介護日記

 

 2006年6月3日 映画 「明日の記憶」

 前回の『介護日記』から1ヶ月余りたちました。
 その間に、北海道は桜と梅が咲いて散り、今はライラックの季節です。和子の褥そうは確実に良くなっているけれど、まだ皮膚科の往診医から車椅子に移る許可が出ていないので、散歩もデイサービスの利用も、もう少しの辛抱です。1月4日以来、寝かせられたままなので可哀そうです。

 和子の痰がからむので、私は長い時間は部屋を空けられず、買い物や調剤薬局や、区役所に行く以外は外出しないので、ごく近くの家の庭先に咲く花しか眺められなかっ たけれど、それでもレンギョウ・コブシ・モクレン、そしてツツジと春の花を満喫 しました。和子が車椅子散歩に出かけられるまで、ライラックが咲いていればいいのですが。

 天候は相変わらず不順続きで、ここ数日はまるで梅雨寒(ツユザム)を思わせる 涼しさです。何日か25度を超す夏日のあと、一気に最高気温が10度以下の日が続き、風邪がはやっているそうです。
 北極圏の氷はどんどん融けているようで、気象学者たちのシミュレーションでは、 50年後の地球の平均海水面は50センチも上昇するそうで、地球には怖ろしい未来が待ち受けているとしか思えません。世界の政治首脳会議に集まる面々は、自分の子や孫の世代の地球のことが気にならないのか、不思議でなりません。このままでは破局が近いのに・・・。

 4月から5月にかけて読売新聞北海道支社の記者から取材を受けました。
 5月13日から全国一斉に封切られた映画、「明日(あした)の記憶」に関わっての 取材です。俳優の渡辺謙がアメリカ滞在中に、この原作(同名のフィクションです) を読み、感動して作者に長い手紙を書いて映画化の許可をもらい、それに読売新聞が資金を出したようです。
 そして全国の支社毎に新聞1ページの大きさの特集記事を組むことになり、支社のある地域ごとに、主演の渡辺謙と樋口可南子のインタビューと、若年性アルツハイマー病の患者・家族に取材をするといういきさつでした。その記者がイン ターネッ トの検索で私のホームページを見付け、 4年前に出版した『和子 アルツハイマー病の妻と生きる』の版元・亜璃西社を通しての取材依頼でした。

 本が出た2002年はたくさんのマスコミから取材を受け、和子は元気だったので、自治体主催の介護教室などから講演の依頼を受けるとサポーターを頼んで、和子を連れて出かけたものでした。本は亜璃西社が商業出版として出してくれて、地方出版としては異例の初版4000部をほぼ売り尽くしたと聞きました。

 それから満4年たち、和子の病気も進行し、去年は薬疹と尿路感染の急性患者として2回、あわせて4ヶ月も入院生活をしました。いま寝たきりの在宅生活を余儀なくされているのも、2度目の入院で1ヶ月余りのベッド生活を送ったために筋肉が落ちて悪化した褥そうのためです。
 でも内科的にはほとんど問題がないので、車椅子解禁が楽しみです。本もホームページも読んで取材に来てくれた記者に、この4年間のことを補足しながら話したのですが、それでも2回で合計5時間も話しました。

 記事は新聞1ページの下3分の1が映画の広告で、上の3分の2が主演二人のインタビューと私たちの取材記事でした。二人の大きい写真の左にベッドの和子と、その脇の私の写真で、全面カラー印刷です。
 記事は、『夫婦、共に生きる 札幌の後藤さん』という見出しで、私たちの取材記事と、終わりの部分に私の主張がきちんと書かれていました。

【後藤さんが今も強く疑問を感じるのは患者への「告知」だ。病名を聞いた 患者の不安と不安による病状への悪影響、心理的なアフターケアの未整 備・・・。こうした課題が解決されていない状況で、冷たく事務的に病名が 告げられる状況を強く憂える】

 ホームページには書かなかったけれど、本の出版の為に加筆した部分があります。
 本の第1部、「ケアレポート」の1993年の初頭の記述(28〜29ページ)の部分に、

【同じころ、あるテレビ局の報道特集番組で、やはり初老期のアルツハイマー病である女性患者のドキュメンタリーを見る。これは、たまたま新聞のテレビ欄で見付け、録画して夜中にひそかに見た。この札幌医大病院精神科の患者は、数ヶ月の間に病気が急速に進行している。そして、その担当の医師が、「初老期の場合、うちでは患者さん本人のために、告知することにしています」と言い切っているのが気にかかった。「癌だと言われた方が良かった、と泣き崩れる患者さんもいます」と言いながら、「しかし本人の為に告知します」と言うこの医師は傲慢ではないか。テレビのナレーターは「この患者さんは、この冬を自宅では迎えられないでしょう」というが、「アルツ ハイマーと言われても、困ってしまう」と話すこの患者さんの病状は、そのころの和子ほどには進行していない。「この冬を自宅では迎えられない」という判断は誰がしたのか? 】

 2回の取材の間に、渡部謙がテレビに出た番組で、問題の告知のシーンが1分余り流れました。実際の映画がどんな風なのか、私は今和子を置いて映画館に行けないのでわからないのですが、彼が机を叩いて医者に喰ってかかり、そのあと号泣する彼を妻の樋口可南子がなだめるシーンがありました。
 和子の病気がわかったとき、立川市の病院には私と和子の姉が行きました。私たちにその専門医は、それこそ“事務的に”「中期症状です。どんどん進みます。ご家族は大変でしょうが、覚悟をしてください」と告知しました。
 和子がそこに居なくてよかったと、その時つくづく思ったのを忘れません。

 松井久子というテレビドラマのプロデューサーだった方が、初めてメガホンを取った『ユキエ』という映画があります。倍賞美津子が演ずる「戦争花嫁」が若年性アルツハイマー病になり、彼女とアメリカ人の夫、それに二人の息子や近所の日本人女性などが登場して、病気が進行する彼女を暖かく助けながら見守る様子を描いた、心にしみ通る映画でした。この映画は大手映画社の配給ルートに乗らず、実行委員会形式で全国を回ったので、当時あまり有名にはならなかったのですが、彼女の監督第2作の『折り梅』よりはずっと私は好きです。言葉が多くなくても、言 外に語らせた方が感動が残ります。(注:「戦争花嫁」とは、駐日米軍人と結婚してアメリカに渡った日本人女性のことで、当時こういう言葉で呼ばれていました)

 意外なのは告知社会のアメリカで、医師は夫だけを呼んで妻の病気を告知していることなのです。これは夫や家族に、彼女の病気に対処する時間を用意していることなのだと、ビデオを改めて見直して思いました。

 私の本には、ページ数の関係で載せられなかったのですが、ホームページのメニューの中の【物申す】のページ

28  「アルツハイマー病:告知の時代」ですか???
29  再論:「アルツハイマー病:告知の時代
    〜みんなで勘違いすれば、怖くない〜」のですか???

があります。映画の渡辺謙が告知されるシーンが、松坂慶子が扮する大学教授 が告知されるシーンとぴったり重なるのです。

 これは私の意見なのですが、告知の問題は成年後見のことと関連して出てきたのだと思います。高齢者施設で身寄りのない入居者の財産権が、タチの悪い施設側に食い物にされている・・・それで成年後見の制度化の必要性が叫ばれ、それに関連して「勘違い」の形で「告知社会」が野放しで始まった、という感じがしてなりません。
 【物申す】28の中に、教え子のナースからのメールの一部を載せています。

【今日、胃ガンが見つかり大学病院で手術を受けることになって挨拶に来られた患者さんがいました。担当のドクターから「あんたのガンは末期だから胃を全部取るよ。おなかを開けて広がっていたらそのまま閉じるかもしれないよ」と言われたそうです。つっけんどんの若いドクターらしく、最初に受診した時から、そんな人だと感じていたから仕方が無いけど、とてもショックだったと。食欲を無くして点滴を希望されました。処置中にも「自分がこんなになるまで気がつかなかったのだから仕方ないよね。自分のせいだもね。」など、諦めの言葉が出るのですが、この短期間の目まぐるしい展開を受け入れられない患者さんの姿がありました。ここに戻ってくるのを待ってますからとしか言えず、落ちこんで帰っていきました】

 告知の問題は、「自分のことは自分で決める」という“自己決定”の問題だと思う けれど、それは全くケースバイケースで、告知を望むかどうかの患者側の意志と、何よりも告知する医者の質の問題があり過ぎます。

 先日の泌尿器科通院で、昔の教師仲間に会いました。お互いにそんな病気を持つ年齢になったのですが、新聞のコピーを持っていたので渡して読んでもらいました。彼の息子が医師なのですが、彼は私の主張に共感してくれました。「今の医学教育のカリキュラムの中に、患者の心を傷つけない為の人間教育などはゼロだ」と。

 それは高校の教員養成についても言えることで、専門バカの一人に過ぎない一介の教員が、生徒の生殺与奪の権を握るのですから、怖ろしいことでもあります。私も、そんな仕事を生業(なりわい)としてきたのですから。

 映画『明日への記憶』は主演二人の好演もあって感動的なものになっているようですが、テレビでチラと見た告知のシーンが、やはり気になります。

 告知されなくても本人にわかってしまう病気はたくさんあるし、患者は意志が強いかどうかに関わらず厳しい現実に直面させられるのですが、働き盛りを襲う若年性アルツハイマー病の場合は、もっと慎重さが必用です。治療法が全くなく、告知されたことは忘れても、心に受けた傷だけは残るのですから。

 エーザイが出しているアリセプトという薬に誤解があるようなので、体験者の和子の夫として書いておきます。この薬は、ごく初期の場合に進行を少し遅らせるケースがあるだけで、半年もすれば元の病気の進行曲線に戻ってしまいます。

 エーザイが日本で売り出した頃のホームページに載っていた「画期的な治療薬開発!」という意味のコマーシャルは、いつの間にか消えています。
 この薬が治療薬などと言えるものでないことは明らかなのに、メールに飛び込んでくる情報では、この薬がメーカーが対象外としている中程度以上の患者に使用されていることがわかります。効果がないだけならまだしも、明らかな副作用があることです。
 和子の場合も混乱状態に落ち入り、ホームの医者から精神科受診を強く勧められたけれど、私は断りました。精神科に入院すれば、強い抗精神薬で元に戻らなくなることを強く心配したからです。そして当時会津に居た教え子の精神科医の助言による投薬で、数ヶ月かかってやっとアリセプトの副作用から抜け出したのです。

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