介護日記

 

 2003年11月21日

 1年が経つのははやく、年末に横浜の教え子が作ってくれるテキスト版1年分に収録する最終号になりました。今日は暖かく小春日和でしたが、明日は上空に氷点下36度の大寒気団がシベリアからやってきて、北海道は12月下旬の寒さだそうです。天気予報は一日じゅう雪だるまのマークです。和子を連れて三角山放送局に無事に行けるといいのですが。

 札幌西高の最初の教え子だった医師が所有しているマンションに、縁あって和子と入居したのが2月20日だから、ちょうど9ヶ月です。私たちはこのマンション3階に完成した介護フロアの第1号入居者でした。
 雪解けが始まる頃に入居して、春・夏・秋が過ぎて、明日は雪の便りです。天候不順で夏らしい暑さが少なく、そのまま秋が通り過ぎました。暖かい間は毎日のようにこのあたりを車椅子を押して歩きました。私が歩く速さとそんなに違わないので、1時間半も歩くと、かなりの距離になります。夏に大宮の教え子が実家に帰った時訪ねてきて、一緒にこのマンションから円山公園一帯を歩きました。歩道は車椅子ではとても歩けないので、車道を歩きました。大宮に帰った彼女からメールがきました。「あれは歩いたというより、行進したというべきですね」と書いているのに独り笑いました。そういえば現役の頃、デモ行進は車道の左端を歩きました。でも私たちは今は、すいている道を選んで車道の右端を歩きます。後ろからくる車はこわいので。たまに正面からやってくる自動車が向こうからよけてくれるので、まさに“行進”なのかも知れません。

 前号で地下鉄冒険外出のことを書いたら、その教え子から感想が届きました。彼女は埼京線の沿線に住んでいます。

 ここの駅も、そして大宮の埼京線ホームも、そして浦和にもエレベーターがありません。浦和なんて県庁所在地なのに!息子がベビーカーに乗っていたときは、階段でも乗せたまま持ち上げて運んだものでした。地下3階の大宮駅ではよく回りの人が手伝ってくれました。人の情けはとても嬉しいものですが、まず独力であたりまえにできてこそのものでしょう。先生と奥様がお二人で地下鉄に乗っていらっしゃるなんてホント夢のようです。行進がどんどん広がりますね。

 東京に住んだ2年間、医師から「どんどん進みます。覚悟してください」とは言われたけれど、高い山でなければ何処へでも行けたし、将来まさか駅の階段を使えなくなるとは予想しませんでした。あとから思い出すと、あの人口密集地域の東京周辺の駅は、エスカレーターが少しの駅にあるだけで、ホームから直結のエレベーターなど、お目にかかったこともありませんでした。幼い子ども連れの若い母親の苦労も、迂闊なことに気付きませんでした。常時不安な和子と手をつないでエスカレーターに乗り、邪魔だと叱られたことがありました。それでなるべくエレベーターを使ったのだけれど、これは改札口からコンコースに出てから、同じフロアのビルのエレベーターを使うので、ホームからのエレベーターは見たことがありませんでした。前回の号でリフトと書きましたが、辞書で調べたらアメリカではエレベーター、イギリスではリフトと言っているようです。

 雪解けのあとから8ヶ月ほど、和子といっぱい散歩(行進)をしたけれど、車椅子の人とはめったに出会いませんでした。寺山修司の「書を捨てて街に出よ」をフト思い出しました。「ベッドを捨てて街に出る」ことは、今の日本ではとてもとても大変なことのように思えます。箱物(ハコモノ;施設)を作って、年寄りや障害者をそこのベッドに入れておけば世話はないかも知れないけれど、そこで朽ち果てていくのは人間の生命です。和子も何年かその施設に居たけれど、文字通り畳の上で大往生をした私の両親を思い出すにつけ、「いつかは家に」という思いは断ち切れませんでした。慢性脳硬膜下血腫が見つかって入院したのが機縁で、医師の往診がある、そして緊急時いつでも駆けつけてくれる、という安心感は他に代え難いものです。季節の変わり目に必ずあった私の胸のアックが全くなくなったので、主治医(教え子の心臓血管専門医です)と相談して心臓の薬を減らしました。

 総選挙ではどの党も、「弱者に優しい社会に」などという、口当たりのいいスローガンを掲げました。でも、「家から外に出る」という基本的なニーズを満たすには、この国の社会的基盤は弱すぎます。まさに後進国並みです。大宮の教え子が書いてきたように、「まず独力であたりまえにできてこそのもの」です。北欧やデンマークでは、そういう人達は決して弱者なのではないという報告を読んだり聞いたりします。ハンディがあっても普通に暮らせる社会基盤を整えて、みんな普通に暮らしているのです。今の日本の状態は、まるで弱者生産国です。精神・身体の重複障害で口もきけず、自分が誰かもわからない和子だって、車に乗せてもらうよりは、他の健常と言われる人と一緒に公共交通機関に乗って移動すれば、それだけでも自立なのだと私は思います。車椅子が通行できないような歩道は作るべきでないし、都市基盤整備の名に値しないと思います。仕方がないから、私たちはずっと車道を“行進”します。
 全く筋の通らないイラク戦争の後始末に2200億円も使う金があったら、生きていく人間のために使って欲しいと、痛切に思います。いま大問題になっている年金問題と全く同様に大変な問題だと、政治家達は気付いていないのかも知れません。政治家なら、disabled にならないと錯覚しているのではないかと思います。老化はみんなに無差別に平等に訪れるのです。

 退院されたNさんからCDをお借りしました。Pure be natural というタイトルのCDで、いろいろな歌手の歌も入っています。リレハンメル・オリンピックの歌姫として有名になったノルウェイの歌手・シセル・シルシェブーが英語で歌っている“SEVEN ANGELS”という曲がきれいで、胸に響きます。彼女の歌を前に聴いたのは数年前のクリスマス・コンサートの録画で、彼女はノルウェイ語で歌っていました。和子はもちろん覚えていないだろうけれど、気持ちよさそうに聴いています。
 もう一人、私たちが昔から好きだったギリシャの歌手・ナナ・ムスクーリが何とまだ現役でした。もう60歳を過ぎている筈だけど、彼女が歌う“オンリー・ラブ”という曲も素敵です。両方ともテレビ・ドラマの主題歌や挿入歌だったようです。

 19日は第3水曜日で、札幌西高OBのメモリアル・コーラスの練習日でした。いつものように和子を連れて参加しました。前回は和子は検査入院で私は十勝の山に行っていました。今回参加して、前より表情がいいと何人かの方から言われました。混声4部の「美しく青きドナウ」は歌ったことはないかも知れなけれど、この曲はもちろん良く知っているはずです。彼女はたぶん、自分も参加して心で歌っているつもりなのだろうと思います。
 その1週間前の水曜日は、ケルティック・ハープという珍しい楽器の演奏を聴きました。その演奏家の方が、東京にいる私の教え子Mの札幌の実家に滞在して、そのうちの1日をボランティアで演奏してくださるということで、幾つかの障害者施設の方たちと一緒でした。私の車を修理に出しているときだったので、別の教え子が迎えにきてくれました。カレー屋さんの、昼間クローズしている時間帯でした。雨の日で、和子の車への乗り降りは大変だったけど、手伝ってもらって何とか濡れないで参加できました。ケルト族に伝わる民族楽器で、ケルトの曲を何曲か演奏された後、日本の曲を弾いてみんなで歌いました。私の隣にいたMのお母さんが、「和子さん、口を動かして歌っているみたいでしたよ」と言われました。

 いろいろな機会があって、和子なりの社会参加を続けています。

 去年ホームページに新しいメニュー『北海道でとりくんだこと』がオープンしました。これは和子の病気がわかった年(1992年)に私家版としてできた100ページほどの小冊子ですが、その中の一編『地球があぶない 高校理科で地球と人類の未来を考える』を、東京の教え子Yがホームページに載せる形にテキスト化をしてくれました。これは私の教師生活最後の年(1987年)の、室蘭清水丘高校での授業実践の記録です。小冊子の中からこれを選んでくれたのはYです。インターネットをやらない方たちにお送りする分は、去年の印刷の最後に載せてもらったのですが、授業から16年経って、地球環境問題が人類にとってますます重要な問題になってきたので、今年その追記を書いてホームページに載せてもらいました。今年印刷してもらうテキスト版に、その追記部分を載せないと完結しないので、横浜のホームページ管理人からの指摘もあって、この部分をメールマガジンに採録します。
 北海道電力の泊原発3号機の着工が今日21日経済産業省から認可されました。2号機のひび割れ事故から始まって、1号機も止めて点検し、その間は火力で対応できていました。3号機は91万キロワットという、それだけで道内需要の何十パーセントかをまかなえる巨大原発です。事故の危険を別にしても、依然として「トイレ無きマンション」という、放射性廃棄物や寿命がきたあとの廃炉の問題は後回しにしたままです。イラク情勢が緊迫して、トルコにまで飛び火し、自衛隊の派遣問題に関心が集中している、そのどさくさまぎれの認可かと疑いたくもなります。

 『地球があぶない 高校理科で地球と人類の未来を考える』 追記
 16年前、私と同僚の地学の教師が実施した授業で、一緒に考えた生徒達は、この春31歳です。「生徒達はこの授業を覚えていてくれるだろうか」と、いま思います。教師生活最後の年、素敵な感想を書いてくれた1年生と出会えて幸せでした。
               2003年7月25日、札幌 にて

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