介護日記

 

 2006年8月31日

 久しぶりに『介護日記』を書いています。

 北海道は、例年は秋風が吹くお盆が過ぎても残暑が続き、30度を超す日もあります。暑さには強い私たちですが、ベッドのエアマットの上で寝ている和子は、毎日大汗をかきます。褥そう予防のためにエアマットが必需品なのです。

 8月初めに、以下のメールマガジン号外を送りしました。

 和子の褥そうが完治しました。日本の褥そう治療の第一人者と言われる医師の診察も何度か受け、和子の体調がとても良かったこともあったのでしょう。「奇跡の回復」と言う人もいます。やっときた北海道の夏空のもと、円山公園への車椅子散歩も再開しました。和子はすっかり元通りです。ホームページの更新が夏休みで、しばらくお休みですので、取りあえず報告します。

 暑い8月でしたが、せっせと車椅子散歩をしました。歩いて十数分のところに円山公園があります。ここは原生林がそのまま残っているので、巨木をわたる風も涼しく、和子も気持ちが良さそうです。

 円山公園と反対側に十数分歩くと道立近代美術館があります。特別展の「鑑真和上展」をやっていました。唐招提寺の金堂解体修理とかで、たくさんの仏像や絵画など、寺宝の数々が展示してありました。そして、いつもは御影堂に安置してあって、年に一度短期間しか御開帳していない、国宝の鑑真和上像が、特別のガラスケースの中に安置してあって、すぐ近くで拝観することができました。初めてお目にかかる脱乾 漆の座像は、想像していたよりずっと大きく、まだ彩色も少し残っていました。金曜日だけ夜7時半まで開いているので、その時間に行ったら比較的空いていました。別の日の昼間、隣の常設展示を見に行ったら、「鑑真和上展」は人でいっぱいでした。

 結婚して間もなく、唐招提寺と薬師寺に行ったことがあります。学校が冬休みの後半、本州の正月休みは終わったあとで、アルバムに残っている写真を見ても、人影が全く写っていません。40年以上前だし、観光バスや、修学旅行の団体が来るお寺ではなかったのです。
 和子が井上靖の「天平の甍(いらか)」を持っていたのを、出会って間もなく借りて読みました。唐の高僧鑑真が、仏法を日本に広めるために、十数度の難破を乗り越えて、遂には失明してやっと来日を果たし、唐招提寺を創建した話は感動的でした。戒壇院跡は礎石だけで、金堂も中の仏像も、少し荒れている感じでした。

 鑑真和上像は見れなかったけれど、芭蕉の「若葉して、御目の雫ぬぐはばや」という句碑が記憶に残っています。
 芭蕉の「笈の小文」の中に、次の一節があります。

  招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十餘度の難を
  しのぎたまひ御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ
  給ふ尊像を拝して、
         若葉して御めの雫ぬぐは ヾや

 薬師寺も東塔しかなく、西塔は礎石だけでした。古びた金堂の中の薬師三尊が、光り輝いていました。幾たびかの戦禍を生き延びてきたのでしょう。それが今は色鮮やかな金堂と東塔に建て変わったのを何年も前にテレビで見て、古都の古い寺に、あの色は似つかわしくないと思い、「もう行かなくてもいいね」と、和子と話したことがあります。

 その近代美術館に隣接して知事公館があり、その敷地内の一角に、札幌出身の洋画家・三岸好太郎美術館があります。夫人の画家・三岸節子や遺族から、早逝した好太郎の遺作200点余りの寄贈を受け、道立の個人美術館として新築したものです。去年の秋、ここでやった三岸節子展に行ったことを書きました。こぢんまりとした美術館ですが、定期的に展示替えをやっていて、静かで人も少なく館員も親切で、この夏も行きました。
 そのあと知事公館の庭を散歩しました。池や窪地のある原生林の面影が残る4ヘクタールの庭は大好きなのですが、先住民族の竪穴式住居跡がそのまま保存されていて、坂や木の根っこもそのままで、車椅子を押して歩くのは重労働です。ベンチが所々に置いてあって、読書している人もいます。

 都会の真ん中なのに、歩いて行ける所に、こんなにいろいろあるのは幸せです。和子は目がほとんど見えないようだけれど、静謐な美術館や、風が吹き渡る公園に行くと心地良さそうです。でも北海道の秋は短く、散歩できるのは、あと2ヶ月ぐらいでしょうか。
 今週から近代美術館でミロの特別展が始まりました。お天気の良い日に、また和子を連れて行こうと思います。

 NHKがBSハイビジョンで、「みんなで選ぶ日本の名峰」とかいう番組をやるらしく、コマーシャルを流しています。
 深田久弥が「日本の百名山」という名随筆を残しています。私も前に買って読みました。本州の山にほとんど登る機会が無かったので、まだ見ぬ山への憧憬を膨らませたこともあります。でもこれは深田久弥にとって心に残る百名山であって、その後起きた「日本の百名山」ブームは異常でした。NHKがBSで百回シリーの番組を放送したのがきっかけでした。「これで○○番目です。あと○○山で達成です」という変な中高年登山者が続出して、百名山を登るツアーまで現れました。そんな中で、羊蹄山の悲惨な死亡事故も起きました。一度しかここに登ったことがないガイドが、十数名の中高年の登山初心者を引率して、たしか2名の方が疲労と寒さで亡くなりました。
 深田久弥が沢歩きや長い縦走をやったのかどうか知らないけれど、山には、いろいろな魅力があります。死亡者まで出て、さすがにブームは去ったかと思ったけれど、まるで大河ドラマ(私は見ないけれど)の翌年には、その舞台になった場所が観光客であふれ、1年でさびれてしまう現象と同じだと思ったりしました。
 深田久弥が生きていたら、自分が書いたこの本を絶版にしたくなったのではないかと、私は勝手に思ったものでした。

 いったい、「みんなで選ぶ日本の名峰」とは何のつもりでしょう。その番組のコメ ンテーターに、有名な女性登山家の名も見えます。名峰にせよ、心に残る沢歩きや縦走路にせよ、人それぞれが感じ方があるのです。
 「みんなで選んで、どうするの??」としか、私には思えません。

 やはり、ひとりNHKだけが、たくさんの電波を独占して、高い聴取料の上にあぐらを書いているから、愚にも付かない番組を作るのでしょう。公共放送という看板を掲げるのなら、「公共放送」に徹するべきだし、電波数も聴取料も職員も、半分もあれば足りる筈です。強制徴収をしているイギリスのBBCについて、街頭インタビューで、「政府はウソをつくから信用できないけれど、BBCは権力に屈しないから信用できます」と言っているのを見たことがあります。もちろん民放のニュースでした。

 今年は61年目のヒロシマ・ナガサキでした。NHKは一応ニュースで慰霊式典を報じたけれど、夜には愚にもつかないバラエティー番組です。慰霊式典にだけ出席して、役人が書いた中身のない式辞を読み上げて、被爆者との懇談会には一切出ないで、さっさと帰郷した総理大臣と似ています。

 8月6日と9日、そして15日は一切の娯楽番組をやらないというくらいのことを、公共放送なら出来るはずです。民放でも「24時間チャリティー」などという、チャリティー番組をやっている局もあるのです。
 「平和アーカイブス」とか、「環境アーカイブス」とかいう、数十年前の番組をやっ ているけれど、見るたびに昔のNHKはまともだったと思うばかりです。

 民放のニュースで、アジアプレスの綿井カメラマンのレバノン報告を見ました。レバノンの首都ベイルートや南部の美しい港町ティールは、イスラエル空軍機や武装ヘリの無差別攻撃で「死のストリート」と化しています。瓦礫と破壊された車と、住民の遺体が並ぶ異様な南部。市街地上空から多量に撒かれたビラには、「ロケット砲を運搬しているとみなし、すべての車を空爆する」と印刷してあります。・・・・・これが、文明国がやることかと思います。
 この地域は第2次大戦後まで、アラブとユダヤの人たちが共存していた所です。イギリスが無責任な形で撤退し、そこにアメリカから大量のユダヤ人が移住し、イスラエル国家を建設してから、紛争が始まりました。以来60年の間にイスラエルは強大な近代国家になり、アラブ人は彷徨える民となりました。
 平和的に共存する機会も何度かあった筈だけど、今は果てしない殺し合いの地域、しかも圧倒的な兵力の差です。
 「ロケット砲を運搬しているとみなし、すべての車を空爆する」とは何事だろうと思います。綿井カメラマンのレバノン報告の映像は衝撃的でした。「死のストリート」の光景は忘れられません。

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