介護日記

 

 2003年5月7日

 「学童」の時の仲間から、こんなメールが和子あてに届きました。「学童」とは、働く親と子どもたちのために、親と指導員たちが作って運営していた共同学童保育所とその運動のことです。
 和子あての手紙だけど、和子は許してくれると思うので、そのまま載せます。

和子さんへ

こんにちは。
ゼリーを食べられるようになったんですね。おめでとう。
やっぱり若さですね。
早くに病気になってしまい、思いどおりにならない悲しいこともいっぱいあるでしょ うが、治さんに手伝ってもらいながら長生きしてください。

春です。もうすぐ桜も咲きます。今度は散歩・・・・・・のできる日を楽しみにして います。  H.

 この病気は進行性で、治療法がありません。先ごろ喧伝された新薬も、ごく初期に進行を一時期遅らせるだけで、治療薬といえるものではなかったし、遺伝子レベルの研究が進んで、脳内物質の分泌をコントロールできる薬が開発されるのはずっと先のことでしょう。まして、消滅してしまった脳細胞の再生などは夢物語です。そういう意味では、たくさんある難病の中でも、極め付きの業病なのかも知れません。
 そんな 患者の心の状態が読めなくなった脳生理学者の誰かが「人格崩壊にいたる病気」などと書いて、そのあとはどの教科書も「人格崩壊」と書くようになったのでしょう。自分の心を表現できなくなった患者の心を推定するのは並大抵ではないにしても、お粗末です。
 そしてその裏返しみたいに、状態が良くなった患者の状態を「奇跡だ」と言う人がいます。自然科学徒の端くれとして私が思うのは、重度のアルツハイマー病で、介護保険が始まった当初から要介護5だった和子が、普通食を食べたり、歩いたり、笑ったりしたのは、もちろん奇跡なんかではなく、彼女自身の中に残っていたものの力でしょう。病気がわかって11年、推定発病時期から15年を超え、ずいぶん進行したと思うけれど、それでも生きている限り残っている能力や感性はあるはずだと思って、毎日を過ごしています。

 H.さんからのメールには、思わず胸が熱くなりました。
 和子が人一倍好奇心と才能に恵まれ、やりたかったことがどんなにあっただろうと思うと胸がつぶれそうになるけれど、嘆いていても仕方がないので、寄せられるたくさんのエールに支えられて、私たちは生きています。

 そして、その春がきました。桜の花が咲きました。桜と一緒に梅もコブシもレンギョウも、5月の声に誘われて一斉に咲き始めました。
 連休の3日・4日は私一人で和子の車椅子を押して円山公園に行きました。天気も良く、暖かくて、本当に「花より団子」で、人・人・人でした。
 そして連休最後の5日、ヤマハで同僚だったNさん、それにHBC(北海道放送)の取材カメラが入って、6人で円山公園を歩きました。
 和子はナースに着物を着せてもらって、素敵でした。ずっと前、私の母が作ってくれた和子のお気に入りの小紋です。それにナースからもらったピンクのショールが良く似合って、華やいで見えました。

 前号で和子がゼリーを食べたと書きました。その後微熱が出たりして、誤嚥の危険もあるので、「常時口から」という状態ではありません。でも3食胃瘻(いろう)から栄養剤を点滴で入れていたのを、2食までミキサー食に変えました。私が食べるのと同じ食事をミキサーにかけて、胃瘻のチューブから入れています。 顔の生気が一段と良くなったようです。取材にきたHBCの記者は、「退院の時とは、まるで違います」と言いました。
 そんなあれこれも含めて、HBCの特集が9日(金)に放送されます。今回で4回目です。夕方6時過ぎの「テレポート2000」というニュースの時間帯の特集です。多分6時半ごろになるでしょう。

 和子が好きだったモーツアルトの歌曲『春へのあこがれ』 k596 のメロディーが浮かびます。今日は久しぶりの雨だけど、晴れたら又公園に散歩に行きます。車椅子をゆっくり押して、10分ぐらいで円山公園です。桜が終わったら新緑の季節です。

 春の風はまだ冷たいけれど、 「風立ちぬ いざ生きめやも」 です。

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