介護日記

 

 2006年1月20日 新・病床日記 その2

 和子の退院が延びました。
 緊急入院の症状は完全に回復して、退院できる状態になりました。しかし、入院前からの褥そうの症状が良くならず、17日外科病棟に移りました。オペで褥そうの縁を切り取り、肉芽(にくげ)の再生を待つことになります。褥そう部の内部がポケット状になり、外科医が外縁の一部をが切り取ったのですが、筋膜(筋肉を覆っている膜)が露出しているらしく、悪化するとそれが拡がって肺血症を起こし、命にかかわることもあるのだそうです。
 帰宅しても在宅でかかっていた訪問皮膚科の医師が来てくれるのが多くても週1回なので、在宅に戻って、訪問皮膚科に転医しても安全な状態になるまで退院はできないようで、最低今月いっばいはかかりそうです。外科医から、「この状態になると、全治までには半年ぐらいはかかります」と言われました。そんななわけで、まだ私の通院生活は続いています。

 北海道は年末から真冬日が続き、降雪量も例年の2倍を超すところが多く、事故も多く起きています。私の病院通いもたいへんです。
 シベリア大寒気団の中に日本列島がすっぽり覆われているのに、マクロに見ると地球温暖化は進んでいます。20年前と現在の北極の衛星写真が新聞に載りました。明らかに北極海の海氷は減少しています。私は数十年後の地球が心配です。

 北陸・東北地方の豪雪の死者が100人を超えました。震災や大火災ではないのだから、これは明らかに人災だと私は思います。ある地域が豪雪で孤立して何日もたってから、そこの自治体から自衛隊に救助要請が出され、自衛隊が重機やトラックを持って出動しています。救助が間に合わないでたくさんの方が亡くなっています。1983年豪雪以来、死者は最多と報じられているけれど、20数年の間に機械も技術も格段に進歩しているはずです。

 15日の新聞に以下の見出しの記事が載りました。
<有時・災害時、自衛隊機を「治療室に」 新年度に編成>
内容は、「阪神大震災のような大規模な災害や日本有事、テロなどの際、被災地の病院が機能しなくなる場合を想定し、防衛庁は06年度、航空自衛隊の輸送機内で集中治療室(ICU)並みの高度医療を施しながら、重篤な傷病患者を遠隔地の病院まで迅速に運ぶ『機動衛生隊』を新設する。16機のC130輸送機が配備されている空自小牧基地(愛知県小牧市)に常駐。防衛庁長官の「直轄部隊」として主に緊急活動にあたる』というものです。
 
 「有時」というと、自衛隊の米軍との一体化が連想されて何やらキナ臭くもあるけれど、それでも災害に対する即応体制が、いちばん機動力を持っている自衛隊で実現するのは一歩前進なのでしょう。

 ところで、阪神大震災満11年のニュースを読んでいて、いろいろ考えました。新しい記憶が駄目になった和子が、この大災害を記憶出来なかったことは前に書きました。はたからは全く普通に見えた彼女が、5000人もの死者を出した未曾有の大惨事のテレビ映像や新聞のカラー写真も記憶できないとわかって、病気の怖ろしさを思い知らされました。あれから11年です。「人生、いつ何が起きるかわからない」という思いは、生き延びてきた私たちも同じです。

 警察官や消防士が、常時何をしているかは誰でもわかります。阪神大震災のような時は、警察庁や消防庁が特別の体制を組みました。でも毎日降り続く豪雪に、警察や消防が対応できないのは明らかです。

 ふと妙なことを考えました。自衛官たちは、日常何をしているのかなあ、と。四六時中、仮想敵を迎え撃つ軍事演習をしているのでしょうか。
 アメリカには大統領直属の、強大な権限を持つ災害救助隊があると聞いたことがあります。もし自衛隊が、そのような民政面での仕事も任務の中に持っていたら、今度のような時、自治体の要請を受けてからの出動でなく、即時に対応できたのではないかと。重機やトラックや、屈強な隊員がそろっているのは、他の組織にはないのだから。
 自衛隊法の改正が必用ならやればいいけれど、今度の新聞記事の『機動衛生隊』は、記事からは法改正をするようには思えないのですが。

介護日記目次   戻る   ホーム   進む