介護日記

 

 2003年4月24日

 春の陽気に誘われて、円山公園に花の下見に出かけました。でも公園内の桜の蕾はまだ固く、予報どおり開花は5月初め頃になりそうです。

 このマンションに居を移して、ちょうど2ヶ月になります。円山(まるやま:200メートル少しの神社山です)と公園が近いとはいえ、町の中のマンション暮らしなので、小樽の谷あいに住んでいた時のような、季節の変化はわかりません。あっという間に雪が融け、春がやってきたという感じです。小樽ではマンションの周りの雪の山が少しずつ減ってきて、山から流れてくる沢の雪が融け、雪解け水が勢いよくほとばしり、ふきのとうが顔をのぞかせ、そして川沿いに福寿草が咲き、柳の芽が膨らんで、そしてコブシの花が一斉に谷あいを埋め、そんな感動が毎年味わえました。小樽に移り住んで何年もの間、和子と手をつなぎながら歌を歌って毎日歩きました。この季節は、「春は名のみの風の寒さや・・」を毎日歌いって歩きました。「春のうららの隅田川・・」は、もう少し先でした。

 一昨日私が病院に行って帰ると、スタッフたちが騒いでいました。和子が50グラムほどのゼリーを、きちんと食べたというのです。入院中に何度かトライしたけれど、誤嚥するので、退院まで止めていました。昨日も別の味のゼリーを食べました。まだゼリーだけですが、とにかく口からきちんと食べたのです。ナースの2ヶ月に及ぶ嚥下リハビリの結果でした。
 実は先週教え子の女医の病院に行って、2度目の胃ろうチューブの入れ替えをしました。ミキサー食も入れられる太さになったので、昼食は普通の食事をミキサーにかけて入れ始めたばかりです。
 和子は製薬メーカーが作った栄養剤だけで生きてきたのですが、胃袋にミキサー食とはいえ、普通の食物が入るようになったのです。表情も顔色も目に見えて良くなり、ナースやヘルパーに笑顔らしき表情も見せるようになりました。胃袋や嚥下力の廃用化は無事に切り抜けそうです。取りあえずは、「口から食べる楽しみも併用して」と女医が予想した通りになりました。
 和子は4ヶ月余りずっと寝たままだったので、足も手もすっかり萎えました。車椅子に移乗するときも、自分の足で立てないので、まるまる抱えてやらなけれなりません。でも円山公園の花見に車椅子で出かけられます。和子の「復活の春」とまで言えるのか先はわからないけれど、やっぱり希望の春です。

 このパソコンのモニターの向こうに、ベッドで穏やかに眠っている和子の顔が見えます。介護ベッドの頭部を上げて30度ぐらいの角度が、いちばん痰が出にくいようです。そのままでは褥そうが悪化するので、ベッドのマットの上に敷く体位変換用のエアマットがあります。指定の時間ごとに空気が左右入れ替わり、指定の角度に体位を変えてくれます。
 ホームにいると介護保険の自己負担は全部込みで請求されるので、内訳はケアマネに聞かなければわからないけれど、在宅介護でケアマネとナースと相談しながら介護用品とサービスを選ぶと、介護保険制度の仕組みが良くわかります。和子が現在、介護保険のリースで使っているベッドと付属品、それに車椅子は合計5000単位、その10倍がリース業者に支払われる金額で、9割は市の介護保険財政が持ち、1割=つまり和子の場合は毎月5000円がリース分の自己負担です。要介護5の35830単位の残り3万単位あまりが、訪問ナースと訪問ヘルパーの派遣費用です。
 和子が払う年間リース代金は5万円の12か月分の60万円、車椅子もベッドも1年や2年で壊れるものではありません。介護保険制度が発足する前、かつてロッキード事件の時の鬼検事として鳴らし、定年前に退職して「さわやか福祉財団」とかいうNPO法人を作った堀田力氏が、テレビや講演会で介護保険は何百億円市場を作り、景気が良くなるという意味の話をしていました。本当かなあ、と思っていたけれど、景気に与えた影響はともかく、介護保険のお陰で介護用品の業界は繁栄しているようです。競争原理が働かないからなのか、量産できるものでないせいか、びっくりするような価格です。そして施設を経営する業者の不正受給は激増しています。
 ともあれ、患者本人はリース料の1割だから、そんなに負担感はありません。でも、かつては各自治体の措置制度としてやっていたヘルパー派遣や介護用品の支給・貸与が、介護保険制度が始まって以来、全国一率になり、払いきれなくて満度までは使っていない人が多いと聞きます。デンマークやスェーデンのように、国や自治体が介護用品のセンターを直接運営し、必要な障害者は無償で借りられるという制度は信頼できるけれど、どうしてか日本の制度はそれを学ばなかったようです。すべて民間任せで競争原理は働かず、そして年金の少ない人はその1割負担分も払えないでいる現実をどう考えればいいのでしょう。何とか払える私たちは幸せというべきなのでしょう。

 17世紀から18世紀のフランス・ヴェルサイユ時代に活躍したマラン・マレという作曲家のCD、『スペインのラ・フォリア』という曲を、ここしばらく和子の枕もとで連続してかけています。パーセルという古楽演奏家の率いるクァルテットが演奏しています。フォリアとは舞曲の形式のようです。私たちが結婚する前、和子は美唄のヴァイオリン教室の、小学生の男の子の演奏のピアノ伴奏を引き受けました。演奏会は札幌であったので、前年札幌に転勤していた私も聴きに行きました。心にしみるヴァイオリンの音色で、1度しか聴いてないのですが、メロディーをしっかり覚えました。その後何度かFM放送で聴いたので、一昨年レコード屋に頼んで探してもらい、輸入版が手に入りました。ヴェルサイユ宮殿の花形音楽家だったというこの人は、生前550曲も入った曲集を出版したそうで、そのうちの何曲かが、縁あって私たちの心に残っています。病気が進行した和子の心に今どんな風に響いているかわからないのですが。

 イラク戦争はとても“戦争”とは言えないような結末を迎えそうです。開戦の理由になった“大量破壊兵器”など発見されず、超大国による一方的な平定でした。「イラクの次は北朝鮮」だと、北朝鮮が思っているのかどうかわからないけれど、とにかく人類の未来を武力で決めようとする愚かな行為を、大国はいつまで続けるのでしょうか。

 横浜の教え子が教えてくれて、「国立大学法人法案」に反対する意見広告に名を連ねました。僅かばかりの醵金もしました。国立美術館や博物館の法人化が、ろくに議論もされないまま、国会を通ってしまったのは去年だったでしょうか。今度は対象になる大学の数も多いし、おおごとだと思います。国際的な緊張や凶悪事件が相次ぐどさくさに、この国の官僚と与党は何をしようとしているのか、こんな日本の未来は展望が持てません。

 夜中に痰を取ってやるために私がいささか寝不足で、かつ運動不足なことを除けば、私の体調も順調です。

 女性の法務大臣が就任したとたんに、何人もの死刑を執行したり、女性の文部大臣のもとでの今度の法案です。書くことはいっぱいあるけれど、続きは春の便りと一緒に次号で。

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