10時00分: |
勝山温泉出発。 置戸町鹿ノ子ダムに立ち寄る。 |
12時過ぎ: |
訓子府町総合福祉センター「うらら」に到着。
昨夜の応援団のスタッフが笑顔で出迎えてくださる。
「うらら」の喫茶室「たんぽぽ」で休憩。この喫茶室は、訓子府町の「地域リハビリをすすめる会」の運営で、障害の人とボランティアが運営にかかわっている。「ほっとな仲間たち」もその中に加わっている。
斜里へ向けて出発。途中端野町の小公園で、コンビニで買ったおにぎりと、朝食の残りを食べる。 |
15時ごろ: |
斜里町に到着、「北のアルプ美術館」を訪問。美術館と同じ敷地にある住宅に迎えられる。館長の山崎猛さんと、パートナーのOさん、浦河高校13期OBで斜里バス専務のK、夫人のTさんが集まってくれていた。
Kとは1週間前、箱根の同期会で別れたばかり。次の同期会は彼が現地幹事長として、この知床の地で開く。夫人のTさんは和子が赴任した年の1年生。習ったのは日本史(もちろん免許教科外)で、和子は後に「冷や汗ものだった」と話していた。私も浦河で免許教科外の数学を担当したが、大学で物理数学をしこたまやらされたのに、なぜ高校数学の免許証をくれないのか不思議だったけれど、音楽の免許で日本史をやらされた和子の困惑振りがわかる。でも田舎の小規模校は教師の数が少ないから、どうしてもこういうことが起きる。浦河高校には、一人で5教科という猛者がいたっけ。私は物理と地学と数学の3教科だった。
(「北のアルプ美術館」については次号で) |
17時ごろ: |
「北のアルプ美術館」と山崎さん宅を辞去、事務機の会社を経営し、写真家としても著名な山崎さんから、和子は美しい写真集『樹の歳時記』を贈られる。
そのあと、Sさんの案内で、和子の下宿があったところ、Sさんの自宅があったところなどを探すが、マチは様変わりして、ほとんど昔の面影はないという。
斜里高校に向かう。もちろん昔の木造校舎はなく、鉄筋の校舎が建っている。Sさんの話では、校舎の窓からグラウンドの向こうに斜里岳が秀麗な姿を見せていた、という景観は変わらないらしいが、その肝心の斜里岳は雲の中で、姿を見せてくれない。
この日も寒く、私は和子を車の中に置いたままで、「来たことにする」とするつもりだったが、Sさんは道路を渡って斜里高校の敷地に入り、校舎の中に消える。車を高校の駐車場に入れて和子を車椅子に移す。ややあって斜里高校の校長さんが出てきてくれて、親切に応対してくれる。
斜里岳は見えず、彼女の感性の記憶につながるのは土の匂いと、制服の高校生だけだろうけれど、寒さの中で和子の笑顔が輝く。 |
18時ごろ: |
網走に向けて海岸線をひた走る。 |
19時すぎ: |
予定より大幅に遅れて「網走 かんぽの宿」に到着。和子は疲れなど吹っ飛んだように、とても元気。HBCのスタッフと一緒に、大広間で会食。和子も入れて、笑い声が絶えない。「自分の手で食べられない」ことを除けば、「ほんとうに和子は病気なんだろうか」とさえ思えてくる。口に入れてさえやれば、みんなと同じ普通の食事を普通に食べる。 |
取材で同行したHBC(北海道テレビ)の特集が、6月27日(木)のテレポート2000で放映されました。ニュースの時間帯の9分足らずの特集だから、今度の特集に入らなかった部分は多いけれど、丸瀬布のAさん宅、置戸勝山温泉の大歓迎会の様子、斜里高校では校長さんも出てきてくれて、笑顔いっぱいの和子の表情が印象的でした。
このテレビ局は、このあともずっと取材を継続するそうです。