介護日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2002年6月21日

 先回のメールマガジンをお送りして、まる2ヶ月経ちます。

 本が出て、全国のたくさんの方たちから、感想のメールが寄せられ、とても忙しくしていたのも事実ですが、私自身も忙しい日程が続いていました。

 その最後が、和子を連れて斜里行き2泊3日のツアーでした。

 6月の10日から12日までの3日間、私たちにサポーター3人を加えて5人の車に、HBCの取材車も付き添い、1500キロの行程をこなして、(大部分わたしが運転しました)帰ってから、やっと1週間しか経っていません。たくさんの感動的な出会いがありました。

 この『旅日記』は、次号で書きます。

 例年より10日も早く桜が咲き、梅が咲き、ライラックが咲き、このあたりの初夏の花タニウツギも終わりました。例年ならまだ咲いている季節なのですが、いっぺんに初夏がやってきた感じです。

 でも、ここのところ少し低温が続いています。梅雨前線が北上して東北までくると、例年北海道も雨や曇りの日が多く、梅雨寒(つゆざむ)が続きます。私も和子も大好きな暑い夏は、それが終わってからです。

 5月3日が憲法記念日、5月15日が沖縄施政権返還満30年の日でした。

 例年こんな時は、私なりの感想やら想いを書いてきたのですが、今年は忙しいまま書かないで過ぎました。2ヶ月も書かなかったので、教え子から「先生、大丈夫ですか」と電話がありました。5月に25度を超える夏日が何日もあったのに、ここのところの低温で、心臓のアタックの気配も少しありますが、何とか折り合っています。

 浦河高校13期の同期会が平均4年ごとに開かれています。今年その学年が還暦を迎える記念に、東京組が幹事を引き受け、2年早く東京・箱根2泊の同期会がありました。

 6年前札幌で開かれた前々回の同期会に、和子を連れて参加しました。

 その頃和子はもちろん会話もできたし、歌も歌えました。何人かの元生徒とずっと文通があり、印刷した『介護日記』を送っていました。和子はまだ食事も自分でできたし、にこやかに会話もできたので、私は和子を教師たちの円テーブルに残して、元生徒たちの間を回っていました。女生徒たちの何人もから声をかけられました。「先生、『介護日記』読ませていただきました。感激しました」と。幹事のひとりが、私の『介護日記』のコピーをとって、みんなに回してくれていたのでした。「ご病気には見えませんねえ」とも言われました。東京で、「中期症状です。どんどん進みます」と医師から言われて4年後のことです。

 宴もたけなわになって、クラス毎に担任も引っぱり出して懐かしい歌を歌ったりしました。司会の元生徒が、「後藤先生が、奥様とご一緒に参加して下さっています。先生、何かご一緒に」と言って引っぱり出されたので、「朧(おぼろ)月夜」を二重唱しました。2次会で和子を連れてみんなの部屋も回って、1泊して無事に小樽に帰りました。幹事の一人が、わざわざ小樽の家まで送ってくれました。それは和子の病気が激しい混乱期にさしかかる少し前でした。

 100人余り出席している同期会で、かなりの生徒たちが私たちのことを知ってくれている、そんな安堵感がありました。私は彼らが卒業したあと転勤した美唄の高校で和子と出会ったので、ごく一部の生徒たちを除いて、和子とはもちろん初対面でした。

 郷里の岐阜に何年も行ってないし、旧友たちにも会いたくて、生徒の同期会の3日目、箱根で皆と別れて小田原に出て、岐阜まで行きました。1950年に岐阜電話局に就職した時の同期会と、数年前から毎年やっているという小学校のクラス会を私の日程に合わせてセットしてもらいました。

 電話局の方は何年か前にも出ているのですが、私の小学校のクラス会は卒業後満59年で、既に鬼籍に入っている級友が3分の1になることを、去年送ってもらった名簿で初めて知りました。

 卒業した昭和18年は太平洋戦争のまっただ中でした。戦争で死んだ級友はいないけれど、卒業後引っ越してしまった私は、戦後の混乱の中で「行方知れず」になっていたようで、「生きていたのか」という感じの驚きで迎えられました。小学校は男女1クラスずつで、入学から卒業まで同じクラスだったから、私たちが入学した昭和12年(1937年)から数えると、この春で満65年になります。今年から来年にかけて全員72歳になるので、戦乱と激動の時代を、私も含めて3分の2が生き残ってきた事の方が不思議でさえあります。

 滅多に行けない旅のついでなので、東京同期会の前夜、札幌西高山岳部の東京OB・OG会もやってもらって、4泊5日の旅を終えて帰りました。翌日ホームに行ったら、和子は私をちゃんと覚えてくれていたので、ホッとしました。

 和子はとても元気です。『旅日記』は続けて数日中に書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

介護日記目次   戻る   ホーム   進む