《左側の3本の木》 《チュー太の介護日記》 《右側の2本の木》

 2014年1月1日 

新しい年を迎えました。和子は元気です。また1年生きて、推定第29病年を迎えます。

2013年3月の韓国パククネ大統領演説「加害者と被害者の歴史的立場は、1000年の時が流れても変わらない」という、日本人に突きつけられたメッセージ。大戦が始まり、近所の若いお兄さんや新婚早々の人も出征していきました。そして何日かのうちに白木の箱になって戻ってきました。国民学校の校庭に毎月白いテントが張られ、合同慰霊祭でした。戦争の痛みを判る筈のない1954年生まれの安倍首相に「祖国の為に命を捧げた英霊に・・・」などと軽々しく言って欲しくないです。10歳ぐらいの東京のお屋敷町育ちの安倍少年の目に、戦争の傷跡など判る筈がないでしょう。

後藤治・和子