介護日記

 

 2007年12月20日 2007年最終号

 今年も残すところ10日あまりになりました。
 和子は元気です。先回写真を載せたのが、短い秋の終わりでした。今週のはじめ、25センチの降雪がありました。それが昼間融けて夜凍るので、歩道はつるつるです。和子の車椅子散歩は、来年春までお預けです。

 今年は8月末まで30度を超す日が続き、10月末から冬の気候で、今はもう厳冬期です。札幌だけでなく、道内各地の豪雪、かつてなかった山での雪崩事故。本州も異常気象の便りばかりで、地球の危機は数十年のスパンではなく、十数年のスパンでやってきそうな気配です。

 インドネシア・バリ島で開かれたCOP13は、地球温暖化に対する数値目標をアメリカなどの強い反対もあって決められないまま終わりました。日本はアメリカに追随しました。ある民放のキャスターは、「どうして、地球の運命がかかっているこんな時に、アメリカの言いなりになるのか!」と強く批判しました。
 NHKは、「事実」を伝えただけでした。NHKは、ニュースとNHKスペシャルなどの他は、ほとんどの番組は民放と変わらないバラエティー・生活情報番組なのですから、受信料を国民から徴収して維持するほどの組織なのかと、疑わしくなります。アメリカの民放(しかないけれど)のアンカーキャスターは、局の中でも強い権限を持ち、自分の意見を言っています。

 和子の日常について、少し書きます。月〜金の週5日、ヘルパーが入ります。排泄の始末(寝たきりなので、おむつを替え、尿道にバルーンが入っているので、バッグに溜まった尿の廃棄)、それに食事に口を使わないので口腔ケアを念入りにしてもらいます。雑菌の巣になるからです。
 その間に私は和子の朝食の準備をします。朝は何十年来洋食なので、パンに洋風野菜と自家製の食パンです。それに教え子が年に2回送ってくれるチーズ類を混ぜます。野菜は冷凍だけど、ブロッコリー・カリフラワー・にんじん・アスパラガス、それに缶詰のホールコーンを、粗塩とオリーヴオイルとワイン・ヴィネガーでドレッシングします。既製のドレッシングは使いません。それをミキサーにかけて裏ごしをして、胃瘻の小さい穴から注入チップという部品を使って50ccのシリンジ(注射器の大きなもの)で注入します。同時にジュース(これは野菜と果物の既製品です)を150cc程度入れます。ヘルパーの時間は1時間なので、けっこう忙しくしています。

 和子は介護保険制度が実施された2000年度から(小樽の特別養護老人ホームに居たのですが)要介護5でした。いま在宅で使える要介護5の点数は35,830点、これが限度なので、デイサービスを使えるのは原則月・水・金です。火・木の2日間は朝のヘルパーの仕事が終わった後は、車椅子で終日私と過ごします。
 その他に週1回のナースの訪問、そして週1回の訪問リハビリが外部の病院から理学療法士が来ます。
  
 昼食はデイサービスを使う日も使わない日も、週5日ミキサーにかけて裏ごししたのを用意してくれます。もちろんデイサービスを使わない日は実費を払います。
 夕食は私のと2人分作ります。一汁三菜か四菜、これは作り初めからミキサー・裏ごし・注入まで一切終わるまで3時間ぐらいかかります。注入の途中で詰まることもあるので、これくらいかかります。
 けっこう疲れるので、一休みして私が自分の夕食を食べるのは大抵9時過ぎになります。

 ここのマンションの介護フロアに引っ越して来た頃は、ナースの意見で、製薬メーカーが出している完全栄養剤を何種類か試していました。これはできあがっているものなので、点滴用の容器に入れて、胃瘻に滴下させればいいだけで、セットすれば、あとの手間は全くかかりません。そんな状態で1年ぐらい過ごしたのですが、和子の顔がどう見ても病人の顔でした。
 覚悟を決めて、手間はかかるけれど私と同じ食事をミキサーにかけて入れるようにしたら、1ヶ月ぐらいで全く普通の顔になりました。目が見えないので笑わないけれど、表情も復活して、病人の顔ではなくなりました。
 製薬メーカーの完全栄養剤は医薬品なので、処方箋で1割負担ですむけれど、お金には変えられないと思っています。証拠はないけれど、「人間はやはり人間の食い物を食べなければ」というのが実感です。

 痰が喉にからむと吸引機で取ってやらねばならず、これが時を嫌わずあるので、手を抜けません。そうかと思うと、何時間もからまないこともあり、そんなこともあって近くのスーパーに買い物に行ったり、鍼灸院にハリを打ちに言ったりするときは車椅子のままです。危険なのは痰が気管に入ってしまうことで、誤嚥性肺炎を起こす原因になります。われわれ健康体の人間は、喉にからんだ痰は常時飲み込んでいるので、和子もそれが出来る時は安全なのです。

 12月8日は1941年、太平洋戦争が始まった日です。この日、新聞もテレビも殆どこのことに触れませんでした。
 戦争の記憶の風化というけれど、年に何回か、日本人が忘れてならない日がある筈です。行き違いから、宣戦布告文書がアメリカ政府に届いたのが真珠湾攻撃の後になり、これが後々まで米国民の対日悪感情の原因の一つになったと言われています。
 私が学校に行く日の朝、ラジオで真珠湾攻撃のニュースを知りました。11歳、国民学校の5年生でした。数年前に日中戦争は始まっていて、生活そのものは戦時体制でしたが、アメリカが大国ということは判っていたから、大変なことになると思った記憶はあります。

 ふと思いついて、ビデオ屋でトム・クルーズ主演の『7月4日に生まれて』のビデオを借りて見ました。アメリカ独立記念日に生まれた少年が、ヴェトナム戦争下の愛国主義教育をたっぽりうけて海兵隊に入隊し、北ベトナム軍との混戦の中で同郷の部下を誤って射殺し、その後自分は下半身麻痺になる重傷を負います。故郷に英雄として帰るけれど、恋人との結婚も不可能になり、ニクソン支持の共和党大会に乗り込んで反戦演説をブチ・・・1989年に封切りされたこの映画を私は映画館で見ています。オリヴァー・ストーン監督の反戦映画のさきがけになった映画でした。
 フランスが植民地ヴェトナムから引き上げたあと、何の関係もないアメリカがトンキン湾事件をでっちあげてヴェトナムに介入し、1975年のサイゴン陥落までの十数年の間にベトナム側の死者100万。負傷者数百万、アメリカ側の死者5万8千人、というのがこの戦争の結末でした。
 いまアメリカはイラクで過去の過ちを再び繰り返し、日本が軍事・経済面でそれに加担している状況は強まる一方です。

 薬害肝炎問題で、今日とんでもない政府案が提示されました。自民党の笹川議員は「政府が厚生官僚に恫喝されたんだ」と語っています。1977年アメリカの食品医薬品局がフィブリノゲン承認を取り消したことを旧厚生省は知りながら、88年になって医療機関に緊急安全情報を出したけれど、先日のテレビで、どこかの病院の医師が、「使用禁止というニュアンスとはとても思えなかった」と言っていました。「使用禁止」にしなかったのは、製造元の旧ミドリ十字に厚生官僚が多数天下っていたからでしょう。
 私はいつも思うけれど、この患者の中に、厚生官僚の幹部の肉親が居たとしても、同じ結論をだすんだろうか、と。

 笹川議員が言ったように、「3兆円ぐらいにふくれあがる」と恫喝した厚生官僚がいたとか。患者団体の人達は、額の問題ではないと言っていたけれど、歴代政府と官僚がやってきたミスで途方もない金がいるのなら、消費税でも何でも上げて救済をすべきではないか。明日は我が身です。
 私は注射器使い回しの世代です。BCGの注射をするのに、1本の針で10人ぐらい打たれました。戦時中のことで、その危険は誰も知らず、ただ10人目ぐらいになると針の先がささくれ立って、刺された時に痛かったことを覚えています。それと母子感染、それがB型肝炎の原因でしょう。私の小学生の時の旧友で、70歳すぎて突如劇症肝炎を発症して亡くなったのが何人かいます。たぶんキャリアーはいっぱいいても、発症しないで終わる人が多いのでしょう。
 しかし、いずれにしても、国の制度としてやったことに、政府が責任を取るのは当たり前でしょう。何十年経ってもです。和子も私も検査を受けて、B型・C型とも陰性です。

 しかし、この日本という先進国は、余程注意して生きていかないと、何が起きるかわからない国だと痛感しています。

介護日記目次   戻る   ホーム   進む