介護日記

 

 2008年4月13日 後期高齢者医療制度

 4月上旬の9日間、教え子Kが理事長をしている老人病院に和子が入院しました。年に4回ぐらい、私の介護休暇ということで利用していたのですが、手稲山の南の山麓にあるこの病院のあたりは雪も多く、寒いのです。ワーカーはベッドが空けば優先的に電話をくれるのですが、体温調節機能を無くしている和子は、冬の間は外に連れ出さない方が良いと考え、去年の冬に続いて今年の冬も半年間入院を辞退しました。私の疲労はその分溜まるのですが、居ないとなると寂しくなるという思いもあります。でも10日の日に無事帰宅しました。

 婦長に言われました。「和子さん、ちっとも変わりませんね」と。
 去年の秋、私が 通っている手稲の病院で、二人の脳から腹部までのCTを撮りました。その脳の写真のコピーを婦長に見せました。最新鋭の機械で撮った和子の大脳は真っ黒です。そして人の記憶を作り出す海馬は痕跡しかありません。大脳全体の神経繊維は白く写るのが正常ですが、和子のそれは真っ黒です。その黒い部分は脳脊髄液で満たされています。それでも、病人らしい顔ではなく、色艶もいいし表情もあるのが彼女の持ち味です。世話をする甲斐があります。

 寝溜めはできないというけれど、私はまた元の寝不足に戻りました。

 この冬は12月に寒い日が続き、「厳冬期」と年末の『介護日記』に書いたのですが、寒さと暖気、少雪と豪雪という、地球の循環系が狂っていることを実感しました。北海道だけでなく、本州も爆弾低気圧による豪雨などで、交通機関が麻痺したり、「喉もと過ぎれば」体験したこと以外は忘れてしまうけれど、私は只事ではないと実感しています。
 前にも書いたけれど、ヒマラヤの氷河が融けてモレーンの河原になったり、北極圏の氷が融けたり、50年も先の事ではなく、もうすぐそこまできているという気がしてなりません。1997年の京都議定書議長国として、かっこう良く宣言したけれど、その議長国日本の温暖化防止への成果は、ヨーロッパ諸国に比べて低いままです。批准を拒否してきたアメリカに追随する姿勢が、基地問題から牛肉輸入、バイオ燃料まで。この国の政策全般に行き渡っています。よく洞爺湖サミットの主催などできるなあと、私は思っています。

 前回の『介護日記』のタイトルに書いた東京大空襲の3月10日当日、TBSが2時間を超す特集番組を放送しました。1週間後に日本テレビが2日続けて、やはり2時間を超すドラマを放送しました。「公共放送」を売り物にしている天下のNHKが特集を組んだというニュースは寡聞にして知りません。NHKニュースの中で触れたのかも知らないけれど、私は「事実だけ言って、何の主張もしない」NHKのニュースは見ません。

 国営放送で受信料も強制徴収しているイギリスのBBC放送は、きちんと主張を持っています。国営放送とはいえ、政府の宣伝機関ではないという自負があるからです。選挙の結果、政権は反対党に変わることはしばしばです。だからBBCは、労働党ブレア政権の、アメリカ寄り一辺倒のイラク政策を支持したりしなかったのでしょう。
 一市民の「政府は嘘を言うから信じないけれど、BBCは信じる」という街頭インタ ビューを改めて思い出しました。総合・教育・ハイビジョン・BS1、BS2・総合と教育の地上波デジタルと、テレビだけで7つもの電波を独占する理由など、どこにもありません。民放キー局は、今までの1波に加えて、地上波デジタルを開始した経費に苦慮しているという話を聞きます。

 1945年3月10日未明、アメリカのB29爆撃機325機が東京を焼夷弾爆撃をしました。本所・深川など中小の工場が密集していた所と、渋谷や立川や、主要なターミナルも焼き払われたようです。推定死者10万名、ほとんどが一般市民でした。後のヒロシマに匹敵する死者数です。
 そのあと、日本の中小都市が次々と焼夷弾爆撃を受け、私が住んでいた人口20万の岐阜市は7月9日、数百名の死者を出して消滅しました。岐阜の市中に軍需工場などはなく、近くの各務原は空軍の飛行場があり、軍需工場が密集して数万名の工員が働いていました。そういう軍需拠点は昼間の爆弾攻撃でした。それは非戦闘員が住む都市の夜間無差別焼夷弾爆撃とは、はっきり違っていました。日本の戦力をそぐということでは論理は一貫していたのかも知れないけれど、ジュネーブ条約違反は明らかでした。
 そして8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ原爆で日本は無条件降伏を決め、8月15日の玉音放送で終戦を迎えました。

 ところで、4月から後期高齢者医療制度が始まり、私と和子にも北海道広域連合から保険証と保険料の通知が来ました。和子は71歳だけど、重度心身障害者なので対象になるのです。もちろん3月までは、和子は私の被扶養者なので保険料はかかりませんでした。保険料の額を見て愕然としました。二人合わせて年間10万円近く保険料が増えるのです。

 年金だけで何とか食べているのに、ショックです。
 私は旧制工業学校を卒業後2年余り電話局に務めていたので、教員歴31年です。現役で高卒後四大を出て教員になった人は教員歴38年です。「ねんきん特別便」が私にも来て、電話局時代(当時は電気通信省:国家公務員だったので、その月数は加算されて、合計399月の加入が確認できました。33年と少しです。

 テレビ朝日の報道ステーションで古舘キャスターが、「私たちも気付くのが遅れて、きちんと報道してこなかったことを、お詫びしなければならないのですが」と、つい数日前言っていたけれど、この制度は小泉内閣の時に実施が決まって、厚労省が制度を煮詰めて2008年度実施になったようです。私も知らなかった!

 長年働いてきた高齢者に政府が「老後の医療を保証します」と錯覚しそうな名称だけど、中身は「年寄りにも、生きている間は応分の負担をしてもらう」ということです。新しい保険証が届かなくて病院の窓口が混乱していることに、舛添厚労相が「古い保険証でも対応するように」という通達を出したそうですが、窓口負担は1割で同じなんだから、あとでカルテの保険証の番号を変えれば済むことです。問題は新保険料が、年金から容赦なく天引きされることです。

 私の支払通知書が社会保険庁から届きました。4月支給の老齢基礎年金12万3千円から介護保険料額1万500円、後期高齢者医療保険料額2万6千800円が天引きされています。4月支給の第1回分です。6月・8月とこの額で天引きして、次の第4回目から実情に合わせて改訂するようです。
 何せ基本的には市町村単位だったのを北海道全体に平準化するのですから、予防に心がけて介護保険料も健康保険料も安く押さえてきた自治体と住民はたまったものではないでしょう。札幌市が一緒に広域連合を組む他の市町村の、どの当たりになるのか、資料が公表されていないのでわかりません。

 さて7日の深夜、日本テレビのドキュメント'08 で、南京大虐殺に参加した兵士たちの生々しい証言と手記が放送されました。戦争は同じ日本人が被害者にも加害者にもなることを改めて痛感しました。これについては次回に。

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