'96年10月27日 

 済生会小樽北生病院外科病棟の個室で、来週予定の和子の胆石手術を待っています。腹腔鏡を使うので予後も軽いそうですが、入院(10月18日)前、1週間、食欲不振でほとんど何も食べていないので、点滴で体力の回復をしているところです。偶然ですが、主治医は西高23期で、2年の時、私が物理を教えたことがあるそうです。

 前のレポートは、8月4日付けでした。その後、8月は、教え子や知人の来訪もあり、八ヶ岳山麓の知人(学童保育の親仲間ですが)の山荘を訪ねる旅もして、不安定ながらも彼女にとって楽しい日々を過ごせたと思います。

 9月から訪問看護ステーションから看護婦の派遣も始まり、人と会っているときはにこやかにできる時間があったのですが、9月半ばからは、朝から“うつ”の状態が続きました。テレビも全く見ず、音楽も彼女の慰めにならず、朝から「母ちゃんと会いたい」と泣き続ける彼女を慰めるすべもなく、9月末、突然思い立って、娘の仕事を1日やりくりさせ、仙台往復の飛行機で実家へ行きました。2晩泊まり、強度の難聴の母親と少し話しもし、娘と妹と3人で存分に歌も歌い、充実した3日間でした。が、帰宅した翌日はもうその記憶もなく、「母ちゃんと会いたい」が始まります。1週間後、妹が速達で送ってきた写真を見て、「1週間前だよ」と言うと、「私、こんなことも全然覚えてないんだ。私の頭どうなってしまったの!」と頭をたたいて落ち込みました。

 気分のいい日は山へ行ったり、ハイキングに行ったりする日もあったのですが、10月14日(月)から急に食欲がなくなり、何日も続きました。主治医の話では、「“うつ”と食欲不振の悪循環だろう」ということでしたが、胃腸科の専門クリニックでも一度検査した方がいいと言われて、腹部エコーで胆石が見つかりました。くたびれきっていて、胃カメラをする状態ではないと医師は判断したようです。そして、主治医からの指示で、この病院の外科に入院し、手術の日を待っているところです。しかし、アルツハイマーの症状としての“うつ”と、それに伴う食欲不振という問題は残り、退院後はどうなるのだろうと思っています。

 

 実家へ行ったとき、娘は風呂で「あなたのお名前は?きょうだいは何人?」と聞かれたそうです。入院して何日目か、顔を出した娘が帰ったあと私に、「父ちゃんは来ないのかなあ」といいました。ほんの一瞬で、そのあとは私が夫だとわかった様ですが。ピアノを弾くことも、絵を描くこともしなくなりました。しばらく前から新聞の見出しも見なくなったなあと思っていたのですが、多分彼女は字が読めなくなってきているのでしょう。手紙を書いても誤字だらけで、文章にもなっていません。自分で「もう書けない」と頭をかかえるので、もう書かせないようにしています。生年月日も忘れました。半月くらい前、私が聞いたとき、「私、もうこんなことも忘れてしまったんだ」と泣くので、もう聞けません。愛用していたアナログの腕時計がもう読めず、12時間のデジタル時計を探さなければと思っています。

 家でも、一刻も目が離せない状態なので、食事の支度もままならず、半製品を買ってきたり、外食をすることも増えてきました。病院では、彼女はだいたい寝ていてくれますし、食事を作らないので少し休めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

介護日記目次  戻る  ホーム  進む