介護日記

 

 2002年8月9日
 長崎57回目の「原爆の日」に

 北海道はずっと雨と低温続きです。北海道付近に停滞している秋雨前線に、暖かい南の夏の高気圧と、冷たい北の秋の高気圧がぶつかっているためだということで、この1週間の日照時間は、平年比少ない所で20%台、雨量は600%を越える所もあるそうで、異常気象そのものです。農業王国北海道の、秋の収穫はどうなるのでしょうか。

 和子を連れての外出が無理なので、ひたすらホームの中で過ごしています。毎日気持ちが塞ぎそうな天気だけれど、和子は明るく朗らかです。精神的に安定しているからでしょう。そして、ホームの中の階段を使ってリハビリをやっています。
 希望していた一階の新館フロアの個室が空いて、先月末に引っ越しました。以前からホームの中をくまなく歩いていたので、スタッフも入所の方もほとんど顔見知りですが、私が行くまでの時間、自分だけの部屋でクラシックのCDをかけてもらって、機嫌良く過ごしています。

 今日は、長崎57回目の「原爆の日」です。私たちが何度も行った松山町の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれ、伊藤市長平和宣言を読み上げました。読み上げたというよりは、正面を見て(時々手元を見ながら)力強く宣言したという感じでした。
 市長はその中で、まず、 57年前の今日、投下された一発の原子爆弾が地上500メートルの上空で炸裂して長崎のまちが一瞬にして廃虚と化し、数千度の熱線と猛烈な爆風が、老人・女性・そして何の罪もない子どもたちにまでも襲いかかったこと、死者7万4000人、負傷者は7万5000人に及び、これまでに、多くの人々が放射線によって白血病やがんに蝕(むしば)まれて亡くなり、半世紀余りを経た今も、被爆者は健康に不安を抱え、死の恐怖におびえる日々を過ごしていることを訴えました。

 そして、米国政府がテロ対策の名の下にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約を一方的に破棄し、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否し、新しい世代の小型核兵器の開発、核による先制攻撃などの可能性を表明していることを、「国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行している」と名指しで非難しました。

 更に、5月の政府首脳による非核三原則見直し発言が、被爆地長崎の心を踏みにじったこと、我が国が唯一の被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ責務があること、そのためにも非核三原則を直ちに法制化すべきだと訴えました。

 小泉首相が立って、広島に続いて相変わらず官僚が書いた作文のような挨拶をしました。夜のニュースで、小泉氏が式典のあと市長の「平和宣言」に対する感想を記者から聞かれて、「市長個人の考えですから・・自由です」と言っているのを見てあきれました。
 この人がオペラや歌舞伎の愛好家だということも信じがたいです。人の意見に耳を傾けるとか、感動するとかという琴線を全く持たないかのような人を、日本人の大多数が支持して(首相公選制ではないにしても、去年の、あの支持率の高さ!)、日本の運命を託してきたことの重大さを思います。

 病気が進む和子を連れてヒロシマに行ったのが1995年、ナガサキに行ったのが翌年でした。何度目かの爆心地巡りだったけれど、進む病気と自分で闘いながらの日々だったと、いま現地でのあれこれを思い出しています。「どんどん進みます。覚悟してください」と東京の大病院の医師に宣告された数年後のことでした。

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