14

  


  

<日本の福祉についてひとこと その10

障害者の『肖像権』ということ

 

 和子が以前利用していたデイサービス・センターから、何度かスナップ写真が届いたことがあります。『E型デイサービス』と呼ばれる痴呆専用の施設です。

 ダム湖への散歩や、クリスマスでケーキを食べている写真でした。和子だけではなく、他の利用者の方も写っていました。
 和子の表情が良くなかったので、保存に耐えず捨てました。私が撮った写真でもそうです。この何年もの間、何百枚のスナップを捨てたでしょう。
 カメラ歴四十年余りですが、他人を撮った場合も、不出来な写真は捨ててきました。私のカメラ歴に傷が残るし、何よりも写っている相手のひとに失礼だと思うのです。

 撮られる相手が知らないうちに撮るのは盗撮ではないかと、今ふと思い出して考えます。

 6月のホームページに和子の写真を載せたあと、<お世話人>から「カメラの前でポーズをとる和子さんの素敵な笑顔」という感想のメールが届きました。もちろん、選りすぐりのスナップです。カメラマン冥利に尽きます。

 本人が不用意なままで撮られたスナップの肖像権は一体どうなるのでしょう。他の利用者のご家族にも、一緒に写った和子のスナップが届いている筈です。「硬直した顔」を他人に見せたくないという、本人や家族の思いを感じないのだろうかと、不思議でした
 これは公的福祉の現場での事件です。

 あわせて思い出すのは、前に書いた『午後の遺言状』のことです('99.7.24)。
 どうしても感じるのは「痴呆症の患者は硬直した顔をするもの」という世間の思いこみと偏見です。だから私は、笑顔が戻った和子の顔を、ホームページに載せたのです。
重度の患者でも、治療と対応次第で、こんなにいい顔をする”時もある”ことを知ってもらいたかったからです
 いずれは自然な笑顔が無くなる時もくるでしょう。その時は彼女を撮るのをやめます。 

 誰でもカメラを使える時代になり、カメラマンの倫理も節度もわきまえない人が、やたらに他人のスナップを撮る今の状況は、”退廃現象”だと私は思います。仲間うちとそれ以外の場合の区別がつかない人が持つカメラは”凶器”になります

 何ヶ月もたって今こんなことに気付く私自身の鈍感さへの自戒も含めて書きました。
                       '99.9.18