'97年2月22日 

 和子は2度目のショート・ステイに行っています。一人になってやっと自分の時間を見つけて4カ月ぶりにレポートを書いています。でも和子が居ない夜はとてもさびしい。

 昨日、彼女を望海荘という特養ホームに預けて、その足でバスで札幌へ行き、メリル・ストリープ主演の映画『マイ・ルーム』を見ました。映画は和子と一緒に『シンドラーのリスト』を見て(その時彼女は横で涙を拭っていました)以来だから、ほぼ2年ぶりです。『マイ・ルーム』は、離婚・息子の非行・父親の痴呆・叔母の老惨・介護で結婚をあきらめた妹の白血病と、病んだアメリカがいっぱい出てきてとても重いテーマでしたが、見終わったあとにあたたかい余韻が残りました。

 

 年が明けて1月なかばぐらいから彼女の“夜間譫妄(せんもう)”が始まりました。一日おきに夜ほとんど眠らず、まるでスイッチが切り替わったみたいに目つきが一変し、乱暴になって私を眠らせてくれません。物理的に体がとてももたなくなって、特養ホームでショート・ステイを受け入れてくれるというので1月末、2泊3日で利用しました。全員70歳以上(最高102歳)の人たち150名が生活しているこのホームに、60歳になったばかりの和子を連れて行って、「私がどうしてここに?」と言われないかとちゅうちょがありましたが、そうも言っていられなくなりました。行く何日も前から、「お泊まり会に行くからね」と話していたのですが、拍子抜けする程素直で、3日間けっこう楽しんだ様子でした。ワーカーから、「それだけ症状が進んだということでしょうね」と言われました。彼女を預けている間、私はひたすら眠りました。

 秋以来、病気の進行に伴って精神安定剤や抗うつ剤をいろいろ処方してもらって対応していたのですが(薬が効いたように見える時と、全く効いていない時といろいろでしたが)、ショート・ステイの少し前に処方してもらった強い安定剤で医師が心配したとおりの副作用が出ました。パーキンソン症候群で、前につんのめるようにして歩いて、腰もよろよろです。教え子の女医に相談したら、「今までのが蓄積していると思う」というので思いきって薬を全部やめたら、数日で副作用の症状は消えました。 

ケア以外方法がないので、彼女を放っておいて家事をするのも極力少なくして一日の大部分を彼女のそばにいて手をつないで過ごすようにしました。毎週来てくれる看護婦さんの他に、保健所から保健婦さんと別の看護婦さんがそれぞれ隔週に、それに「ひまわり家族の会」というところから毎週話し相手のボランティアの方も来てくれるようになりました。痴呆の姑さんを看取って、今は会の事務局長で和子の一つ年上、同世代で昔のなつかしい話はずんでいます。私も入会しました。

 

 たくさんの支えをもらって(もちろん私と二人でいる時間が長く、特に二人きりになる夜が大変ですが)、彼女も笑顔を取り戻してきています。“夜間せんもう”は2月11日を最後に出ていません。今は中休みなのか、あるいはその時期を過ぎてしまったのかわかりませんが。

 教え子や知人の何人もから「ワープロ手伝います」という便りが届き、感動しています。同封の「事故報告」は年末に何人かの方に送りましたが、改めて同封します。このワープロは群馬からきました。「事故」以来2カ月、足の凍傷はすっかり癒えてきれいになりました。2月になって降雪も多く気温も低いのですが、何といっても日差しが春の気配です。暖かい日は外を歩きながら、寒い日は家の中で「菜の花ばたけに入り日うすれ……」と二重唱をしています。

 

 昨日、映画の帰り、ふと思いついてレコード店に立ち寄り、カーペンターズのCDを買ってきて、聴きながら書いて居ます。'71年の録音ですが、きれいな声を聞かせている妹のカレンは32歳で亡くなっています。子育ての頃小耳にはさんだ曲がなつかしいです。

 次回のショート・ステイの時、彼女の日常をくわしくレポートするつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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