介護日記

 

 2006年12月17日

 札幌は毎日雪が降ります。初雪は遅かったのですが、最高気温が2度とか3度の日が多く、幹線道路の車道以外は圧雪が残り、それが夜間氷結するので、歩道もアイス バーン状態です。
 今年も春先から異常気象が続き、7月までは低温続き、8月は猛暑、9・10月は車椅子散歩もできたのですが、12月に入ってからは、真冬並みの日が続きます。
 地球全体では温暖化が続き、北極海の氷もどんどん融けているようです。このままでは数十年後の平均海面は数十メートル上昇するという気象学者の警告が、現実のものになりそうな気がしてなりません。

 前回の『介護日記』を書いてから2ヶ月過ぎました。こんなに間を空けたことは今まで無かったのですが、実は私が白内障の手術で1週間入院し、その間の和子は、例の教 え子Kの病院に預かってもらいました。

 よく言われることですが、手術の結果、視野はずっと明るくなりました。病室の窓から手稲の山並みが少し見えるのですが、左目は手術が終わって雲の間に青空が見えるのですが、右目では一面灰色の曇り空で、青い色が全く見えないのです。2日後に右目の手術も無事終了して退院しました。今は入院前に通っていた眼科のクリニックに通っ ているのですが、眼科医の予告通り視力が安定せず、パソコンもなかなか打てません。 安定するまで数ヶ月、新しいレンズに替えられないので、近況報告が遅くなりました。

 和子の脳のCT写真で脳室が極端に拡大していることは先回書きましたが、見た目ではあまり変化が無く、先回の散歩中の写真のように、一見病人には見えない表情を見 せてくれます。目が見えなくても、散歩をすれば風を感じるのでしょう。でも車椅子散歩は春の雪融けまでお預けです。例年だったらこの季節はまだ歩道の雪は降っても消え るのですが、札幌の積雪量観測地点の気象台の庭は根雪のままです。

 12月8日は1941年に日本海軍がハワイのパールハーバーに奇襲攻撃をかけ、太平洋戦争が始まった日です。学校に行く前のラジオの臨時ニュースの、アナウンサーの、「帝国海軍は・・・」という声の抑揚まで覚えています。私は11歳で国民学校の5年生でした。後に15年戦争とか、アジア・太平洋戦争とか言われる、日本軍閥による長い侵略戦争の幕開けでした。
 この12月8日、相変わらず「公共放送のNHK」は何の特集も組みませんでした。昭和天皇は最後まで自分の戦争責任に言及することを避けたままでしたが、今年、現天皇夫妻がサイパン島に慰霊の訪問をしました。15年戦争の犠牲者が3000万、日本人の犠牲者 が200万人と言われていますが、200万人のうち百数十万人の遺骨は南海の島や東南ア ジアのジャングルやシベリアの凍土の下に朽ち果てたままです。生き残った遺族の生存者も少なくなり、戦争の記憶も失われてきて、政府の遺骨収集は確か今年で終わった と新聞で読んだ記憶があります。

 そんな時に、政府与党は防衛庁を防衛省に格上げし、教育基本法の改悪法案を会期末のどさくさに成立させました。いじめによる子ども達の自殺が急増するほど教育現場が荒廃しているのが、国旗国歌の強制や教育基本法を変えて愛国心を強制することで 解決すると、本当に思っているのでしょうか。安部総理がお題目のように言う「美しい国」という言葉が、何と白々しく聞こえることか。
 就業人口の何割もの人間がワーキング・プアとかチープ・ワーカーと言われる国が、「美しい国」などと本当に思っているのか、神経を疑います。

 高校の必修科目の未履修問題。指導できる教員養成を殆どやらず、受験目前の生徒 に単位修得を強制したりしています。いったい「情報」などという教科を教えられる教員がどれだけいるのでしょう。小学校の英語必修もそうです。「有害無益」という議論があるなかでの強制です。
 私も経験があるのですが、1962年度から高校普通科1年生に地学2単位を必修にした ことがあります。大学で地球科学をやった私としては、自分たちが住んでいる地球のことを高校低学年に履修させることに全く文句はないけれど、その当時は高校地学の中身に幾らかでも関係ある大学の学科は、地球物理・宇宙物理。地質鉱物学科しかなく、全国合わせても稀少な数です。
 免許証は高校理科だけど、それは医師免許と同じで、内科医に、いきなり産婦人科をやれといううのと同じで、暴挙です。この2単位必修地学は何年もしないで消えて無くなりました。
 現場で出来ないことを教育課程を変えて押しつける、結果として現場では読み替え(二重帳簿)が公然と行われ、受験競争の激化とともにそれが常態化していたことはいま現場に居なくてもわかります。
 私は2番目の赴任地の美唄で、免許外の数学だけを担当しました。その時、「免許外教科担当許可願」とかいうものを道教委あてに出させられました。「お願いするのは、道教委の方でないか」と不思議に思いました。しかも前任地の浦河では5年間数学も教えたけれど、「許可願い」を書いた記憶はありません。

 今度の騒ぎは誰が言い出したのか忘れたけれど、この国には現場の事を全く知らない人間が教育課程審議会や、教育委員会事務局にいて、権力を振るっています。事情を知らない人が多いけれど、教育委員会は名誉職のようなもので、退職校長や地域の有力者で構成されていて、月に何回か呼び出されて、日当をもらって事務局の作った案件にOKを出すだけの、お飾りのような存在です。問題は教育現場を殆ど知らない事務局に権限が集中していることです。私は現職の頃、組合の交渉で、年度が変わると全く新しい交渉相手で、とまどったことがあります。
 いろいろ書きたいことが山ほどあるのですが、パソコンの画面が見えにくい状態なので、いつか又機会を見て書きます。
 明日も札幌は真冬日だそうです。

 (横浜の管理人がスキャナーで読み取ってくれた『北海道でとりくんだこと』の更新がしばらく止まっていました。私が校正をさぼっていたからなのですが、今回その内の一編を更新してもらいます。1970年の原稿で今から四半世紀も前に、当時あった雑誌への寄稿を頼まれて書いたものです。読み直してみて、現在の教育を巡るさまざまな問題とつながっている感じがします)

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