介護日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2002年6月24日《 斜里行き・旅日記 第1部 》

 2年前の6月、インターハイの全道登山大会で高校生たちと斜里岳に登った後、何とか和子に斜里岳を見せたいという想いがつのりました。

 病気は進むし、夢のような話だと諦めかけていたけれど、「和子さんのためなら何でもします」とまで仰言ってくださる「学童」の仲間のHさんが、「和子さん大丈夫よ、行きましょうよ」と言われるので、その気になりました。子どもが小学校に入学して「鍵っ子」になるので、親たちが共同で学童保育を作ったのが、もう30年余り前のことです。子どもたちは成人して、全国に散ったけれど、親たちの多くがまだ札幌に住んで、大半がリタイアして、また昔の付き合いの続きをやっています。
 その時の、うちの「学童」の指導員だったYさんは、今は札幌市学童保育連絡協議会という組織の事務局専従をしているけれど、お休みを取って一緒に行ってくれることになりました。私が初代の会長で、今年は会ができて満30年というから、もう四半世紀も過ぎたのかと、感慨もあります。20周年で親のOB・OG会をやったときは、和子の病気がわかる直前でした。

 札幌から数百キロ離れた最果ての斜里まで1日で行くのは無理だし、途中介助スペースのある車椅子トイレも必要だし、どんな経路をたどるか、どこで泊まるかも問題でした。
 知り合いの訓子府(くんねっぷ)町福祉保健課の保健師Tさんが強力な助っ人になってくれて、私たちのツアーの全行程、宿探しから車椅子トイレマップ、ルート選び、更には1泊目の置戸(おけと)町勝山温泉の歓迎大応援団結成まで、至れり尽くせりの応援をいただきました。
 訓子府町は北見市の隣町で、人口約6千人の農村です。2年半前の1999年12月、町が主催した介護講演会に講師として招かれて行きました。私のホームページが1月にアップして約1年、130人の町民の前で話しました。物理や数学の授業と違って、講演などというものは初めてだったけれど、私が1時間余り、福祉や介護の現場のインサイドリポートをしたあと、東京から招かれた地方自治研究のスペシャリストI氏の講演で締めくくって貰った感じでした。当時健康センターの保健婦長だったTさんがその講演会の仕掛け人でした。介護講演会は、1年間続いた介護教室の最後の催しだったようです。健康センターには6人の保健婦と1人の栄養士がいました。人口比率で言うと、小樽市の10倍の配置です。
 講演会が終わった後の歓迎会で、介護教室の受講者たち10名ほどのと健康センターの職員たちとお話ができました。介護教室は男性も参加できるように土曜日の夜だったのに、男性の参加はなかったそうです。年が明けて間もなく、「ほっとな仲間たち」という文集が送られてきました。その仲間たちで、ボランティアグループができた、と後に聞きました。
 訓子府からの大応援団は、その「ほっとな仲間たち」が中心でした。

 以下、第1日の行程と人との出会いです。

6月10日(月)

9時00分: 和子を乗せて、HBC(北海道放送)の取材の車と2台でホームを出発。
9時40分: Hさん宅到着、トイレタイム。
10時00分: スペースの大きいHさんの車に乗り換え、Yさんと合流して札幌北インターから高速道路に入る。
11時00分: 茶志内パーキングエリアでトイレタイム。
12時00分: 旭川鷹栖インターで高速道路から出る。料金所を出た所の左側でSさんと待ち合わせ。Sさんは和子の斜里時代、斜里高校の同僚で大先輩教師の夫人。編み物教室の先生で、和子はその夜間部の生徒。今回の斜里行きツアーの、斜里の町の案内役で同行してくださった。
13時30分: 上川町「北の森ガーデン」でトイレ・昼食。YさんとHさんがおにぎりを用意してきてくれたので、車中で食べる。上川の町を過ぎたところで国道333号に入り北見峠経由丸瀬布(まるせっぷ)へ。
15時30分: 丸瀬布のAさん宅到着。ご夫婦がにこやかに出迎えてくださる。和子とAさんはその編み物教室夜間部の生徒同士。Aさんは去年脳出血で入院して、今は夫の介護でリハビリ中という。和子とAさんは42年ぶりの対面。1時間余りお邪魔するが、和子とAさんとSさんは、まるで会話が成立しているように、大笑いしたりして不思議な情景。
16時30分: Aさん宅出発。遠軽(えんがる)・留辺蘂(るべしべ)経由。置戸町へ。
18時00分: 置戸町「勝山温泉ゆうゆコテージ」に到着。ここは温泉付きコテージが4棟あり、コテージを2棟借りてある。そのコテージの庭でバーベキューパーティー。訓子府町からの大応援団の先発隊は16時頃から到着して、準備にかかってくれていた由。応援団は「ほっとな仲間たち」6人、町の保健師4人、栄養士と在宅介護支援センターの看護師、センターの事務の方、それに旧知の福祉保健課長ご夫妻の総計15名。それに私たち5人とHBCスタッフの3人を加えて23人の大宴会となる。前日より十数度気温が下がり、強風が吹くなかで、和子はジャンパーを借りて、懐炉を背中につけてもらって、肉や海の幸や野菜をいっぱい食べさせてもらって、ご機嫌でした。私と同様丈夫な歯で、何でも食べる。週末の結婚の準備のため参加できなかった保健士Nさんのお父さんが、この夜のために、遠くオホーツクの興部(おこっぺ)町から、ホタテ・かに・いかとカレイの一夜干しを差し入れてくださる。
保健師の一人が用意してくれた歌詞カードを見ながら、『ふるさと』と知床旅情』をみんなで歌う。和子もそれにあわせて口を動かしている。
翌日の朝ご飯もセットしてもらって、その間に和子は温泉に入れてもらって、先にベッドで眠る。その寝顔の幸せそうだったこと。温泉に和子が入ったのは何年ぶりだろう。

 小樽に帰ったら、「ほっとな仲間たち」会長のKさんからEメールが届いていまし た。感動したので勝手にお許しをいただいて、その一部を転載させていただきます。

2年半前 介護教室で先生のお話をお聞きして 夫婦のあり方を考えさせられ人生観が変わりました。今年の総会では、みんなで和子さんのTV番組のビデオを観て話し合いました。本も買って読ませていただきました。私は、ずっと「和子さんにお会いしたい」と思っていましたので 今回和子さんにお会いして天使のような笑顔を見ることができてとてもうれしかったです。和子さんの笑顔には、癒しの力がありますね。私も元気を戴きました。

 こう書かれると照れくさいし、和子もそうだと思うけれど、「要介護5」の和子が人を楽しませていることは事実です。私は「夫(おっと)冥利に尽きる」と思っています。

 長くなるので、2日目以降は第2部で書きます。


 HBCが取材した旅の様子が、明日25日(火)の「テレポート2000」の中で、特集として放映されます。夕方6時18分から、このローカルニュースの時間帯なのですが、最初に映される「フラッシュ」と言われる予告が出れば、6時半前後からの放映は確かだそうです。北海道にお住まいの方で、お時間がありましたらご覧下さい。

(注) 「エア・ドゥ民事再生法申請」の特集のため放送延期となり、6月27日(木)に放送されました。

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