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〈日本の福祉についてひとこと〉その3
去年、私が個人加盟している全国組織『呆け老人をかかえる家族の会』に下記の投書をし、機関誌の3月号にそれが載り、4月号に奈良県の方からそれに対する反応が載りました。 財団法人 呆け老人をかかえる家族の会 「呆け老人をかかえる」という言葉 「呆け老人をかかえる」という言葉は何とかなりませんか。「呆け」という言葉は差別用語の生き残りだと思うし、今時アルツハイマー型は「老人」だけではない(妻は55才でした)。 「ぼけ老人」という言葉について 3月号の、北海道Gさんのご意見に、私も全面的に同感です。関西地方では、「ボケ」という言葉は、「アホ、ボケ、カス、死ね!」という具合に、一般的に、他人を罵倒する時などによく使います。生活感覚上は、明らかに、品の悪い蔑称です。先日も、介護に関する、あるシンポジウムで、司会者が、当会からの講演者を紹介する際に、当会の名称を読み上げるのをためらう場面がありました。会場に痴呆症の老人をつれてきている人がおられたのです。また、当会が主催したある会合で、会場を借りる時に、会場の管理者側と、会の名称を書いた案内版をめぐってトラブルがあったことも聞いています。 “呆け”とか“ボケ”とかいう言葉を平気で使う人達に私は黙っていられなかったからです。 先々回(その2)に「本人は表現できないだけで、聞こえているのだ」と書きました。それに対して西高34期の教え子Mから電子メールがとどきました。彼女の伯父さんが脳卒中で入院した時、見舞客が帰ったあとで、“物言えぬ”その伯父さんはひとり涙を流していたというのです。「伯父には聞こえていたのです。」と彼女は書いてきました。 私は“言葉狩り”をしているヒマはないけれど、言葉というものはそれを使う人の精神と、人権感覚のレベルを表わしているのだと思います。 アルツハイマーの患者について“不穏行動”とか“不潔行為”だとか、それこそ“不穏当”な言葉が、家族はもちろん、時には本人の前でさえ言われます。 この事については、直接抗議をして改めてもらったことは再々あるけれど、施設を利用している立場上デリケートな面もあるので、レポートには書けないできました。 だけど今、書く場所を与えられたので書きます。 No.2で書いたNHKの番組については、別の番組のことで、後日談があります。それは又次回に。 '99.2.22
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