介護日記

 

 2003年2月1日

 今日から2月です。昨日は大雪で、JRの駅から病院へ往く道は、歩道をラッセルして何とかたどり着いたのですが、帰りはたいへんでした。JRも小樽のバスもほぼ無ダイヤで、病院から3時間もかけて小樽の家に帰り着きました。でも数年前のように、小樽がまる一日陸の孤島になった時と比べればましでした。

 先週和子が生活していた特別養護老人ホームに行って、契約解除の手続きをしてきました。病院に見舞いにいらした何人かの方には途中経過をお話ししていたのですが、「胃瘻(いろう)を付けた患者さんは、ホームではお引き受け出来ません」と言われていたから、決まっていた成り行きでした。和子は胃瘻から栄養剤を直接チューブで入れて、順調に体力を回復しています。札幌では胃瘻からの経腸栄養をやっているホームは幾らでもあるというから、介護保険という国が定めた法律で運営されている施設でも、地域によってこんな差があります。小樽にある他の特別養護老人ホームでも胃瘻はやっていないそうです。
 先の見通しが立たないままで、「この先どうなるのかなあ」と不安を抱えていたのですが、退院後の生活の場所が決まりました。札幌西高卒業の医師Yが経営するマンションに介護付きのフロアが昨年末完成し、和子はそこの第1号入居者になります。施設入所ではなく、介護付きのマンションに家賃を払って入居ですから、長年の夢だった在宅復帰です。Y医師には授業は教えなかったけれど、彼らの3年目が私の西高2年目で、双方記憶があります。同じマンションの別のフロアに医師・ナース・ヘルパーが住んでいます。緊急呼び出しシステムが付いていて、基本的には24時間対応してくれます。
 情報は、そのマンションの隣のマンションに住む1期上の医師からもたらされました。教え子とはとても言えない、廊下ですれ違っただけの卒業生も含めて、たくさんの不思議な縁に支えられて、札幌での新しい生活の準備を始めています。
 私と和子は約32平方メートルの2室の部分を選びました。小樽で8年余り住み、ずいぶん増えてしまった荷物を短期間で全部整理することは不可能で、取りあえず2室だけ荷物を置く部屋を残し、他の部分を借りてくださるお話もあります。和子が住みやすい様に段差を除き、トイレ・浴室に手すりも付けてあるので、和子が戻れれば良かったのですが、医師の往診区域外というこの山の中のマンションに住むことは、病気が進んだ和子には無理です。
 病院で経腸栄養も習いました。一緒に住むことになれば、基本的に私がやることになります。教え子の主治医曰く「理科の実験より簡単です」と。いまのところ痰もからむので、ポータブルの吸引機が手に入れば、これもナースか私がやります。嚥下障害は直っていないので、ナースによる嚥下リハビリを受けながら、口から食べる楽しみの回復を待ちます。マンションは地下鉄円山公園駅徒歩5分という位置ですから、暖かくなったら毎日でも円山公園に行けるでしょう。
 引っ越しの準備をするために、病院に行くのを一日おきにして荷物を整理しています。家中和子の生活の思い出が残っていないものは無く、辛い作業ですが、何とか少しずつやっています。

 今日がテレビの放送開始50周年とかで、NHKは朝から大騒ぎです。明日は北海道特集を朝から夜までやるそうです。イラク情勢や北朝鮮情勢で世界中が緊迫しているときに、日本で唯一の公共放送が、そんなにはしゃいでいていいのかなあ、と私は気がかりです。50年の回顧より、いま何をどう報道するかが問われているのだと思います。ポートランドで勉強している教え子からメールがきました。

 先日17日金曜日に、ポートランドの片田舎で20,000人の反戦デモがありました。確か世界的にこの日はデモがあったはず。でも、札幌の10分の1くらいの街で20,000は壮観でした。同級生や私も反対署名にサインしてきました。

 先月28日には、「もんじゅ設置許可無効」という名古屋高裁金沢支部の判決が下りました。日本の原子力政策・エネルギー政策そのものが問われたこの判決も、一過性のニュースだけで終わってしまうのでしょうか。
 何を報道するかで、報道する側の姿勢が問われます。民放にだって同じ事は言えるけれど、看板が公共放送のNHKには、報道の姿勢とか倫理・規範がもっと求められるのではないかと私は思っています。「不作為の罪」という言葉もあります。
 毎日2回ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見ないけれど、何年かしたら地上波放送が無くなるそうだから、そのあたりがテレビの見納めかなあ、などと考えています。

 小樽の家から、冬も毎日山の上のホームに通うのは大変でした。そしてこの冬は、ひたすら札幌の病院通いです。寒いところに身をさらさないように注意しています。先の生活も見え始め、ストレスはないので、何とか心臓とも折り合っています。
 2月の末になったら、新しい住居での報告が書けるでしょう。

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