介護日記

 

 2007年5月23日

 札幌の桜はゴールデンウィークの間に満開になり、宴会の花見客が居なくなった平日に円山公園に行こうと思っていたら、もう桜は散り始めました。今はもう八重桜が咲き始めています。

 それでも車椅子散歩に出かけ、民家の庭先の桜やレンギョウ・コブシなどを楽しみました。和子は目が見えないのだけれど、心地よい春の匂いを感じたでしょう。

 そして先週末から和子は、私の教え子Kが理事長をしている老人病院に短期入院しています。「何とでもしますから、先生も時々介護休暇を取ってください。共倒れになったら、元も子も無いですから」と親切に言われて、去年は何度か利用しました。でも療養型病院なのでベッドがいつ空くか不定で、それでも2ヶ月に一度ぐらい利用したいと、こちらの希望を病院の相談員に伝えてあります。でも冬の間は風邪を引かせてもまずいので、結局去年の私の目の手術の時にKの病院に預かってもらって以来半年間冬ごもりでした。

 私の目は眼科医の処方箋が出ないままで免許更新を受けます。手術後半年かかって、視力はかなり良くなってきました。医師は「眼鏡を新しくしても、そんなに視力は上がらないし、両眼で0.7見えれば更新の条件は満たしますから」と言います。先日70歳以上に義務化されている高齢者講習に行ってきました。その時両眼0.7の条件はクリアーしたから、多分大丈夫でしょう。来週更新の手続きに行く予定です。夕方から夜にかけては運転しないようにしています。来月77歳になるけれど、和子を乗せるのに必需品なので。

 介護休暇の一日、北見の知人に会いにバスで日帰り旅行をしました。1999年に北見の隣の訓子府町の介護教室に招かれて講演に行きました。その時講演会を企画した保健婦のTさんが北見に住んでいます。彼女が日赤の北見看護大学の教員をしている 札幌西高時代の私の教え子に連絡をしてくれて、大学に行って懐かしいひとときを過ごしました。そのあと彼女の車で訓子府町に行き、4月の統一地方選挙の町長選に立候補して当選したK氏ご夫妻と会いました。彼は40年も前に札幌西高で理科の同僚だったのです。そして講演会の前の年まで何年か保健福祉課長をしていました。
 講演会はもう一人東京から著名な自治体問題の専門家が来て、彼の講演がメインで私はそのあと実践例として話をしたのでした。
 お昼少し前にバスで札幌を出て、帰りは午前0時発の深夜バスでした。忙しい旅だったけれど今回の旅は、僅か数時間の間に3組の出会いをして、充実した時間を過ごして帰りました。

 和子が入院した病院の主治医が北大教授を定年退職された神経病理学の専門医に変わって、和子のCTを見ながら2回合計1時間余り、懇切丁寧な説明を受けました。和子の大脳と内部の神経繊維を束ねている灰白質・白質の部分が完全に消滅して、空っぽの脳室になり、海馬も痕跡だけだということもCTを見てわかりました。大脳の中で参考書にもよく出てくる海馬は、「脳の中にあって、唯一細胞分裂を繰り返す神経細胞が集まる気官」 とインターネットの検索で出てきます。呼吸中枢の延髄と運動をつかさどる小脳が全く無傷だということもわかりました。
 「教科書通り進行する」と言われるこの病気は、私もその通りだと実感しながら介護を続けてきたのだけれど、「こんな例は私の経験では全くありません」 と主治医から言われたのに、少しホッとした思いもあります。もともとそんなに丈夫でなかったのに、この期に及んで、頑強に生き続けようとしている彼女の生命力のようなものを感じます。

 映画館にも久しく行ってないけれど、ビデオのレンタル屋で森鴎外の『阿部一族』をドラマ化したのを見付けて借りてきました。
 原作は乃木希典(まれすけ)陸軍大将の殉死にヒントを得て書かれた歴史小説と言われています。明治天皇が亡くなった時、乃木夫妻が殉死という形で忠誠を示したという史実は、子どもの頃学校で美談として習って、ショッキングな記憶として残っています。
 ドラマの筋書きは以下の通りです。

肥後藩主細川忠利の死に際して、殉死を許されなかった阿部弥一右衛門は、 生命を惜しんでいるように見る家中の目に憤激して腹を切るが、一族は藩か ら殉死者の遺族として扱われない。弥一右衛門が先君の一周忌の席上で髻 を切る行為が非礼と見られ縛り首にされ、一族は屋敷に討手を迎え、全滅 する。

 私がこの頃気になって仕方がないのは、「サムライ」という言葉が、流行のように使われているることです。渡辺謙が主演した『ラスト・サムライ』もビデオで見たけれど、ストーリーも含めて何を言いたかったのかわからなかったし、今はスポーツの場でもやたらと安易に使われます。

 明治維新で薩長閥は、江戸幕府を倒すために、形だけの統治者だった天皇を江戸城に連れてきて、彼を「現人神(あらひとがみ)」として頂点に据えることによって明治絶対主義政府を作りました。しかしそれにしても乃木夫妻の殉死という事件は、人並みの軍国少年だった私にも異様な記憶として残りました。
 3月8日付朝日新聞の天声人語に、自ら第一次大戦に従事して重傷を負ったヘミングウエイが、後に書いた『武器よさらば』の中の一節を紹介しています。

「戦争以上に悪いものは存在しません」
「敗戦はもっと悪いぜ」
「敗戦が何ですか?家へ帰れます」

 敗戦で辛くも生き延びた実感がある私には、ずしりと胸に応えます。住んでいた岐阜市と、学校があった大垣市の空襲、そして動員先で毎日のようにやってきた米軍のグラマン戦闘機の機銃掃射。「敗戦が何ですか?家へ帰れます」は実感です。

 サムライという言葉を平気で使うマスコミや若い人たちは、命を捨てる覚悟で使っているわけではないだろうけれど、もともとサムライは、主君の為に命を惜しまず、殉死や、一歩間違えれば一族・女子どもまで虐殺されるという職業だったのです。私にはこの言葉は悪夢です。

 安倍首相は国民投票法案を強行採決し、憲法9条の改悪に手をつけるでしょう。周辺事態法という現行憲法の拡大解釈で、事実上米軍の戦争に加担しても、間違いないのは彼らは絶対に命を失うことがないことです。文民統制というのは、そんな意味合いではなかった筈です。

 言わせてもらえば、「そんなに戦争がしたければ、自分で行って戦争をやればいい !!」
 和子というたった一つの命の為に、全部の時間を使っている私には、この連中は国民のの命など、ブッシュと同じように数だけでしか考えていないと思えます。


 散歩の途中で。後ろは桜で、右側はレンギョウ。

 

 

 

 

 

 

 

 知事公館の庭で。

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