樽市)であり、そのケアレポート「和子」の出版(今年3月・亜璃西社刊)は記憶に新しい。近くを通るので和子さんとピアノを再会させたいと申し入れがあり、8月5日にご対面が実現。折りしも居合わせた北海道二期会(理事長三部安紀子・西高12期)のピアニストのご好意で思いもかけないミニコンサートが始まり和子さんも終始ご機嫌の笑顔。また、この日の記念に ― 輔仁会と妻への想い『和子のピアノ』 ― と刻まれたプレートも取り付けられた。

そして、ピアニストも入れて居合わせた同窓会長や会員など10名ほどの写真も載り、そのキャプションに、

 ▲メンデルスゾーンに聴き入る車椅子の和子さん

とありました。

 世の中に、弾く人が居なくなった楽器は数多くあると思うけれど、和子のピアノは幸運だったと言うべきでしょう。いつかまた、誰かが弾いているところを聴く機会もあるでしょう。

 ホームページのミラーサイトを作ってくれている横浜の教え子Iが、3月放送になったHTBの特集が、インターネットで見られることを知らせてくれました。下記のアドレスをクリックすると、  http://www.fromhokkaido.jp/tv/document.html 以下の記事が現れます。

From HOKKAIDO ブロードバンドコンテンツ
  TV・発 ドキュメント北海道
「ドキュメント北海道は、HTBの夕方 Don!Don! でお伝えしたニュース特集の中から、21世紀にお伝えしたい北海道の今を浮き彫りにします」

 時系列で並んでいるのではないのですが、下から5番目に、写真と次の記事があります。放送を見られなかった方、道外の方、海外の方も、どうぞご覧になってください。画面は不連続ですが、音声は放送のまま聞こえます。若い女性の記者でしたが、いい作品を作ってくれました。

「アルツハイマー病…いのちの輝き失わず」
小樽の元教師、後藤治さんが綴った若年性アルツハイマー病の妻との闘病記が、反響を呼んでいます。
アルツハイマー病は脳が萎縮し、記憶や運動機能を失う原因不明の難病です。介護しだいで症状の改善はできると命の可能性を信じて妻の笑顔とともに歩む姿を追いました。
   2002年3月27日 夕方Don!Don! で放送

今回は、これにて。

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