介護日記

 

 2007年10月14日

 大雪連峰や利尻富士、羊蹄山からも初冠雪の便りです。平地で氷点下になった所もあります。でも週明けから平年並みに戻るそうです。

 今年は夏が長く、「暑さもお盆まで」と言われるのに真夏日が8月末まで続きましたが、相変わらず扇風機もない生活で、暑い夏を乗り切りました。
 9月は不安定な日が多く、そしてまだ10月だというのに、散歩もままならない寒さです。

 でも美術展はあり、音楽会もあります。天気を見計らって車椅子で連れ出しています。先日は知事公館の一画にある道立三岸好太郎美術館に、連れをさそって出かけました。東京の松下電工コレクションだというルオーと好太郎の道化師などを併せた特別展でした。ルオーの道化師の絵はたくさん見たし、好太郎の絵もずいぶん見たけれど、珍しい特別展でした。

 昭和9年31歳で亡くなった好太郎の時代、ルオーのカラー複製があったとは思えず、でも見くらべてやはりルオーの影響も受けていたのかも知れないと思いました。
 ルオーにはキリストの絵が多いのですが、その哀しみに満ちたキリスト像が、道化師の絵と重なって見えました。

 抜けるような秋空の下で、帰りは知事公館の芝生の上でゆっくりと、とも思ったのですが、寒くて和子に風邪を引かせたら困るので、そのまま帰りました。

 でも寒いのは北海道だけで、本州から南は、ずっと真夏日が続きました。最高気温が30度を切ったのはほんの先週ぐらいからです。「こんなに寒くて温暖化なのですか?」と聞かれて、全くのシロウトではない私は困るのだけど、地球の循環系がおかしくなってきているのはたしかです。

 和子は見たところ変化はありません。顔の色艶もいいし、表情も豊かです。もちろん、笑ったり声を出したりはできないのですが。
 でも私と一緒に過ごす長い時間は、車椅子でひたすら眠る時間が多くなりました。しょっちゅう痰がからむので、吸引機で取ってやるのですが、それが終わって楽になると、また目を閉じます。いつも耳元でバッハやモーツアルトが鳴っているのですが。

 少し前ですが、ここから歩いて2分の所にある大学のホールに、アルス室内合奏団25回記念演奏会を聴きに行きました。もちろんアマチュアの合奏団で、入場料も800円でしたが、結構いいアンサンブルでバッハを聴かせてくれました。事前に電話を入れておいたのですが、ホールの職員が、車椅子スペースまで案内してくれました。

 この頃感じるのですが、美術館も音楽会も、和子はほとんど痰がからみません。ポータブルの吸引機を用意して行くのですが、家に帰るまでほとんど使いません。目が見えなくても、美術館の静かな空間にいることは感じるらしく、音楽は確かに聴いているようです。
 病気が判って15年、「中期です」と言われて、思い当たることはその数年前からあり、今年でたぶん発症22年にはなります。でもその頃は若年性アルツハイマー病などは夢にも考えなかったし、私が定年3年前に辞めて(私の世代は年金は56歳から受給権出ました)彼女をフォローできたのがせめてものことでした。

 9月21日は世界アルツハイマーデーでした。1906年にアイロス・アルツハイマーというドイツの精神医学者がドイツの学会で ある症例を発表しました。患者は40歳代の女性でした。1910年にエミール・クレペリンが、この症例を「アルツハイマー病」と命名しました。
 その時の患者が40歳代だったのに、日本では老人の病気と思われてきたのが、和子の病気に気付かなかった社会的環境でした。

 太平洋赤道域の中央部から南米のペルー沿岸にかけての広い海域で海面水温がい平年に比べて高くなる現象をエルニーニョと言い、これが地球温暖化を示す言葉ととして、この数年言われて来ました。

 京都議定書が発効の年度になり、世界最大のエネルギー消費大国アメリカが批准しないまま、ここ数年目覚ましい経済発展をしてきた中国やインドが、「今度はわれわれが使う権利がある」と主張し始めているのだから、地球の運命はどうなるのだろうと、本気になって心配しています。

 折りもおり、アメリカの前副大統領のゴア氏が、IPCC(国連の「気候変動に関する政府間パネル」)と共同で、ノーベル平和賞を受賞しました。
 彼は「不都合な真実」という本を書き、それがドキュメンタリー映画にもなってヒットし、それらの活動が評価されたのです。私は本を読んでないけれど、彼は本の中で、50年先というスパンで、地球という天体の危機を警告しているのです。
 日本の少子高齢化の将来が心配されているけれど、平均余命は毎年上がっているから、団塊の世代が生きている時代、そして彼らの孫たちの世代が生きている世代に危機はやってきます。
 むろん、反論する学者もいます。しかし京都議定書を無視してきたアメリカが、ブッシュのお声がかりで、バイオ燃料への転換を図り始めています。あと3年で80歳になる私の余命はそんなに永くないだろうけれど、生きながらえて地球の将来を見届けたい気もします。


和子の近影

 三岸好太郎美術館から帰って。

 

 

 

 

 

 

 

 知事公館の庭、大理石のモニュメントの前で。

 

 

 

 

 

 

 

 円山公園で

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