介護日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2002年3月23日

 私の著書、『和子 アルツハイマー病の妻と生きる』出版記念会が終わって3週間たちますが、まだその感動の余韻が消えないでいます。

 和子の安定した状態が続いていたので、共同学童保育時代の親仲間だった友人達に送り迎えを頼んで、一緒に参加しました。皆さんの拍手に迎えられて、私と友人に両手を少し支えられて、和子は正面の席まで自分の足で歩きました。

 ホームに入所してから、少しずつ体力が落ち、数ヶ月の車椅子生活まで経験したのですから、今の和子の回復振りは、ほんとうに夢のようです。

 会場で和子はずっと自分が主役であることを知っているみたいに、にこやかな笑みを絶やしませんでした。

 病気は確実に進んでいるのに、和子は「良くなっている」としか見えない回復振りを見せています。本の中に何度も触れましたが、“いのちの可能性”に感動しながら過ごした1年でした。

 たくさんの暖かい心のこもったスピーチを頂きました。お互い知らない方達が多いのに、「不思議な調和がありました」と後日書いてくれた旧友がありました。

 出来上がった原稿だけではなく、日々変化している“いのち”を書き綴ったものを入れて、それが1册の本になるという不思議な体験をしました。

 北海道新聞社から取材が入って、『チュー太と和子と生徒と アルツハイマー闘病記』というタイトルの記事が2日続けて全道版朝刊に連載になり、祝賀会当日の写真も掲載されました。

 チュー太という、生徒だけが知っていたニックネームが新聞に載るなどということは考えたこともありませんでした。でもこの病気がもはや珍しい病気でなく、本人も家族もそれで苦しんでいるという話があちこちから聞こえてくる昨今です。私と和子のささやかな体験が、そうした方達への励ましとなることが出来れば、本を作った目的は達せられます。

 本は和子の写真がたくさん載って、和子が発病してから描いた絵が装丁や口絵のカラ−ページに使われて、288ページもの素敵な本になりました。文字どおり、和子と私の合作です。

 返信用が注文書を兼ねた案内の往復葉書は、浦河高・札幌南高・札幌西高の教え子や、教えなかったOB・OGや友人達が、夜仕事が終わってからかけつけてくれて、千数百枚も発送されました。

 たくさんの方々からご注文を頂きましたが、先週最後の発起人会で封筒の宛名書きが終わり、やっと発送になりました。

 往復葉書の準備から発送、記念会、そして本の発送まで、全くのボランティアで力を尽くして下さった皆さんに、心から御礼申しあげます。教師を辞めて満14年になりますが、そんな方々の支えが無ければ、とても今まで生き得てこれなかったというのが実感だし、事実でもあります。

 HBC(北海道放送)という民放局テレビの取材を受け、14日夕方ニュースの時間帯に9分余りの特集が放映されました。「アルツハイマー病に対する世間の偏見・誤解を糺す一助になれば、というのが吾々の番組づくりの姿勢です」という記者の話を聞いて、密着取材を受けることにしました。ヤマハの和子の同僚だった方が北海道新聞の記事を見て、お見舞いしたいと連絡を下さいました。ちょうどテレビクルーの主治医取材が終わって打ち合わせにきたので、ご了解を得て撮影させてもらいました。

 日曜日で地下の会議室が空いていたので、そこでミニ音楽会をしました。キーボードを弾いて頂いて、私が発声練習していたとき、和子がそのメロディーを歌いました。横にいた私には聞こえなかったのですが、和子の上に差し出されていた指向性の強いガンマイクは和子が歌うメロディーをはっきり捉えていました。和子が長いメロディーを歌えなくなってから多分1年以上たちますから、これも彼女の“復活”を垣間見た新しい体験でした。

 新聞のテレビ欄の番組の短い解説に、「妻の記憶を残したい・・アルツハイマーの妻を10年介護し続ける夫が思うこと・・夫婦で歌う希望の歌は」と載りました。美容院でのヘアダイ、ホームの階段のリハビリ、パーティーで歩く和子、横殴りの吹雪の中のホームの正面風景、雪の中から顔を覗かせたフキノトウ、萎縮が進んだ和子のCT画像の前でコメントする主治医、そして最後がミニ音楽会。間にコマーシャルを入れないで、9分とは思えないほど中身が詰まった特集でした。

 苫小牧に住む浦河時代の教え子の元介護福祉士から、「テレビを見ました」と電話がありました。「“施設を利用者の側が選ぶ時代”になるんですから、こんな和子さんの生活が写っていて、施設の側にとっても良かったですね」と言いました。彼女は2年前、和子が車椅子生活だった時代にホームにきているので、“歩く要介護5”の和子の今の状態が信じがたい程だと言います。病を得て苫小牧の老健を辞めるまで現場にいた彼女の感想でした。吹雪のホーム正面を写した映像にホームの名前がテロップで流れていました。

 記者が書いた、私を紹介するナレーションの原稿にミスがあって、あとから抗議したのですが、それを除けば、世間の常識とは違って、アルツハイマー病でも病気が進行しても、“いのちが輝き続ける”、その「希望」が映し出された、いい作品になりました。

 『介護日記』が1册の本になる、という1年前は思いもしなかったことが実現して、マスコミの取材を受けたり、忙しい年の始まりでした。発起人の木原さんから、「先生、これからはもう本は一人歩きしますから覚悟して」と言われました。

 一昨日は雨と強風が吹いて、春の嵐でした。そして昨日は全道に大量の黄砂が降りました。東京は桜が満開だとか。春が近づくのは嬉しいけれど、やはり地球規模の循環系異常という気がしてなりません。

 今日は久しぶりに和子とブラームスの交響曲第1番を聴きました。私が室蘭単身赴任時代のFMの録音テープです。北ドイツ放送交響楽団の演奏で、指揮は今N響常任のシャルル・デュトワです。もう15年以上前だから、彼も若かっただろうな、などと考えながら聴きました。フランソワーズ・サガンの小説に『ブラームスはお好き』というのがありました。中身は忘れてしまったけれど、何か小説の雰囲気だけ記憶があります。和子と短い会話はできるけれど、こんな話はもちろん無理です。でも、もう贅沢は言いません。春はもう、そこまできているし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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