介護日記

 

 2007年3月12日

 異常続きの冬でしたが、もう3月です。春はそこまできていると思うけれど、風は冷たく、「春は名のみの風の寒さ」です。

 手術で水晶体を義眼に替えた私の目も、だいぶ慣れてきました。通院している眼科クリニックで、あと1ヶ月ぐらいで新しい眼鏡の処方箋を書いてもらえそうです。古い眼鏡でも家事や介護は何とか支障はないのですが、新聞は眼鏡を外さないと読めないしパソコンを見たり書いたりするのには苦労しています。

 去年は7月と9月に私の介護休暇のため、和子を教え子Kがやっている療養型病院に預けました。そのあと私の白内障手術の時は、同じ医療法人の急性期病院に預けました。療養型は患者さんがずっと住み続けているので、いつベッドが空くかわからないのです。
 「2ヶ月に1度くらい、ベッドが空けば利用したい」と病院の相談員に話していたのですが、今年は和子の「脳室の異常な拡大」というプレッシャーもあり、普通に見えても連れ出して風邪などひかせたら危ないという思いもあって、相談員に電話して冬は和子と一緒に冬ごもりすることにしました。私は教え子の心臓血管専門医と相談して、冬の間はニトロ製剤を 増やしたりしているので、アタックらしいものもなく春を迎えられそうです。季節の変わり目が毎年アタックがあるので用心しています。

 前に和子の脳室が異様に拡大していることを書きました。その後、参考書やインターネットの検索で少し勉強しました。大脳の前頭葉・頭頂葉・両側頭葉・後頭葉のかなりの部分が脳室拡大で無くなっています。言語回路や思考中枢、人間の五感と言われる部分が大部分侵されています。聴覚野も大脳にあるのですが、声をかけると目をぱっ ちりあけて、こっちを見ます。家にいる間は、かつて和子が「バッハは神様です」と言った、そのバッハ全集をかけっぱなしにしています。

 10年以上前、ナショナル・ジオグラフィック日本版の“脳”の特集に、「音楽の記憶は脳の最も侵されにくい部分にあるらしい」とありました。まだ脳科学が解明しきれてない分野があるのだろうけれど、デイサービスのナースの一人にCTを見せたら、「和子さんは脳幹だけで生きてるんですね」と驚いたことがあります。正確に言えば呼吸中枢などがある延髄が大丈夫なのでしょう。

 でも毎日見ている和子は、全く普通です。散歩などすれば、いい顔で写真に写ってくれます。

 札幌はこの冬、-10℃以下の日はゼロで、観測史上130年目で初めてだそうです。地球温暖化はニュースに何度も出てくるけれど、本当に地球はどうなっていくのだろうと思います。

 5日の参議院予算委員会で安倍総理は、民主党の小川議員の従軍慰安婦問題についての「どういう強制があったか」という質問に、「河野談話は基本的に継承している。狭義の意味で強制性を裏付ける証言は無かった。官憲が家に押し入って連れて行くという強制はなかった。・・・間に入った業者が事実上強制したこともあった。そういう意味で広義の解釈で強制性があったということでないか」と答えています。

 1954年生まれという彼は、もちろん大戦中のことは体験していないけれど、こういう答弁をするのは彼の勉強不足か、知っていて、こう強弁しているのか・・・。日本人はとんでもない人間に政権をゆだねてしまったという実感がします。

 私は1930年生まれです。小学校に入った年に、盧溝橋事変が起こり(これは関東軍が仕掛けた謀略事件だったのですが)泥沼の日中戦争から太平洋戦争へと、日本は破局への道を進みました。当時兵隊として招集される軍隊の他に、民間人を軍需工場や占領地で、軍の命令で働かせる「軍属」という制度がありました。私の3兄は広島県の呉軍港の海軍工廠に軍属として徴用され、そこから軍の2等兵として招集されました。

 当時の私の世代以上の人はみな知っているけれど、「宣撫工作」という言葉がありました。画家や作家や、文筆家も軍属として動員され、軍の意向に沿った作品を作らされました。画家の東郷青児は、戦争中に軍の意向に沿った絵を何枚も描いたことで、戦後バッシングにあい、日本を捨ててパリに永住しました。

 「宣撫」というのは文字どおり「宣伝」をしたり「撫でたり」ということでした。でも片方では土地や家屋を奪って満蒙開拓団を送り込んだりしたのだから、これはもう宣撫などということではなく、ムチとムチでした。しかも戦線が拡大するにつれ、満州・中国だけでなく、フィリピン・インドネシアなど東南アジア全体に日本の占領地域は拡がり、至る所に軍の「慰安所」が作られました。もちろん軍の命令で、日本の軍属や民間人による有無を言わさない強制連行でした。

 もちろん戦後ですが、木造のトイレの様な小屋がずらっと並び、日本兵が行列をして順番待ちをしているのを本の写真や映像で見たことがあります。男ばかりの軍隊に「女」を与えなければ戦争に勝てないと軍の上層部が思っていたのだから、上層部から腐りきった、おぞましい軍隊だったというしかありません。

 安倍総理がいう、「間に入った業者が事実上強制したこともあった。そういう意味で広義の解釈で強制性があったということでないか」 というコメントに至っては無知なのか、無恥なのか、あきれてものも言えません。もし立場が逆で、彼の娘が敵の「民間人」によって拉致され従軍慰安婦にされても、彼は「戦争なんだから、いろいろあるだろう」 とでも言うつもりなのか。

 問題が深刻だから日本で国際法廷が開かれ、7ヵ国64名もの被害女性が参加して、自分たちが受けた凌辱・被害を訴えているのです。こんな姿勢で、北朝鮮による拉致行為を非難しても、国際的に説得力はないでしょう。

 「日本の国益と歴史教育を考える議員の会」の会長・中山成彬氏が、「我々は国益を守るためにやっている」と言い、安倍総理はその再調査に協力」などと言っています。
 アメリカの下院に有志議員から従軍慰安婦についての非難決議案が出され、いま問題になっています。「決議がどうなっても私の考えは変わりません」という総理の発言は「うそぶいている」としか考えられません。1993年の河野官房長官談話は「官憲等が直接これ(慰安婦の募集)に加担したこともあったことが、明らかになった。また慰安所における生活は強制的な状況下での痛ましいものであった。心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」というものでした。安倍発言に対する反発は、中国や韓国だけでなく、6日付のニューヨークタイムズ紙は「真実を歪曲する日本の態度は日本をより恥ずべき国にするだけだ」と書いています。

 この問題はまだ続きそうです。アメリカで民主党が多数を占めた下院と上院で可決されるような事態になれば、国際社会の中での日本の孤立化は必至です。
 被害女性が日本政府と、番組を自民党の意向に従って改変(直前になって短縮)したNHKを相手取って起こした訴訟は、NHK側にだけ責任を認めた肩すかしの判決だったけれど、事態はもう国際化しています。

 こう書いている間に日本中に春の嵐が吹き、各地で雪害が起きています。そして各地の原発や火力発電所の小さい(?)事故のニュースが新聞に載らない日はありません。高知県の小さな町で、原発の高レベル廃棄物の永久処分地に立候補した町長が出て、大騒ぎになっています。「トイレ無きマンション」と言われながら原発を作り続けたツケが数十年たって現実のものになってきたようです。
 「美しい国日本」などというセリフは、悪い冗談としか思えません。

 来月『介護日記』を書く頃には、雪も融けて車椅子散歩も可能になるでしょう。病気がどこまで進むのか、そら怖ろしい気もしますが、寄り添って生きて行こうと思っています。

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