《左側の3本の木》 《チュー太の介護日記》 《右側の2本の木》

 2014年3月11日 あの日から3年

 地球全体の循環系が狂っているのでしょう。3月も半ば近くなのに、毎日真冬日が続き、雪の歩道はもちろん車椅子は使えないので、和子は外出もできません。でも私の胸のアタックは一度も起きていないので、このまま無事に春になるのを願うのみです。和子は推定29病年、それでも元気で表情豊かに生きています。

 そして3月11日、あの日から3年です。新聞もテレビも特別な編成で、3年後の被災地の様子や、3年前の救出の感動的な秘話を報じていました。「地震・津波は天災だから仕様がないけれど、原発だけは人災だから早く除染してくれ!迷惑だ」という被災者の悲鳴が胸に突き刺さりました。
 宮城県大川小学校では、児童の大部分が津波に呑み込まれました。転勤して1年しか経っていない(周辺の地理にも明るくない)教師が教頭の指導で「校庭から動かないように」と言われ、親の迎えを待つ間もなく波に呑まれてしまったようです。いちばん地元の地形を知っているのはこどもたちだった筈です。
 今の子どもは自分の身を守る自主性を無くしてしまったと痛感します。これも文部科学省のせいです。性懲りもなく、彼らは「子どもを枠の中に嵌めて」仕上げようとしています。民間から選んでいる教育委員を役人の一人である教育長の下に統合する制度替えを考えているようです。

 死者1万5884人、行方不明2633人、震災関連死2916人、避難者26万5419人。そして「原発30基の再稼働見えず」という記事。欧米先進国から見れば、プレートに囲まれた地震多発国の日本。福島原発のメルトダウンで収拾不能に陥っている国が、まだ「原発再稼働」を言い続けているのは異常としか見えないでしょう。

 まる3年経ったのに、この状態。賢い政治を願って国民(小選挙区で自民党候補の名を書いたのは有権者の約4分の1の26.67%、比例区では15.99%)は政権をゆだねている筈だけれど、安倍首相が連発する「国の為に」という国の中に、国民は入ってないみたいです。主権者は国民ひとりひとりであって、そのために国の政治があるのだと私は思っています。東北の被災者の「先が見えない」避難所生活のルポを見ていると、政府はこの3年間(前の民主党政権を含めて)何をやっていたのかと思いたくなります。
 NHKとの予算・人員数の較差を超え、スポンサーも取り付けて、政治を告発する被災者の声を番組にしいている民放各局に拍手を送りたくなります。