介護日記

 

 2010年6月1日

 「美しき5月に」は、シューマンの歌曲集「詩人の恋」の最初の曲です。毎年この季節になると、この曲のメロディーを思い出していました。ハイネの詩によるこの曲集は、前半7曲が愛の歌で、後半9曲が失恋又は郷愁の歌と言われています。北国ドイツの長い冬が明けて、花が咲き乱れる季節の到来を、自らの(クララへの)恋の歌と合わせたのでしょう。
 うちにこの曲のLPやCDが何枚かあるけれど、「美しき5月に」は第1曲でもあり、和子もよく歌っていたし、私も覚えました。短い曲なので、ドイツ語の歌詞も覚えてしまい、小樽のマンションの回りの山坂を、手をつないで歌いながら歩きました。

 しかし、今年の5月は、気温が低くて風も冷たく、和子の車椅子を押しながら「春」を満喫できる5月ではありませんでした。、私は車椅子を押して歩けば暖かくなるけれど、座っているだけの和子は風邪をひいてしまいます

 最後の週末になって、やっと暖かくなりました。もう 6月です。

 沖縄の普天間基地問題は最悪の状態になってきました。先週、テレビ朝日の報道番組で、作家の澤地久枝が「条約などではなく、大戦末期におびただしい犠牲を強いられた沖縄戦の、そのあとの占領状態が続いているだけ」と言いました。そして、私が先回の『介護日記』に書くのを忘れた、占領経費の70%が日本政府の思いやり予算だと言いました。彼女は数年前、作家として沖縄を実感するために2年間住んだのです。彼女は私と全く同年です。1945年、大戦が終わってから65年、経費の大半を国民の税金で払って「占領してもらっている」国がヨーロッパの何処にあるでしょうか?

 和子と私は1995年、沖縄戦終結50年に出来上がった「平和の碑(いしじ)」を見るために沖縄に行きました。旅は好きだったけれど、それまで沖縄を旅行先には選べませんでした。大橋巨泉が「沖縄には遊びに行けない」と言っていたのと同じ理由です。
 路線バスを乗り継いで、南部戦跡を見るためだけの旅でした。平和の碑」には日本側の死者20万人(半数は民間人)、数万のアメリカ兵死者の名前が彫り込まれていました。旭川師団が沖縄に派遣された日本軍数個師団の一つだっただけあって、出身北海道という戦死者の名前が多かったこと。そして日本兵として引っ張り出されて戦死させられた朝鮮・台湾人の碑が殆ど空欄だったことが強く記憶に残りました。遺族が承諾しなかったのだそうです。この時の沖縄県知事と県庁は、日米双方の戦死者遺族全員から承諾を取るという手間をかけたのです。
 その、日本人として招集されて戦死した台湾人と朝鮮人の兵士に対する軍人恩給は放置されたまです。戦後65年、生き延びた多くの人達が人生の終末を迎えています。
 日本政府は、国内の一般被災者などのへの補償(何もやっていません)とのバランスの問題もあり・・などと言っているけれど、ドイツ政府は民間の戦争被害者への補償をずっと続けています。その為にドイツ政府の財政が破綻したという話は聞きません。

 高速増殖炉もんじゅが、事故から14年振りに運転を再開しました。原発の燃料ウランの燃えかすプルトウムを使って実験を始めるのです。しかし14年前、事故を引き起こしたナトリウムの問題は未解決のままです。今回運転を再開するのは原型炉で、2025年までに実証炉、2050年までに実用炉という段取りです。
 しかし、安全の問題、コストの問題など、「2050年までに解決するかどうか判らない」と専門家は語っています。

 日本の他に高速増殖炉の運転をしているのはロシアだけです。ロシアがソユーズなど宇宙工学の面で高度の技術を持っていることは事実ですが、86年4月のチェルノブイリ原発の大事故は忘れ得ません。チェルノブイリの灰は、隣の国ウクライナの広大な土地を人の住めない土地にしています。その影響は、この後何十年続くか判らないのです。

 自動車の運転免許を更新しました。でもその前に近くの自動車学校で受けた高齢者講習は、「もうそろそろ運転をやめた方がいい」と実感せざるを得ない状況でした。反射神経の劣化・視野狭窄・、暗視(暗くなると見えなくなる)視力の劣化などの総合判断を自分でして車を手放すことにしました。

 子どもの保育園通いのために免許を取り、東京に居る時には一時車をやめていました。でも山坂のマチ小樽に越してからは、車は必需品になりました。市街化調整区域に建っているマンションのそばを通るバスは1時間に1本しか無いのです。
 高齢者の事故が多いというニュースが多いです。和子を乗せて連れて行くのに多少の不便はあるけれど、札幌のど真ん中に住んでいるし、地下鉄は全駅エレベーターが付いたので、運転免許の更新をきっかけに、ゴールド免許のままで、46年のドライバーに終止符をうちました。当たり前だけど、歩いてみると車を運転しない人は多いのが目につきます。
 でも問題が一応解決したのは地下鉄だけで、路線バスのごく一部を除いてバスと路面電車はほとんど低床化されておらず、車椅子では乗れません。アメリカやカナダの先進地に比べると、障碍者が健常者と同じように生活して行けるノーマライゼーション社会は、はるか先のことです。
 北海道はそれに加えて冬の問題があります。車椅子は雪の上は横すべりして動けません。歩道と交差点をロードヒーティングすれば解決することなのですが。障碍者が健常者と全く同等に日常生活を送れるのはいつのことでしょう。

 これを書いているとき(6月2日)、夕刊の大見出しで「鳩山首相退陣、小沢幹事長も辞任」というニュースが飛び込んできました。僅か8ヶ月の短命内閣。何よりも自ら公言していた金権体質と普天間問題などを以前より悪い状態にしての退陣でした。もう一度、澤地久枝が語った原点に立ち返らなくてはと痛感しています。

介護日記目次   戻る   ホーム   進む