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<日本の福祉についてひとこと> その4

 

 前回の「本人には聞こえないだろう」ということに関連して。

 少し前のNHK『すこやかシルバー介護』の、松山市で行われた公開番組でこの日のテーマはお年寄りの口腔ケアでした。
舞台の大型スクリーンに、口腔ケアの実例が映っていました。甲府市(だったと思う のですが)で、口腔介護士が寝たきりのお年寄りの家庭を訪問して、実際にケアをし ている実例です。
その介護士が、口の中をブラッシングしてきれいにしたあと水を含ませて、「はいお口グチュグチュしましょう。そう、お口の中が元気になりましたよ」(正確ではないかも知れませんが)。
 口腔ケアの訪問介護の実例は余り聞かないし、進んでいる地域なのかも知れません。 でも私が気になって、今でも心に重く残っているは、そのスタッフが使っていた幼児言葉でした。「これがこの“業界”の常識なのかなあ」と思うとなお気が重くなりました。

  以前デイ・サービスの送迎の時、スタッフが本人の居る前で、全く普通の声で“不穏”とか、失禁の詳細を私に話したとき、翌日出かけていって責任者に会いました。そのとき私が強く言ったのは、「健常な大人の前では決して言わないことを障害者の前で言うのは、絶対に差別だ!」ということでした。
 後日この話を主治医のところの事務主任に話したのですが、彼は「“
この病気になると幼児化がえりする”ということを勘違いしてるんではないですかねえ」と言いました。私も全く同感です。 私は和子の相手をしていて、この頃はゆっくり話すようにしているけれど、幼児言葉を使ったことなど一度もありません。今は全介護で会話もままならない状態だけど、彼女が62年努力して生きてきた歴史が“幼児がえり”で無くなってしまったとは到底思えません。折に触れ感じる事は、「表現は殆どできなくなっても、心の中はそのまま生きている」いうことです。

 もうひとつ別の視点からですが、「人生の大先輩に対して、“そういう物言い”は無いでしょう!」ということでもあります。私は古いのでしょうか?
 昭和から平成にかけて(大正・いや明治の人もいるでしょう)の日本の大変な歴史に、それぞれの数十年から百年余りの人生を重ねて生きて来た人が、その果てに辿り着いた『介護される現場』で、“幼児扱い”されることに私は納得できません。

                    '99.4.4