介護日記

 

 2004年2月8日

 2月です。窓の外は雪が降ったりやんだりですが、時々青空も見えて、おだやかな日曜日です。12月までは暖冬で雪も少なかったのですが、年が明けてからは今までの分を取り返すかのように、まとまった雪が降りました。そして真冬日が続き、歩道の雪も融けず、車道は幹線道路を除いて圧雪のでこぼこ道です。
 1月の半ば、オホーツク海で猛烈に発達した低気圧が居座り、北海道は数日間暴風雪に見舞われました。例年なら気温が低くて雪が少なく、日照時間が日本一長い北見市の積雪が150センチを越え、北見工業大学を会場にしたセンター試験が1時間繰り延べになりました。ゴミ収集もバスも止まり、住んでいる人たちはたいへんだったでしょう。異常気象がこんなに毎年続くのは、地球の循環系がおかしくなっている証拠だとしか私には思えません。

 日曜日は介護オフの日なので、朝ゆっくり寝坊してふたりだけで過ごします。和子の白髪が目立ってきたので、髪を染めました。頭を洗うのに美容院のような設備は無いけれど、洗面化粧台で下を向かせ洗っている間、和子はちゃんと目をつぶっていてくれます。4年前の「ヘアダイ大事件」を思い出します。和子をホームに入れて、ひどい目に遭わせたと心が痛みます。
 車椅子での外出は無理なので、車椅子をリクライニングにして、音楽を一緒に聴きながら過ごします。部屋に置くスペースが無いので地下の物置に入れてあるバッハ全集を出してきて、改めて第1巻の教会カンタータから聴いています。「バッハは神様です」と昔から言っていた和子と相談して買った全集だけど、和子は殆ど聴かないでホームに入所してしまい、私ひとり自宅で聴いていました。いま和子は車椅子で時々目をつむって静かに聴いています。

 一時和子の体重が38キロまで下がったのですが、栄養補助剤も併用して43キロまで回復しました。少し前からナースが、週2回昼食時、ミキサー食のほんの少量を口から入れる試みをやってくれています。劇的に嚥下障害が回復したりはしないようなので、舌と口と食道の廃用化を少しでも遅らせるという所でしょうか。あんなに食いしん坊で、美味しいものが大好きだった和子が可哀想ではありますが。

 お正月は教え子たちや、元・高校山岳部の顧問仲間たちが訪ねてくれました。それぞれ数年前までの和子を知ってくれているので、和子の変化を私よりは実感したでしょう。以前はよく笑ったし、歌も正確に歌えました。いまはベッドのそばに行って、「和子さーん」と呼びかければ、そちらを見て「なーに」と返事をしそうな顔をするけれど、もちろん言葉は出ません。私はずっと一緒にいるので変化をそんなに感じないけれど、和子がいま出来ることは・・・とやはり考えてしまいます。精神障害1級・身体障害1級で最重度だけれど、隣の部屋のベッドで静かに寝ている彼女の横顔を見ていると、心が和みます。でも痰が喉にからむと苦しむので、吸引機で引いてやるのも結構忙しく、夜中に何度も起こされた時は寝不足です。何日か寝不足が溜まると、和子のベッドの脇に潜り込んで昼寝をします。

 私の本が出版されたあと、民放の北海道放送のニュース特集をご覧になったピアノ教師のOさんが、元ヤマハで和子と同僚だったNさんと一緒に和子を訪ねてくださいました。和子も私も初対面の方です。和子のことに感動なさって『奇蹟』というピアノ曲を作曲され、それを御自分がパーソナリティーをされている地域FM局でも電波に乗せていらっしゃるというお話でした。その後それをCDにされて、年末届けにきてくださいました。ヒバの木の薄皮を貼ったケースに入って、ほんのりとヒバの香りがします。そんなことが北海道新聞の2月3日付け夕刊の全道版の【まど】という囲み記事になりました。Oさんの言葉として「和子先生が一生かけて築いた音楽という財産を、闘病の支えにしてほしい」と書かれています。
 その記事を読んで、学童保育時代の仲間だった方から和子宛にメールを頂きました。お許し願って、その一部を引用させていただきます。

和子さん こんにちは
寒い日が続いておりますが体調はいかがですか。
昨日の道新夕刊・まど「奇跡」読みました。
後藤さんの献身的(今や生きがい)介護があるとは言え・・・・・
感動の発信元は和子さんあなたなのです。
昨日は節分、今日は立春。
もうすぐ春です。今年も、さわやかな風!花の香り!にまた出会えます。
桜のころ遊びにいこうかな?

 去年、ヤマハの楽譜売場で、モーツアルトのリート集を買いました。あの多作なモーツアルトのリートが、「モーツアルト歌曲集」全1巻に入ってしまっています。彼の歌心はオペラや演奏会用アリアに注がれたのでしょう。アリアはとても歌えないけれど、雪が融ける頃までには、和子が好きだった『春へのあこがれ』kv596を、錆び付いたドイツ語の錆を落として、和子のために歌えるように練習しましょう。

 本が出て間もなく2年になりますが、心を寄せてくださる方たちに見守られて生きてきたなあという実感がします。この病気は医学者さえ“人格崩壊”などと書き、精神病院や施設に入ったら片道切符で、生きていても世間から忘れられて消えていく、生きた痕跡さえ消されていくケースが多いのだろうなあと思ってしまいます。

 私は大学に入る前に前職があり、定年より早く教師を辞めたので、教師歴は31年で、最後まで平教員でした。生徒が好きだったので、授業や部活で生徒と付きあい続けました。職歴が短い分年金も少ないけれど、教え子という、かけがえのない財産も得ました。

 武装した自衛隊の第1陣が、政府専用機でクエートに飛び、陸路イラクのサマワに着きました。北海道旭川の部隊です。

日本国憲法 第2章 戦争の放棄
 「・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。・・」

 「永久にこれを放棄する」と憲法は規定しています。自衛隊の前身の警察予備隊以来、この憲法に守られて、日本は戦争に巻き込まれてこなかったし、自衛隊員に戦死者も出なかったのです。
 「危険だとは思うけれど、もともと自衛隊は、そういう職業ですから」と、インタビューに答えていた自衛隊員の醒めた言葉が、とても印象に残っています。
 立花隆が『月刊現代』に、「イラク派兵の大義を問う」というタイトルで書いています。アメリカとイギリスが始めたイラク戦争そのものの大義が問われています。ブッシュ氏やブレア氏がその開戦の大義を問われて言い訳に必死というニュースが流れています。
 でも自民党の憲法調査会は憲法第9条に手をつけようとしています。先に既成事実を作ってです。
 自衛隊に派遣命令が出た2004年2月1日は、日本の戦後史の一大汚点として、長く歴史に残るでしょう。

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