介護日記

 

 2007年1月22日

年が明けて、以下のメルマガをお送りしました。

 雪もやんで、静かな大晦日でした。私と和子は、モーツアルトイヤー(生誕250年)演奏会のテレビを聴きながら年越しをしました。去年は正月早々、和子の救急車入院から始まりました。治癒が困難と言われた褥そうも完治し、その後は健康に過ごしました。和子は70歳になりましたが、10月の『介護日記』に載せた写真のように、顔の色艶も良く元気です。「新年おめでとうございます」と書きにくい世情ですが、また新しい年を元気に生きて行こうと思っています。

 そして数日後、以下のメルマガをお送りしました。

 おだやかな正月が終わりました。介護オフになる「魔の連休」でしたが、何とか腰も持ちこたえました。介護ヘルパーが入り、デイサービスも始まりました。腰の治療に通院している鍼灸院も始まりました。また元の生活に戻ります。教え子が何人か訪ねてきてくれて、なつかしい時間を過ごしました。
 たくさんの方から年賀状をいただきました。自筆の近況報告などに、私も一言書いて 返事を送るが例年でしたが、今年は私が体力的にも、時間的にも返事を書く余裕がないので、インターネットをやる方には、このメールで返事に替えさせてもらいます。本意ではないのですが、どうぞお許しください。
 明日(8日)から大嵐の予報です。太平洋の暖かい低気圧が北上して960hpまで発達し、そこにシベリアから寒気団が流れ込むという予報です。こんなパターンはほとんどない異常さです。地球大異変の兆候の一つでしょう。
 また新しい年を、和子と一緒に生きていきます。
 今年も、どうぞよろしく。
                            2007年1月

 さて、今年初めての『介護日記』です。

 11月に私が白内障の手術を受けて2ヶ月半経ちますが、まだ目の状態が安定しません。だいぶ良くなったと思うのですが、物が二重に見えたりして、パソコンに向かうのも少し不自由です。医師からは「安定するまで半年ぐらいはかかります」と言われているので、まだ新しい眼鏡は作れません。

 札幌は例年よりずっと雪が少ないのですが、歩道の雪は圧雪のままで、夜中に凍った上に新しい雪が積もったりするので、歩くのに注意が必要です。

 上にも書きましたが、和子は無事年を越し、普通に生活しています。しっかり着せて、外の空気にも触れさせてやりたいのですが、歩道の雪が融けるまでは車椅子は滑って無理なので、しばらくは冬ごもりです。厳冬期は2月ですから。

 CTで脳室が異様に拡大しているのがわかって、今更驚かないと思っていたのに、やはり少し応えています。「ボディーブローのように」というのはこんな感じかなとあと思ったりします。
 見た目は変わらないのに、病気は容赦なく進んでいます。「在宅介護は先が見えない」というけれど、介護のエネルギーより、この先病気がどうなるのか、という不安はあります。でも、あまり考えないようにしています。

 先週の週末、介護オフの日に、和子はひどい下痢をしました。自律神経が侵されているのだろうから、原因不明です。清拭(せいしき)をして着替えさせ、シーツを替え、・・・体を転がしながらやるのだから、重労働で腰にもきます。洗濯を三回りやって、半日が終わりました。介護オフの日でなければ、洗濯以外はヘルパーがやってくれるのですが。
 始末をしながら、下痢の判っていたら彼女は無念だったろうと思いました。和子がもう判らない状態なのが、せめてものことなのかも知れません。

 浦河高校山岳部の教え子が亡くなりました。漁業科だったので授業は教えてないのですが、山で3年間同じ釜のメシを食べました。
 襟裳岬に近い漁師の息子で、夏は一家で昆布小屋に泊まり込むので、彼とは春・秋・冬の付き合いでした。
 真面目で、寡黙で、ひたすら登っている男でしたが、C型肝炎から肝硬変、最後は肺にも転移し、肺炎で亡くなりました。酒もタバコもやめ、節制に努めていました。私よりひとまわり下で、64歳になる直前でした。お母さんから母子感染だったのですが、お母さんはキャリアーのまま発症せず、長寿を全うされました。
 今でこそ、どこのクリニックに行っても、B型肝炎・C型肝炎のチラシが置いてあります。私たちは小樽時代、それぞれ入院の時、検査をしてもらって陰性でした。彼の発症がもう数年遅ければ、定年まで勤めた会社での検診もできたろうにと考えると残念です。

 教え子が先に亡くなるのは身に応えます。山や図書館の仕事やらで、毎日のように会っていた教え子の場合は特にそうです。和子が居るのでお葬式には行けないので、和子のデイサービスの朝、同じ山仲間の教え子と弔問に行きました。穏やかな顔で眠っているようでした。

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