介護日記

 

 2010年5月3日 憲法記念日

 前回、3月15日付けで東京大空襲のことを書いて、もう1ヶ月半たち、年度が替わって、5月3日の憲法記念日がやってきました。
 政局は混乱気味で鳩山内閣の支持率は急落、小沢幹事長には検察審査会で「起訴相当」の決議が出るし、新党乱立で、夏の参院選がどうなるのか、見当もつきません。
 和子は目の前で静かに眠っています。でも痰がからむと吸引してやらなくてはならず、私も寝不足です。

 ここはビル街の電波の谷間なので、衛星からも電波塔からの電波も届きません。地デジになっても、ケーブルを通して番組は届くので、支障はありません。そのケーブルテレビで、尊厳死を扱ったスペインの映画を見ました。
 若い頃に崖の上からのダイビングで首の骨を折り、以来40年近く首から下の自由を失った初老の男性が、裁判所に自ら死を選ぶ許可を申したてる。自分では身動きできないので、法の力を借りてです。カトリックの国ですし、当然のようにこの訴えは却下される。どうしても「自分の将来は自分で決めたい」主人公は、親類や友人など大勢の力を借りて、自分の意思を遂げようとする。もちろん様々な意見の人があり、長い時間をかけて、彼の意見を尊重しようという応援団としてまとまり、そのうちの一人が都合してきた青酸カリを水に混ぜて飲ませる。彼は皆の前で静かに息をひきとる。これは死んだ当人が口に銜えたスティックでパソコンのキーを操作して書いた実話の映画化です。

 私たち夫婦は、日本尊厳死協会に入っています。その裏に本人の署名があり、「回復の見込みのない治療は断る」という文言が書いてあります。
 和子との日常は、何事もなく過ぎていきます。時々将来はどうなるんだろうと考えますが、考えても仕様がないことなので、そんな考えは振り払うようにしています。 「治療の方法がない」ということでは、進行したアルツハイマー病は、そのとおりの病気です。
 「中期のアルツハイマー病です。どんどん進行します」と東京の医者に言われたのが1992年暮れですから、18年経ちます。私の教員生活の最後が室蘭への単身赴任だったので、不在中のことを一緒に生活していた子ども達に聞くと、異変は1985年頃までは遡れます。それから数えると25年です。結婚して46年だから、半分以上は病気でした。
 しかし当時「若年性アルツハイマー病」は今ほどメジャーな病気ではなかったから、初期の頃、適切なケアが出来なかったのが残念です。普通の顔をしている母親が、「あなた誰?」というような、びっくりするようなことを言うから、子ども達もショックだったのでしょう。その段階では子ども達の心は凍らざるを得なかったと思います。そのフリーズは長年かかって融けてきましたが、その頃は和子は目も見えず子ども達の識別ができなくなっていました。

 エーザイが発売したアリセプトは、当時「画期的治療薬現る」などともてはやされましたが、ほんの初期に病気の進行を遅らせる効果しかなく、数ヶ月後にはもとの進行曲線に戻ってしまうので、「治療薬」と言えるようなものではありません。
 和子も小樽時代、主治医と相談して使ってみたことがありましたが、もう中期のさなかにあった和子は強い副作用が出ただけで、すぐやめました。 
 初期から中期(混乱期)を経て、現在の状態になるまで、肉親は誰も近くにいないので、教え子たちの力を借りて対応してきました。
 現在は、この状態がずっと続けばいいといいと思えるほど安定した状態です。私も和子も年に一回撮るCTと血液検査でも、和子は大脳が殆ど消滅しています。それでも表情は豊かだし、顔の艶も全く健康な人と変わりません。教え子の医師に大脳のCT画像を見せると、息を呑んで、「これは生きている人の脳ではないです」と言います。
 製薬メーカーが出している経腸栄養剤なら処方箋で老人医療費1割ですむのですが、ここに住み始めた時から1年間、担当のナースの「指示」で入れていた経腸栄養剤を普通の食事に変えてから、病人顔が普通の健康な人の顔になりました。血液検査も生活習慣病の数値は全くなく、健康体です。和子の家系は、親きょうだい全部、癌や糖尿病を持っていたのですが、和子だけは健康です。

 3日は憲法記念日でした。昭和22年(1947年)施行から64回目の記念日です。例年の様に平和憲法を守る集会と改憲派の集会が開かれるでしょう。かかさず通って、時には討論にも参加していた集会にも、和子の介護をするようになって、行けなくなりました。
 この日の朝日新聞は一面を使って、社説と世論調査を載せています。「改憲不要」年々増加、「国民に定着」などと書いているけれど、中東戦争を初めとして、憲法の拡大解釈を重ね、日本国内である沖縄に在日米軍基地の75%を置き、民家や学校の真上を実戦さながらに米軍機が離着陸の訓練を重ねている現状は、とても「平和憲法が守られている」という状況では無いでしょう。

 実態は米軍占領・戦勝国による安保条約の押しつけの延長に今の沖縄の現実があります。日米安全保障条約などとというと、対等に結ばれた条約に聞こえますが、実態は米軍から押しつけられた片務条約です。
 冷戦が終わって、ソ連という巨大な仮想敵国が消滅したのにかかわらずです。
 民主党政府が本当に開き直って、不平等条約を破棄したら、戦争でも起きるのでしょうか。
 フィリピンにあった米軍基地は、火山爆発で基地が火山灰の被害を受けたということがあったにせよ、米軍はフィリピン政府の退去要請を受けて、以後両国の間に緊張関係などはありません、

 ヨーロッパ各国は、NATOやEUの複雑な事情はあるにせよ、そして相当数の米軍は駐留しているようですが、市街地の真上を昼夜分かたず米軍機が演習を繰り返して問題になっている国は聞きません。フランスは1789の革命以来、幾度も自国内で流血を繰り返しながら「個人」の権利を確立してきました。1968年5月の学生のデモは、フランス全土にゼネストとして拡がりました、同じ年に「プラハの春」が起きています。血を流すのは避けた方がいいけれど、欧米先進国は、皆そうやって自国の権利を主張し、その果てにEU統合を成し遂げたのです。
 どうしたらいいのか私にはわからないけれど、政権についたら急に居丈高になってブッシュの後継者のようなことを言っている、オバマやクリントン国務長官は、似非民主主義者だと思います。

 日本国憲法は第九条で不戦の誓いを立て、第十一条で国民が受けるべき権利を保障しています。旧島津藩の琉球処分から続く痛苦を、いつまで沖縄県民に強いるのか、これだけは許せないと私は思っています。

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