介護日記

 

 2003年6月15日 新緑の6月に

 一昨日・昨日と久しぶりの雨でした。
北海道はここのところ晴天が続き、気温も7月上旬という日が多かったのです。 私の心臓は暑い夏はご機嫌なので安心できるのですが、梅雨前線が北上してくる7月は梅雨寒(つゆざむ)なので、例年少し身に応えます。
 6月に入って毎日和子の車椅子を押して3キロぐらい歩いています。からっとして湿気が少なく、このあたりは街路樹も多く、車の少ない道を選んで歩き続けています。

 このマンションに住み始めて間もなく4ヶ月になります。もう4ヶ月もたったのか、という感じもしますが、冬のさなかに越してきて、もう夏は目の前です。

 胃瘻(ろう)から入れるミキサー食は毎食になりました。胃に入っているチューブは何回か太いのに変えて、今は20Fr(フレンチ)という太さになりました。径が7ミリ弱です、私が食べる物と同じ物をミキサーにかけ、チューブを通して胃に入れてやります。顔色も良くなり肌もつやつやして、病人には見えません。ミキサー食とはいえ、やはりメーカーが作る「完全栄養剤」なるものとは全然違うことを実感しています。口からではないけれど、食べ物を胃袋に入れるのだから、そのあとは普通の食事と同じです。口からのゼリーも少しずつ食べています。

 毎日ナースかヘルパーの朝のケアで1日が始まります。その前に朝食を済ませておきます。朝は自家製のパンとミルクとジュース(キャロット100%のジュースと、りんごジュースを混ぜます)、それに目玉焼きにトマトとアスパラかカイワレ、キュウリを添えます。夏野菜の露地物が出始めたので、いっぱい食べています。ミキサーは味を確かめながら、お皿ごとに何回かに分けて入れます。
 パン焼きはホームベーカリーという全自動の優れものの2代目、お店のパンを買わなくなって、もう20年ぐらいです。浦河高校山岳部の教え子で、父親からお菓子屋を引き継いだ生徒が、「先生、大豆タンパクを取るんだったら、パンにきな粉を入れるといいですよ」と教えてくれました。青大豆きな粉が香りがいいので、もっぱら青大豆きな粉入りの食パンです。

 月曜から金曜までは、このクリニックの食堂で皆と一緒に昼食会です。ドクターを初めスタッフと、それに介護フロアの利用者の全部で10人余りの会食です。私も週1回の当番を引き受けて、みんなの食事を作っています。
 食堂はクリニックの待合室の続きですが、いつもクラシックのCDがかかっています。ドビュッシーからバッハ・ベートーヴェン、それに武満徹まで、ほとんどピアノ曲ですが、ピアノを自分で弾くドクターのもので、壁際には彼の愛用のピアノがあります。
 ピアノを正式に習ったことがないというこのドクターは、35年前わたしが札幌西高に転勤した年に2年生の物理を担当した教え子ですが、先週午後の訪問診療に出かける前に少し時間があるとかで、「今日は和子さんのために何か弾きましょう」というので、ちょうどピアノの上にあった楽譜の、ベートーヴェンの月光ソナタを和子に代わって所望しました。和子は少し上気した顔で聴いていました。
 小樽の特養ホームにいたとき、水前寺清子の「365日のマーチ」が毎日かかり、そのあと演歌のテープでリハビリ体操があったのを思い出します。「文化の問題は、人によっては命にかかわる問題だ」ということを知らないスタッフ達が提供するサービスは、耐え難い思いがありました。私はストレスが溜まらないように、その時間を避けてホームに行くようにしていたのですが、和子は何年もこういう場にさらされていたのかと思うと可哀想です。和子はビートルズもシャンソン好きだったし、時々は歌っていたけれど、演歌は嫌いでした。
 ドクターからCDを借りて、自室で和子と聴き続けています。リヒテルが弾くバッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲や、グレン・グールドのベートーヴェン「ピアノソナタ全集」などです。病気は重度になったけれど、音楽は彼女の生命の源泉なのでしょう。

 きょうは日曜日。土曜と日曜は朝1回だけナースかヘルパーの介護がありますが、そのあとは終日、和子と私の時間です。そして今日は月1回の介護オフの日曜日です。「夫婦の時間」と誰かが言ったけど、昨日と今日は「夫婦だけの時間」の中で一日を過ごしました。41年前に出会った頃のことを思い出しています。いま会話は成立しないけれど、こちらの言葉は通じるし、40年の夫婦の続きです。

 夕食はもちろん2人分作ります。1人分も2人分も手間は同じだけれど、ミキサー食の用意はけっこう時間がかかります。おひたしや冷や奴やデザートなど、素材の味を残したい時は、別々にミキサーにかけます。

 和子は先月後半からPT(理学療法士)の訪問リハビリを受けています。「最初の到達目標をどこにおかれますか」と聞かれて、「自分の足で立つこと」と答えました。今はベッドから車椅子への移乗も自力では全くできないけれど、ちょっとでも立てれば、和子用に買った、助手席が回転する車への移乗も簡単にできます。車椅子の散歩も悪くないけれど、以前みたいに彼女を車であちこちに連れて行きたいです。PT(女性)と話していて、彼女も「学童」の親仲間だとわかりました。30年前私たちの世代が作った共同学童保育の運動が拡がって、いまこうやって働く母親・父親の仕事を支えていることに、いささか感慨があります。

 在宅介護は自分で選んだ道だし、特別な条件にも恵まれているけれど、時間が無くなったのは事実です。パソコンに向かう時間がなかなかとれず、1ヶ月以上書けなかったけれど、私も和子も元気です。
 今日の午後、車椅子を押して散歩に出たついでに、近くのスーパーに寄りました。買い物にきていた中年の女性から、「テレビ見ましたよ。がんばってくださいね」と声をかけられました。やたらに「がんばって!」と言われるのは好きでないけれど、こんなときは素直にうれしくなります。

 有事法制3法が国会を通りました。いちばん問題な国民保護法案は1年以内にということです。順序が逆だとしか思えません。戦争が始まったら国民の権利と生活はどうなるのか、それは前の大戦を経験した人ならば誰でもわかります。国家総動員令とかいう戦時法令で、国民の権利などは無視されました。空襲の時の延焼を防ぐ為という「大義」の為に、たくさんの住宅が引き倒されました。自分の目で見たことと、戦後本や写真で見たことの区別が判然としないけれど、大戦末期の14〜15歳ぐらいの記憶です。そして今度はイラク支援法案で、与党の中まで大もめです。折しも、「イラクの大量破壊兵器の存在はCIAのでっちあげ」という、アメリカからのニュースが報じられています。

 グレゴリー・ペックが87歳で亡くなりました。映画評論家の渡辺祥子が新聞に書いています。「米国の一昔前の理想の男を体現していたと思います。『アメリカ=正義』と思えた時代が懐かしいですね」。
 小泉政権は、常軌を逸しているとしか思えないアメリカの政権にくっついて、日本という国をどこへ連れて行こうとしているのか。戦後半世紀、どの政権も手をつけなかった有事法制です。60年安保の時を思い出します。事が事だけに、国会を取り巻く大きなデモンストレーションが起きても不思議ではないけれど、世論調査の結果では、小泉政権の支持率は10ポイントも上がったとか。
 小泉首相は「備えあれば憂いなし」などと床屋政談のような気楽さで話しているけれど、憲法は厳然として生きているのです。憲法はもちろん国の最高法規です。

 「・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・」 日本国憲法前文

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