15

  


  

『風が吹くとき』 ”東海村事故”について

 

 今度の事件(事故などではなく)は、「チャイナ・シンドローム」(炉心溶融)と同じです。7年前に私が出した私家版の雑文集『北海道でとりくんだこと』の最後に<核開発の歴史と理論>という物理の授業書があります。その中に「30キログラムのウラン235で”臨界量”」という記述があります。天然のウラン238の中に0.7%しか含まれていないウラン235を精製したのが濃縮ウランです。これが広島原爆です。直径僅か7.5cmの球状のボールが本体です。今度のイエローケーキはこの原爆の材料とは違う”高純度酸化ウラン”ということですが、上限2.4kgの沈殿槽に7倍の16kg入れたというのです。

 「臨界量に達しない状態で制御できる」と称して作って運転し続けて来たのが原発なのですから、臨界量に達して暴走し始めたら、打つ手がないのは当たり前です。「原発の事故ではない」と政府はしきりに言っていますが、プルサーマル燃料のイエローケーキだとて安全問題は同じことでしょう。
 
危機をとりあえず脱したのは、”決死隊”16人が飛び込んで給水管をブチ壊したからです。命令に従順にならざるを得ない”原発ジプシー”なる超3K(ケー)労働者が存在する日本なればこそ可能だった危機回避だったのでしょう。彼らは20〜103ミリ・シーベルトの放射線量を浴びたと新聞にあります。年間の放射線量限度は1ミリ・シーベルトです。監督責任者の元・有馬科学技術庁長官は、この”決死隊”に加わる勇気をお持ちだったのだろうか、と思ったりします。

 自衛隊に緊急出動を要請したそうですが、自衛隊の化学防護服は、α線やβ線は防げるけれどγ線や中性子線は防げず、臨界状態の現場には近づけないと断られたそうです。不謹慎だけど政府のあわてぶりが感じられて少しマンガチックでさえあります。アメリカの”核の傘”の下にいる自衛隊が、「臨界核分裂状態に対応できない」のは当然だし、それで良かったとも思います。平和憲法があるのに、核爆発を想定した能力などを持ってもらったら困ります。被爆国日本の国民の一人として、心からそう思います。

 原発で出た使用済み核燃料を、再び「普通の原発で燃やす」ために考えられたのがプルサーマル計画です。世界中の原発保有国が全部撤退したプルサーマル計画をゴリ押ししてきた中での、「起きるべくして起きた”事件”」だと私は思います。
                        

 レイモン・ブリッグズという作家の『風が吹くとき』というコワーイ絵本がありました。1982年の出版で、その後アニメ映画にもなったので、ご存じの方も多いでしょう。核戦争後の未来社会で、二人だけ生き残った老夫婦が、必死になって倒れた家具や建具で放射能から身をを守ろうとし、そしてやがて死んでいくという、何とも怖ろしいストーリーと絵でした。

 今度の避難勧告と屋内待避勧告で、その絵本を思い出しました。隙間だらけの一般住宅で、窓やドアの隙間から音も匂いもなく忍び寄って来る放射能や放射性汚染物質から、どうやって身を守れというのでしょうか。まして中性子線は家の壁だって通り抜けるのです。「外を出歩くよりはいくらかマシ」なのかも知れないけれど。
 「ここ10年間にレベル2が2回、レベル3が1回、今回がレベル4。
10年間にこんな深刻な事故が起きているのは日本だけ」と、ある技術評論家が言っています。だから今度の事故は、JCOという一民間会社だけのことではないのです。
 事件から2日もたって新しいニュースが報道されました。現場からの通報で駆けつけた救急隊員には被爆事故だとは全く知らされてなくて、防護服も着ないで現場に入って倒れていた作業員を救出したということです。

 世紀末になって、この国は”何でも有り”の国になったと痛切に思います。

                      '99.10.04