介護日記

 

 2003年2月14日

 2003年2月、北海道はまだ厳冬のさなかですが、和子と私は札幌の住人に なります。
 和子が住んでいた小樽の特養ホームは胃瘻からの経腸栄養をやってくれないので、和子は戻れません。幸運な幾つかの偶然が重なったのですが、かつての札幌西高の教え子で、札幌の円山で訪問診療所を開いている医師が経営するマンションに明日小樽から引っ越します。私たちが住むフロアは「介護を必要とする居住者」専用のフロアで、同じマンションの別のフロアに、その医師とナースとヘルパーがそれぞれ住んでいます。和子は経腸栄養摂取をやりながら嚥下リハビリと体のリハビリを続けます。和子の入院中、私は経腸栄養のやり方に習熟したので、退院後は主として私がやります。理科の実験よりずっと簡単です。爆発や感電の可能性も、病人の感染の怖れもありません。こんなことがナースが何人も居るホームで何故サービスメニューに取り入れられないのか、理解に苦しみますが。

 しばらくは痰の吸引も必要ですので、それも習熟できるよう練習しています。こちらは上手にやらないと病人は苦しみます。
 基本的には私がやる在宅介護ですが、同じ建物にスタッフが居住していて、そこからケアマネが組んでくれるメニューで訪問してくれます。そして緊急時対応がいつでも可能という、安心感があります。経費的にも何とかやっていけそうなので決めました。来週中には和子も迎え入れて、一緒に生活を始めます。
 病気がわかってから10年余り、施設を利用しながら「在宅に戻したい」という思いは片時も頭から離れなかったのですが、これでやっと本来の形になりました。小樽で在宅介護ができれば良かったのですが、「月〜金(祝日を除く)の9時から5時まで」というブラックユーモアの様な小樽の訪問介護・看護事情のところでは、とても生活の安全は保てません。札幌は24時間サービスが普通です。隣の市なのに、この違いは何なのでしょう。人口15万と180万の違いなのか。札幌市と小樽市の間に海までせり出している張碓(はりうす)峠があります。そこを境にお天気が激変することがありますが、介護事情も「峠を境にして」激変する様です。もちろんユートピアなんてないし、どこも問題を抱えているのだろうけれど、「利用できるシステム」が存在するのと、しないのとでは、天地の差があります。

 4年間こき使った私のノートパソコンも、そろそろ寿命だそうですので、この機会に入れ替えます。中古のデスクトップ一式を知人のITエンジニアに頼んでいます。新居は光ファイバーが入っているので、その切り替えも含めてインターネットは1週間ぐらいおやすみです。開通したらまた連絡します。3月はもう目の前です。気温は低いけれど、日が長くなって、春が近いことを教えてくれます。引っ越し準備で私が病院に行かなかった日、心優しい教え子がヴァレンタインのチョコレートを病院に届けてくれました。和子はまだ食べられないけれど、食いしん坊の和子が、口から食べられる日がくることを待ち望んでいます。

 和子がうちに帰ってくる! 私は心浮き立つ思いです。

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