介護日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2002年6月28日 《 斜里行き・旅日記 第2部 》

第2日:6月11日(火)

10時00分: 勝山温泉出発。
置戸町鹿ノ子ダムに立ち寄る。
12時過ぎ: 訓子府町総合福祉センター「うらら」に到着。
昨夜の応援団のスタッフが笑顔で出迎えてくださる。
「うらら」の喫茶室「たんぽぽ」で休憩。この喫茶室は、訓子府町の「地域リハビリをすすめる会」の運営で、障害の人とボランティアが運営にかかわっている。「ほっとな仲間たち」もその中に加わっている。
斜里へ向けて出発。途中端野町の小公園で、コンビニで買ったおにぎりと、朝食の残りを食べる。
15時ごろ: 斜里町に到着、「北のアルプ美術館」を訪問。美術館と同じ敷地にある住宅に迎えられる。館長の山崎猛さんと、パートナーのOさん、浦河高校13期OBで斜里バス専務のK、夫人のTさんが集まってくれていた。
Kとは1週間前、箱根の同期会で別れたばかり。次の同期会は彼が現地幹事長として、この知床の地で開く。夫人のTさんは和子が赴任した年の1年生。習ったのは日本史(もちろん免許教科外)で、和子は後に「冷や汗ものだった」と話していた。私も浦河で免許教科外の数学を担当したが、大学で物理数学をしこたまやらされたのに、なぜ高校数学の免許証をくれないのか不思議だったけれど、音楽の免許で日本史をやらされた和子の困惑振りがわかる。でも田舎の小規模校は教師の数が少ないから、どうしてもこういうことが起きる。浦河高校には、一人で5教科という猛者がいたっけ。私は物理と地学と数学の3教科だった。
(「北のアルプ美術館」については次号で)
17時ごろ: 「北のアルプ美術館」と山崎さん宅を辞去、事務機の会社を経営し、写真家としても著名な山崎さんから、和子は美しい写真集『樹の歳時記』を贈られる。
そのあと、Sさんの案内で、和子の下宿があったところ、Sさんの自宅があったところなどを探すが、マチは様変わりして、ほとんど昔の面影はないという。
斜里高校に向かう。もちろん昔の木造校舎はなく、鉄筋の校舎が建っている。Sさんの話では、校舎の窓からグラウンドの向こうに斜里岳が秀麗な姿を見せていた、という景観は変わらないらしいが、その肝心の斜里岳は雲の中で、姿を見せてくれない。
この日も寒く、私は和子を車の中に置いたままで、「来たことにする」とするつもりだったが、Sさんは道路を渡って斜里高校の敷地に入り、校舎の中に消える。車を高校の駐車場に入れて和子を車椅子に移す。ややあって斜里高校の校長さんが出てきてくれて、親切に応対してくれる。
斜里岳は見えず、彼女の感性の記憶につながるのは土の匂いと、制服の高校生だけだろうけれど、寒さの中で和子の笑顔が輝く。
18時ごろ: 網走に向けて海岸線をひた走る。
19時すぎ: 予定より大幅に遅れて「網走 かんぽの宿」に到着。和子は疲れなど吹っ飛んだように、とても元気。HBCのスタッフと一緒に、大広間で会食。和子も入れて、笑い声が絶えない。「自分の手で食べられない」ことを除けば、「ほんとうに和子は病気なんだろうか」とさえ思えてくる。口に入れてさえやれば、みんなと同じ普通の食事を普通に食べる。

 

第3日:6月12日(水)

10時00分: 「網走 かんぽの宿」発
留辺蘂町役場でトイレタイム。
当初の予定に無くHBCのスタッフの知恵だったが、車椅子を押して入ると窓口の職員はにこやかで、木造の古い建物にあとから増設したらしい車椅子トイレは清潔で気持ちがいい。
タバコの匂いも全くない。「障害者に優しい町、車椅子トイレのある役場へ」とかキャッチコピーでコマーシャルすれば、それも町興しになるのでは、などと勝手なことをフト思う。
ここは「道の駅」のトイレよりはずっときれい。だって町職員の目の届くところにあるのだから。留辺蘂町役場に感謝!
留辺蘂から北上して 生田原(いくたはら)へ。
昼過ぎ: 生田原「ちゃちゃワールド」に到着。第3セクターの経営で、子どもの等身大のピノキオや、木造の人形がいっぱいある。
時間が無いのでそこは省略して、建物の半分ぐらいを占める藤城清治影絵美術館に入る。水面に映えて動くように見える影絵をぜひ和子さんに見せたい、とYさんの勧めで旅程に組み入れた。たくさんの影絵が下の水面に映えて美しい。和子は数年前まで近視用に老眼用が入ったバリラックスレンズのメガネを使っていた。その後、字を読むことも書くことも出来なくなって、今はしまい込んだままだが、この影絵が彼女の目にどう映っているのかわからない。でも車椅子を押して次の画面の前に行くと、その瞬間パッと目を輝かせているから、彼女なりに見えて、感動もしているのだろう。
われらの東京時代、甲府の教え子宅に招ばれて行ったとき、昇仙峡に遊んで、そこの藤城清治影絵美術館を見たときは感動していた。札幌時代の彼女は「暮らしの手帖」をずっと読んでいたので、その誌上で連載していたこの影絵の世界はおなじみだった。でも昇仙峡に行ったのは1993年の秋、もう9年近く前のことを和子は覚えてはいないだろう。
ここの駐車場でおにぎりを食べ、遠軽経由・往路と同じ国道333号線北見峠を通って旭川へ。
旭川のSさんを自宅まで送り、長旅の別れをつげる。
19時00分: Sさん宅出発。すっかり暗くなった夜道を札幌に向けてひた走る。札幌のHさん宅で車を乗り換え、Yさんに付き添われて小樽へ。
21時30分: ホームに帰着。
1500キロの長旅をこなして、和子は晴れ晴れとした顔。
寝る支度をしてベッドでおやすみ。

 取材で同行したHBC(北海道テレビ)の特集が、6月27日(木)のテレポート2000で放映されました。ニュースの時間帯の9分足らずの特集だから、今度の特集に入らなかった部分は多いけれど、丸瀬布のAさん宅、置戸勝山温泉の大歓迎会の様子、斜里高校では校長さんも出てきてくれて、笑顔いっぱいの和子の表情が印象的でした。
 このテレビ局は、このあともずっと取材を継続するそうです。

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