'97年3月8日

 和子は今、3度目のショート・ステイにはいっています。“せんもう”が始まったのは1月のなかばと前のレポートに書きましたが、その1カ月も前、12月12日午後の私のメモに、「彼女は今、“母ちゃんどこへ行った。母ちゃんいない”と言いながら家の中を歩きまわっている。玄関のメロディー・チャイムがあければ、とてもこんなこと(手紙を書いていました)はしていられない」と書いています。その10日後が「事故」でした。その頃私はレポートを書いていて(年明けまでに、160通余り送りました)彼女の方を十分に向いていなかったと、今少し悔いが残ります。

 ある“教科書”は痴呆の症状を、初々期、初期(健忘期)、中期(混乱期)、末期(痴呆期)と分けていますが、今彼女は中期の終わり頃かなあという感じです。一日中相手をしていて、普通の会話(短いセンテンスを選んで)ができる時間がまだ半分はあります。しかし今は常に見当識失調で、自分が今どこに居るのか、時間がいつ頃なのかは、ほとんどわかりません。バッグを持って「私うちへ帰るから」は相変わらずですし、夜6時頃壁の時計を見て「アッ、もう12時だ」というのもいつものことです。相手をしている私が彼女の夫であることはわかっているのですが。

 朝起きてから夜寝るまで、身のまわりのことはほとんど介助が必要です。衣類を着る時もひとつひとつあてがってやらないと、シャツもセーターも足にはいたりします。トイレは戸をあけて電気をつけてあって、居間から入り口が見えるので大体はひとりで行けますが、時々隣の洗面所へ行ってしゃがもうとしたりします。彼女がトイレに行ったらついて行って、用を足したらボタンを押して洗ってやり、紙を渡してふかせます。そのあと下着とズボンは自分で上げますが流すのは私の仕事です。台所で手が離せなくて私が行くのが遅れると、紙でふかないでそのまま下着を上げたりします。去年の夏からは、外出の時はいつも車椅子トイレを探して一緒にはいっています。車椅子でなくても、ハンディキャップを持っている者と介護者には何と便利なものかを痛感します。小樽はなおのこと札幌でも車椅子トイレは多くないので、大体は男子トイレのボックスに一緒にはいります。使ってみて意外だったのは、男子トイレで顔を合わす男性がほとんど平然としていることで、私も平気になりました。

 

 食事は朝はパンと紅茶なので問題はなく、昼食はうどんの時は大丈夫ですが、スパゲッティにスープをつけるとスープ皿にスプーンがはいっているのにフォークでスープをすくおうとしてぼうぜんとしたりします。夕食は何皿かのおかずを混ぜたりして幼児の如くですが、小骨は上手にとっています(大きい骨はとってやります)。

 私が台所に立つと、すぐ立ってきて「何か私にもできることない?」と言います。だけどガスの炎も、レンジの光りも、そして包丁もこわがるようになった彼女にやってもらうことは食器をふいてもらうことぐらいしかありません。それも一個ふくと「次何する?」「じゃこれふいて」という具合で、彼女のケアのプログラムのひとつです。

 一年間レポートを書きながら、彼女が日常生活ができなくなったことを書きそびれてきたのですが、今は「できること」がほとんどなくなりました。それでも彼女は「私にもできること」という意識がいつもあるので、それのフォローをするのにいつも苦労しています。家事も手抜きで、一日の大半は彼女と手をつないで音楽ビデオを見るか、昔のお話をするか、唱歌や童謡を歌います。この頃絵本を2人で読みあっこすることも始めました。暖かい日は外を何キロも歩きます。娘が居ればにぎやかで笑い声もはずみますが、「二人だけ」というのはコミュニティの態をなさず、時間をもたせるのがむずかしく、彼女はメソメソして「おうちに帰る」が始まります。

 お正月、お客さんが何組も私達を見舞いに訪問してくれました。ほとんど私の教え子達で、いつも彼女は話の中心にしてもらっているのですが、ある日ほんのわずかの時間、彼女を話の外に置いていたら「どうせ私のことなんかどうだっていいんでしょう!」と大泣きしました。障害児がゆっくりと生長していく足どりのレポートをテレビで見ますが、彼女は発達の逆行現象をたどって幼児がえりしていることが毎日わかります。

 失われたものの大きさにぼう然とすることもありますが、今はひたすら彼女の心により添うことにつとめています。手をつくせばそれだけ心楽しい時間がつづき、おだやかな日を過ごせています。

 外は雪が横なぐりに降っています。春の嵐です。でも、もう春はそこまで来ているのでしょう。近くの川のほとりで毎年見る福寿草にも間もなくお目にかかれるでしょう。冬ごもりがあけたら何ができるかなあと毎日考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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