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『午後の遺言状』について

 

 少しまえ女優の朝霧鏡子が亡くなりました。『午後の遺言状』(1995年)で、痴呆の元女優役を演じた人です。封切りのとき、和子と一緒に札幌に見に行って、とても気になったことが4年経った今も忘れられません。

 観世栄夫の夫が痴呆の妻を連れて妻の先輩女優(杉村春子)が滞在中の山荘を訪れー乙羽信子が山荘の管理人ですーそしてそのあと持ち金を使い尽くすまで旅をして、最後に妻と北陸の海で入水自殺をするという、とても重い筋書きでした。

 「新藤監督はどうしてこの二人に生きる道を用意しなかったのか」と見たあと納得できませんでした。隣で見ていた和子がどう思ったか暗がりでわかりませんでした。後にこの筋書きが、その何年か前実際にあった事件を下敷きにしていたことがわかりましたが。

 訪れた山荘で、会話もできなくなった朝霧鏡子が演じる元女優が、昔の舞台を思い出して「かもめ、かもめ・・」(チェーホフの『かもめ』の台詞)とつぶやくシーンがあります。痴呆症特有と一般に思われている(らしい)硬直した顔と台詞を忘れません。

 それから4年過ぎました。今の和子はその映画の場面よりずっと症状は進行しています。話す言葉はほとんど意味不明で、食事も全介助が必要です。しかし和子は歌は正確に歌えるし、何よりも、表情もあり笑顔もあります。

 当たり前のことだけれど、病気の症状は百人百様でしょう。和子の笑顔が戻ることを信じて生きて来たことを、よかったと改めて思います

 『シンドラーのリスト』を見て、映画館の暗がりで涙を拭っていたのはその翌年でした。小樽に引っ越して5年間、病気はどんどん進行してきたし、そして5年前のCTやMRIの写真を見た教え子の医師達が「その時点で在宅介護が可能なレベルを超えていた」と言うけれど、でも今でも全く確かな部分もあります。いつまで今の笑顔が続くかわからないけれど、いまの時間を彼女と過ごしています。

                     '99.7.24