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2009年11月3日 憲法公布63年 10月末、札幌西高の同窓会懇親会がありました。授業を2年間教えた学年が当番期で、なつかしい教え子たちとたくさん出会えました。 この秋は天候不順で、小春日和らしい日が続かず、地下鉄を利用しての車椅子散歩も、鴨鴨川べりと、豊平公園だけで終わりそうです。いつも付き合って下さる知人が待機していてくださるのですが。 和子はショートステイを終え、先週初め退院しました。しょっちゅう痰がからむので、また私の寝不足が始まりました。でも元気です。 暖かくなったので、今日は、お友達と一緒に、歩いて行ける道立近代美術館にルオーの展覧会を見にいきました。敬虔なカトリック教徒だったというルオーのキリスト像も何点かありました。東京の出光美術館からの出展が多く、私たちが東京に住んだ2年間に何度も行っているので、懐かしい絵もたくさんありました。 終戦の翌年(1946年)11月3日、連合国軍占領下で、さまざまな困難を経て新しい憲法が公布されました。そして半年後の1947年5月3日に施行、第一回の憲法記念日になりました。 食料の流通ルートはずたずたで、まともな食い物もなく・・・、そんな生活の中で1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送を聞きました。「ああ、戦争が終わったんだ」とは思ったけれど、明日からの生活がどうなるか全く想像もつかず、飢えと窮乏の2年間を生きてきた時の新憲法でした。 教育基本法は憲法記念日前の1947年3月31日に公布、施行されました。後に学校の教員の職を得てから、憲法と教育基本法が、教員として生きていくための指標になりました。
憲法記念日の今日、教員としての仕事は20年も前に終わったけれど、改めて憲法と教育基本法に目を通しています。 ふと、昔見た映画『フィラデルフィア』を思い出しました。フィラデルフィアの大きな法律事務所で、中堅の弁護士(トム・ハンクス)がエイズを発症し、隠して仕事をしていたのが、遂に額に紫色の青いあざができ、事務所を解雇される。公判の書類を隠され、コンピューターの記録も消され、それを口実にしての解雇です。エイズの彼をクビにする為の陰謀だったわけです。 連想のように、和子の病気の経過を思い出しました。病気が判った時、若年性アルツハイマー病などという言葉は私も含めて誰も知らなかったし、介護・福祉の現場でもそうでした。当時は介護保険も無く、親身になってくれた、在宅介護支援センターのソーシャルワーカーの助けを借りて、何とか小樽の数年間を生きてきました。病気の初期から、たくさんの教え子達の励ましやサポートを受けてきました。 悔し涙を流して、「和子は十数年早く生まれてきてしまった」と思ったことも再々ありました。でも北海道放送(HBC)という民放局が、3年にわたって6本の短いドキュメンタリー特集番組を作ってくれて、この近所を歩くと、「お元気そうですね。テレビ見てますよ」と、声をかけられたこともありました。 差別は歴史的な時間をかけて、無くなっていくことを実感しました。でも、和子の肉親からは、断絶状態のままです。血がつながっているだけ、根は深いというのも実感です。 オバマ大統領が、アメリカの原子力発電所の建設にゴーサインを出したというニュースが流れています。アメリカは1979年にスリーマイル島原発で炉心溶融という大事故を起こして以来、原発を稼働していないから、実に満30年たって自らタブーを解いたことになります。地球温暖化・クリーンエネルギーがらみの政策変更だけれど、早速50を超える電力会社が名乗りをあげているといいます。 ただ、風力・水力・太陽光発電などと違って原発は、「トイレのないマンション」と当初言われた状況と変わらず、使用済み核燃料の処理が決まらないままで、日本はそれぞれの原発の構内と青森県六ヶ所村に堆積させています。 1986年のチェルノブイリ原発事故は、事故後コンクリートで封印したままで、ロシア政府が積極的な事後処理計画を持っているというニュースもなく、イラン・パキスタン・北朝鮮など、事情が隠蔽されたまま判らない国もあります。 ヒロシマ・ナガサキの被爆者の闘いはまだ続いています。あれから64年、被爆3世もいます。死者2名を出した東海村JCO事故から満10年、近隣住民にいつ放射線が原因の障害が起きるか、全く未知数です。 ちなみに国際原子力事象評価尺度では、スリーマイル島事故がレベル5、膨大な死の灰がウクライナの平原に飛び散ったチェルノブイリ事故がレベル7(最高値です)、ほとんど忘れられかけている東海村JCO事故でさえレベル4です。孫や子の時代にどんな健康被害が出てくるかわからないのです。 原発の事故は、暴走が始まったら、止める手段がないということです。アメリカがスリーマイル事故以来満30年間、稼働中だった原発も廃止していたのに、50社もの電力会社が建設を始めるというのは怖ろしいニュースです。チャイナシンドロームという言葉が、スリーマイル事故の時言われました。炉心が溶融して、そのまま地球の中心を通って反対側の中国まで到達するという、実際にはあり得ない言葉がはやったということが、、その時の世界中の、特にアメリカの人達の恐怖を物語っています。 パソコンの調子が不具合で、2ヶ月も空けてしまいました。毎月1回は書くつもりでいます。 |
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