'97年10月1日

 前のショート・レポートを書いてから3カ月たちました。この夏もたくさんの教え子達がたずねて来てくれて、また新しい出会いもありました。アメリカ留学から夏休みで帰国した教え子と15年振りに再会し、彼女は和子と一緒に歌うために5回も小樽に来てくれました。

 ここは、日本海に面した海岸から3キロはいった谷合いの温泉の入り口です。木々の葉が色づき始め、これから1カ月足らず、この地のすてきな秋です。    

 和子は9月から始まった温泉つきのデイ・サービスに週4回通っています。その間に私は夕食の仕度をしたり、片付けものをしたり、自分の病院に通うこともできるようになりました。8月まで、2週間に1度の5泊6日のショート・ステイを利用していたのですが、彼女が居ないと私はとてもさびしくなり、一方ショートとショートの間の10日間は疲労と寝不足がたまって、少しピンチでした。

 当面は「デイ・サービスと、週末3泊のショート・ステイを組み合わせて、一日に何時間かは私が休める態勢」を在宅介護支援センターのスタッフに組んでもらい、少し見通しも出てきました。 

 日常会話はほとんどできなくなりました。何か(たとえばニュースでも)説明しても、その言葉が彼女の耳が聞く端から消えてゆくので会話にはなりません。でも「花がきれい」とか「この曲きれい」とか二人で言い合うことはできます。彼女の話す言葉も多くは意味不明ですが、ちゃんと聞いていないと「あなた今聞いてなかったでしょう」と鋭いので、いい加減には聞けません。

 荒れるとき(精神科の用語では“せんもう=譫妄=”と言うようです)、どこか体が痛くなって大声で泣き叫んだり(30分か1時間すると直るので、精神状態なのだと思います)、自分に危害を加える「アイツ」が出てきたり、訪ねてくれた教え子と行ったお寿司屋さんで大声でわめいたり、私がちょっと目を離した間に玄関のたたきで排便をしたりして、大変でもあります。

 

 でも訪問看護婦さんは「和子さんは歌があるからいいでしょう」と励ましてくれます。その歌を私も一緒に歌うことができます。毎日十何曲も童謡や唱歌を。彼女の幼い頃の記憶は確かで、5番まである歌詞もすらすら出てきます。彼女の貯金は何百曲もあるのでしょう。そのいい声で歌う時の彼女の笑顔は相変わらず素敵です。きのうは彼女の音大の卒業演奏の曲だったシューベルトの『白鳥の歌』(トリの日の演奏会で彼女はこの曲集14曲のうち10曲を歌いました)を、ヘルマン・プライのCDに合わせて一緒に歌いました。ドイツ語の歌詞を私は少ししか知らないし、彼女もほとんど忘れているけれど、メロディーはたどれるので。

 東京の教え子が電話で「先生、小樽の福祉もなかなかやるじゃないですか」と言いました。全体的には決して進んでいるとは言えないこの地で、私たちは福祉の力をいっぱい借りて、アメリカや全国のあちこちから支えてくれる教え子や知人の目を感じながら、何とか元気にやっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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