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〈日本の福祉についてひとこと〉その3

 

 去年、私が個人加盟している全国組織『呆け老人をかかえる家族の会』に下記の投書をし、機関誌の3月号にそれが載り、4月号に奈良県の方からそれに対する反応が載りました。
 

 財団法人 呆け老人をかかえる家族の会
機関誌「老人をかかえて」通巻212号 98/3
  

財団法人 呆け老人をかかえる家族の会
機関誌「老人をかかえて」通巻213号 98/4

 

「呆け老人をかかえる」という言葉

 「呆け老人をかかえる」という言葉は何とかなりませんか。「呆け」という言葉は差別用語の生き残りだと思うし、今時アルツハイマー型は「老人」だけではない(妻は55才でした)。
 いっそのこと、アメリカみたいに、「アルツハイマー協会」としたらどうでしょう(脳血管型は違うかもしれないけれど)。
 『老人をかかえて』という誌名も変です。「〜かかえて、・・苦労しています」と続きそうではないですか。老人だって人格があり、「かかえられる」存在ではないでしょう。私は病妻と「向かいあって」はいるけれど、「かかえて」などとは思っていません。
         (北海道 Gさん)

 

「ぼけ老人」という言葉について

 3月号の、北海道Gさんのご意見に、私も全面的に同感です。関西地方では、「ボケ」という言葉は、「アホ、ボケ、カス、死ね!」という具合に、一般的に、他人を罵倒する時などによく使います。生活感覚上は、明らかに、品の悪い蔑称です。先日も、介護に関する、あるシンポジウムで、司会者が、当会からの講演者を紹介する際に、当会の名称を読み上げるのをためらう場面がありました。会場に痴呆症の老人をつれてきている人がおられたのです。また、当会が主催したある会合で、会場を借りる時に、会場の管理者側と、会の名称を書いた案内版をめぐってトラブルがあったことも聞いています。
 本部では、西暦2000年を期して、会の名称変更を考えておられるようですが、この問題に2000年まで待つことの意味があるとは思えません。現場で何が起こっているのかを良く理解して、直ちに、会員にアンケートを実施するなど、速やかに対応すべきだと考えます。本部のご英断を切望します。
         (奈良県 Hさん)

 

 “呆け”とか“ボケ”とかいう言葉を平気で使う人達に私は黙っていられなかったからです。

 先々回(その2)に「本人は表現できないだけで、聞こえているのだ」と書きました。それに対して西高34期の教え子Mから電子メールがとどきました。彼女の伯父さんが脳卒中で入院した時、見舞客が帰ったあとで、“物言えぬ”その伯父さんはひとり涙を流していたというのです。「伯父には聞こえていたのです。」と彼女は書いてきました。

 私は“言葉狩り”をしているヒマはないけれど、言葉というものはそれを使う人の精神と、人権感覚のレベルを表わしているのだと思います。

 アルツハイマーの患者について“不穏行動”とか“不潔行為”だとか、それこそ“不穏当”な言葉が、家族はもちろん、時には本人の前でさえ言われます。
 親は自分の子どもが成長過程で“おもらし”をすることを、“不潔”などと感じるでしょうか。
 子どもが保育園の頃、当時は紙おむつなんて存在しなかったし、保育園から帰ってその日のおむつを洗うのも大抵私の仕事でした。和子はまだ仕事から帰ってない日が多かったのです。
 今、時々排泄の始末をするけれど、私は“不潔”などと思ったことはありません。

 この事については、直接抗議をして改めてもらったことは再々あるけれど、施設を利用している立場上デリケートな面もあるので、レポートには書けないできました。

 だけど今、書く場所を与えられたので書きます。
業界用語なのかどうかわからないけれど、平気で使われる不用意な言葉が、利用者本人や家族をどんなに傷つけてきたかを、私は思わないではいられません。
 その度に私は胸を痛くし、「福祉を利用するのも力業(ちからわざ)」と何人かの知人や教え子達にも話してきました。

 No.2で書いたNHKの番組については、別の番組のことで、後日談があります。それは又次回に。

                     '99.2.22