《左側の3本の木》 《チュー太の介護日記》 《右側の2本の木》

 2014年10月8日 

●災害(1) 御嶽山の死者は55人になりました。まだ行方不明者が9名と言われていますが、7日まではで捜索は中断していました。土石流発生のおそれがある山麓の村には避難勧告も出ているようです。
 火山学者の岡田弘氏は、「初動の遅れが惨事を招いた」と厳しく指弾。「防災体制の見直しが急務だと警告を発しています。彼は有珠山火山研究観測センター長だった2000年、洞爺湖町と伊達市にまたがる有珠山の噴火を予知して早期に住民を避難させ、死者は一人も出していません。
 私は大学で地震火山学を専攻しました。60年も前、コンピューターなどは存在せず、もっぱらフィールドワークのデータと過去の記録を照らし合わせて噴火の危険度を予測するしか無い時代でした。岡田氏は「現地に観測員がいる」ことの大切さを力説しています。

 無人観測点のアメダスや気象衛星のおかげで、天気予報の精度は著しく良くなりました。でも世界でも有数の火山国日本で、観測員常駐の観測所が少ないことは御嶽山の例をみても致命的です。日本ではランクABの47火山が火山常時観測対象に指定され、気象庁などの機関により常時観測態勢が整備されていると資料にあるけれど、6日の日本経済新聞は、火山の研究者が40人程度しかいない現実を報じています。雲仙の火災泥流で世界から集まった研究者も含めて、消防・警察の方達が泥流に巻き込まれる生々しい映像を覚えている方は多いでしょう。あれは1991年のことで、その時は気象庁や各大学・研究機関の情報が共有化されておらず、火山の観測を一元的に行う国の専門機関が無いことが指摘されていましたが、現状は変わらないままのようです。新聞に載ったイタリア・エトナ火山の観測所の数と観測員の数は日本とは雲泥の差です。

●災害(2) 御嶽山・ノーベル賞の報道の影に、福島原発のニュースは新聞から消えてしまいました。メルトダウンは進行中の筈で、いったいどうなっているのか判りません。凍土壁などという、地震が起きて予備電源まで含めて止まってしまったら一挙に崩壊することはシロウトだってわかります。現地には防護服を身を固めて、線量計を持って作業している何千人かの下請け作業員がいます。原発ジプシーと昔言われて言葉が消えてしまいました。国内の全原発が停止しているいまジプシーでは無く福島に常駐し、一日の被爆線量が許容量を超えたら宿舎に戻り、また規定の日数がたったら現場に戻ることを繰り返しています。
 少し前のインタビューが忘れられません。中年の作業員だったけど、「家族は安全な所に置いていまが、私は歳だから諦めています」と。途方もない話ですが「廃炉作業」は彼らの手にゆだねられています。

 こんな状況でも、「原発は国の基幹エネルギー」と言い続け、鹿児島県の川内原発の再稼働を認め、青森県の陸奥小川原原発の建設を進めている安倍首相は正気なのかと思います。この原発から50キロ圏内の函館周辺には25万人の人が生活しています。函館市長は工事差し止めの署名を集めて訴訟を起こそうとしています。従来の裁判所なら「訴えの権限なし」というでしょう。でも福島の場合、最初30キロ圏内と言っていたのが、50キロ離れた所にも降灰による高度汚染地域が出ています。当たり前です。コンパスで「半径何キロまで安全」という基準を作った環境省役人の感覚を疑うしかありません。風が吹けば、放射能灰はどこへでも飛んでいきます。

●災害(3) 若い女性や、幼い女の子が殺され、死体損傷・遺棄の事件が相次いでいます。戦後69年をい出してみて、こんな不安な時代があったろうかと思います。憲法前文に明記されている、「平和のうちに生存する権利」などと誰が実感できるのか。全児童にGPS機能つきの携帯を持たせるなど正気の沙汰とも思えないけれど、こんな不安な社会は、ヨーロッパ先進国にはないでしょう。

●災害(4) 火山と原発。御嶽山の噴火で、原発の安全を審査する原子力規制委員会のメンバーの中に地質や地震の専門家はいても、火山の専門家が居ないことを新聞の記事で知りました。そういえば、安全性審査の対象になるのは、断層と地震でした。断層は調べれば判るし、地震は過去の記録から、ある程度の推計はできるでしょう。地球科学を勉強して、今でも関心を持ち続けている私としては、数枚のプレートがこの狭い列島の下でせめぎ合っているこの日本に、原発立地の適地などあり得ないと思っています。地震・津波など無くてもチェルノブイリやスリーマイル島の過酷原発事故は起きています。人類ははまだ(たぶん永遠に)原子力を安全にコントロールすることなどできないでしょう。これはギリシャの神が、間違って人間に教えたプロメテウスの火だと、私は原子物理学を習った時からの数十年変わらず持ち続けている確信です。

●災害(5) 日米防衛指針「周辺事態」削除へ。「日本周辺」の制約外す・・・と新聞の一面見出しです。そして、公明党に配慮して「詳細は見送り」だそうです。公明党は今までの経緯からすると、妥協するんではないかと危惧します。この党が健全野党に戻れば、参議院の自民党過半数はなくなり、自衛隊が「日本周辺」の外へ、中東にまでアメリカの友軍として域外派兵ということも防げるでしょう。
 世論調査で過半数が与党支持、しかし自衛隊の海外派兵も過半数が反対というのも奇怪な数字です。自民党の圧倒的勝利と言われた2012年の衆院選挙。小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約4分の1の26.67%、比例代表に至っては15.99%。1票の格差と、小選挙区制度と低投票率のマジックで当選者が多かったに過ぎません。公明党が健全野党に戻れば、参議院まで与党が過半数という異常な状態は無くなります。
 湾岸戦争のとき、空港や桟橋で涙を流して見送っていた家族。自衛隊員本人は入隊するとき覚悟をしいたかも知れないけれど、家族はそんな覚悟をできないでしょう。
 「徴兵制などあり得ない」と総理は言うけれど、「防衛大学校の卒業生の5割が未来の幹部候補生へのを断念して、任官辞退」という現状は、・・・「この道は いつか来た道」と思わざるを得ませ ん。太平洋戦争が4年弱で終わった(私は11~15歳でした)けれど、小学校高学年から旧制工業学校への日々、息詰まるような国家総動員体制を覚えています。「進め一億火の玉だ!」「壁に耳あり、障子に目あり」・・・そして住んでいた岐阜市と通学していた大垣市が全焼し、学徒動員で炎天下のトロッコ押しで毎日グラマン戦闘機の機銃掃射に遭い、辛くも生き延びた記憶は、生々しく残っています。 物理学者・寺田寅彦の名言と言われる「天災は忘れた頃にやってくる」は、「人災は・・・」と言い換えてもいいと思っています。

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 和子は元気で歳を重ね、来月78歳を迎えます。来年は若年性アルツハイマー病発症(推定)30年で。今年は結婚50年でしたから、その後半の6割は病気だったことになります。