'96年8月4日

 今日夕方、和子はカーディガンをTシャツにはおり、帽子をかぶって玄関を出ました。居間の椅子から立ち上がり、落ち着かない感じなのはわかっていたのですが、私は書きものをしていて、何分かほおっておいたら、もうマンションの外に居ました。「どこへ行くの?」と言ったら、「歩いておウチに帰る!」と差し迫った声で。気がつかないでいたら、大事になるところでした。ハンドバッグに“迷い子札”ははいっているのですが、今日は手ぶらでしたから。彼女は、自分の名前を知っているだけで、小樽の住所も電話番号も覚えていません。実家のある若柳のマチだと錯覚していた様ですから、名前も高橋和子なのかも知れません。

 そのあと実家の妹に電話をして相手をしてもらったのですが、「若柳に居るから歩いて帰る」と言いつのる和子に妹が、「お姉ちゃんは小樽に居るんだよ」と強く言ったらしく、「みんなが、私がウソを言っているというならもういい」と暗い声で電話を切りました。そのままでは治まりそうもなく、車で海の見える喫茶店に行って紅茶とケーキを食べました。海の夜景を見て、「小樽なんだね」と納得したものの、落ち着かず、ベッドに入っても涙をボロボロ出して「私なんだかわからなくなっちゃった」と悲痛な声を出して、不憫でした。

 「この時期が過ぎて、もっと自分がわからなくなるまで、今がいちばん奥さんにとってつらい時期なんでしょう」と、介護センターのソーシャル・ワーカーに言われました。毎日夕方になると必ずやってくる見当識の失調と、切なくたたかっている彼女を見るのはとても辛いです。

 玄関にはメロディ・チャイムをつけ、ドアが開けばすぐわかるようにしました。次は、別のロックを考えなければならないかもしれません。事故だけは、何としても防がねばばりませんから。ただどうやっても、彼女の悲痛な葛藤は見ていなければならず、辛い毎日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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