介護日記

 

 2007年4月24日

 暖冬で札幌の雪融けも例年より早かったのですが、風はまだ冷たく、和子の車椅子散歩は実現していません。以前は寒いと顔をしかめたりしたものですが、今はそんな 自己表現もできないでしょう。彼女に残っているのは聴覚と、相手が誰かを察知する 感覚だけのようです。

 この冬で和子が外出したのは、胃瘻交換の時に教え子のクリニックに行った時と、 私の付き添いで手稲の病院に行った時だけです。自己免疫力が落ちているから気をつけるように、とは常に言われているので、無理をしないようにしています。
 私の眼鏡の処方箋はまだ出ていません。4月初めに眼科に行ったときは、まだ視力が不安定で、「6月の運転免許更新までには間に合わせましょう」と眼科医から言われています。日常生活では不便は感じないのですが、パソコンに向かうとやはり疲れます。
 普通免許を取ったのは1962年だから、今年で満45年になります。70歳以上の更新前 にやらされる高齢者講習(今年は2回目です)でも、反射神経が落ちているのがわかるし、免許証を返上する人も出てきているようだけど、私たちには車は移動の手段として必需品です。

 安倍総理は「戦後レジームからの脱却」とことあるごとに発言しているけれど、私には「レジーム(体制)からの脱却」と称して、ありとあらゆることをやっている気がしてなりません。ほとんどが自民党(党名はいろいろ変わったけれど)が政権与党としてやってきたことです。高度成長のお陰もあって積み上げてきた、福祉・教育・平和・安全・・・あらゆるものをぶちこわしてきているのが肌で感じてわかります。今の高度成長は、「いざなぎ景気」と言われた65年から70年にかけての時とは全く違います。一部の階層にだけ富が集中して、「格差」が今ほど激しくなったのは戦後初めてです。
 そして憲法9条改定のための国民投票法案。投票率を全く議論しないで強引に強行突破しようとしています。仮に投票率5割で賛成が6割としたら、有権者の30%で憲法は変えられます。国会の3分の2の発議という条項があるにせよ。

 地球温暖化の勢いがただ事でないことは、京都議定書に調印もしなかったブッシュ 政権も危機感を持ち始めたようで、バイオ燃料をガソリンに2割混入するなどと突如言い始め、食料自給率4割、大豆ととうもろこしは9割をアメリカに依存している日本の大豆・とうもろこしを原料とする製品は値上がりし始めています。
 マグロやアメリカ牛肉を食べなくても生きていけるけれど、豆腐・みそ・醤油その他日本食のあらゆるところに影響が出始めています。しかも京都議定書の時と態度は変わらず、エネルギー消費を減らそうとは決して言わないところが、世界一のエネルギー消費大国アメリカの傲慢さでしょう。インド・中国などを初めとする発展途上国が、「今度は我々が使う番だ」と言っても、、それに対する説得力はある筈がありません。

 北極圏の氷がどんどん融けているニュース映像は怖ろしいし、南極上空のオゾンホ ールも観測史上最大だとか。オゾン層が少なくなれば、人体に悪影響がある紫外線が 増加し、皮膚癌患者は増加するでしょう。特に欧米人に。

 今年はアメリカの生物学者レイチェル・カーソンの生誕100年の年です。 カーソンはアメリカ内務省の水産生物学者として自然科学を研究、1960年代に当時州当局が積極的に散布していたDDTなどの合成化学物質の蓄積が環境悪化を招くことを指摘しました。彼女が1962年に発表した『沈黙の春』は、農薬類の問題を告発した書として米国政府にまでその衝撃が伝わったそうです。
 『沈黙の春』(原題:Silent spring)の邦訳は、最初『生と死の妙薬』というタイトルで、私も買って読んだのですが、内容は衝撃的でした。終戦時15歳だった我々の世代は体中にシラミがたかり、アメリカ占領軍が子ども達を並ばせて噴霧器でDDTの白い粉を浴びせかけた経験があるからです。
 この本はアメリカの化学薬品メーカーから総攻撃を受け、カーソンは辛い孤独な闘いを強いられました。
 カーソンが書いた自伝で忘れられない一節があるのですが、「私はこの闘いを続けるために、好きな映画も結婚も諦めました」というのです。

【本書を基にケネディ大統領は大統領諮問機関に調査を命じた。これを受けアメリカ委員会は、1963年農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追求。DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支 持する大きな運動が世界的に広がった】

と解説書に書いてあります。カーソンは、この『沈黙の春』を書いたワシントン郊外の自宅で、56歳で亡くなっています。たしか癌だったと思います。

 地球の環境汚染が危機的な状況にあると言われるこの頃、私は彼女のことを思い出します。

 今度の統一地方選挙で、高レベル放射性廃棄物最終処分場の立地調査を受け入れた高知県の東洋町は、反対派の町長が当選しました。日本中の放射性廃棄物の最終処分場を受け入れて、莫大な財政赤字を解消しようと前の町長は考えたようですが、

【半減期が長い物質や、なかなか安定元素に到達しない放射性元素の場合、崩壊が終わって安定するまでには、人類の時間の感覚からすると永遠に等しい時間がかかる】

と文献にあります。広大なアメリカ大陸のど真ん中に最終処分場を作るのとは話が違 います。4枚の地球プレートがせめぎ合い、狭い国土の殆どが断層に覆われている狭い日本で、最初から「トイレ無きマンション」と言われてきた日本の原発の放射性廃棄物はどうなるのかと怖ろしくなります。青森県の六ヶ所村に作った広大な一時保管施設はやがて満杯になるでしょう。
 数十年前、日本の原子力行政の基本を作った人たちは、もう存命していないかも知 れないけれど、「国家百年の計を誤る」とはこのことでしょう。相次ぐ発電所の事故隠しなど、原子力安全・保安院の存在意義が問われると思います。

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