2001年8月15日 “新しい世紀”の最初の8月に

 札幌西高OB・OGによるベート−ヴェンの「第九」演奏会が昨夜終わりました。和子のピアノを練習会場の同窓会館に寄付して、1年間札幌まで練習に通ったという個人的な理由もあって、私は特別な思いで合唱に参加しました。私は大学の男声グリーの出身ですし、地方の高校に勤務していたとき、その地の混声合唱團で歌っていたこともあったのですが、ベート−ヴェンの第九は初めてでした。  全国から集まった4管編成規模のオーケストラ115名、合唱127名、ソリストも含めて、少数の賛助出演の方以外は全部この学校のOB・OGとその関係者だけで、壮大で感動的な舞台をつくりました。ソリストはプロだけど、指揮者は道職員のエンジニアです。私が西高にいた時代の生徒で、「1年かけてスコアを頭に叩き込みました」と語っていました。楽譜も見ないで指揮をする彼に申し訳ないので、私も何とか暗譜に近いところまで漕ぎ着けました。 声楽出身で合唱にも打ち込んでいた和子が、どんなに歌いたかっただろうと思いながら、ずっと2人分のつもりで歌いました。昨夜からの感動がまだ続き、一昼夜経ったいまも“歓喜のテーマ”が頭の中で鳴っています。

 そんな心ときめく“熱い8月”は終わりましたが、毎年巡ってくるこの8月のことを忘れたことはありません。8月6日はナガサキ、9日はヒロシマの原爆の日です。そして今日8月15日は、太平洋戦争が終わって満56年の日です。長崎と広島の平和式典で、市長が原爆死没者の慰霊碑の前で、核兵器廃絶と不戦の誓いを読み上げました。長崎でも広島でも、この1年間で亡くなったたくさんの原爆被災者の名前が死没者名簿に加えられました。遠く離れた北海道でも、この1年間に100名を超える原爆被災者の方たちが亡くなりました。北海道に来てからも、差別と偏見から身を守るために、被爆の事実を隠し通してきた方が少なくないと新聞で読み、この日本という社会の差別構造を思わないではいられません。ハンセン病もアルツハイマー病を含む精神障害も同じなんだと実感します。精神障害を伝染する病気とは世間は思わないけれど、荒れれる患者に対する、病院も肉親を含めての世間の対応も同じだったと、いま改めて思います。私たちは良き医師たちと巡り会えて幸運だったのですが、全国から飛び込んでくる見知らぬ方たちからのメールから、和子と同じ病気の患者さんたちが置かれている状況がよくわかります。

 長崎・広島の両式典に小泉首相が参加し、それと裏を返すように、8月13日に靖国参拝をしました。政教分離をうたった憲法違反は明白だし、まして、戦争を企てて、2000万人のアジアを中心とした犠牲者と、300万人の日本人犠牲者をだした張本人のA級戦犯が合祀されている神社にです。「死んだ人はむち打たない、死んだ人はみな神様になる、というのが日本人の感性だ」とか妙な理屈をつけて。  彼がどんな思想や主張を持とうと勝手だけど、一国の首相としてのこの行為に韓国や中国は強く抗議しています。日を2日ずらしたからと言って、言い訳にもなりません。こういう戦前の青年将校のようなアブナイ「確信」を持った人が空前の支持を集め、その党を選挙で大勝させた日本の将来はどうなるのだろうと、私は心を痛めています。

 先月末の週日の昼間、教え子が通っている札幌の手稲の教会で、パイプオルガンのコンサートがありました。「奥様もご一緒に」と誘われたので思い切って出かけました。私が話す言葉は和子に少し通じるけれど、彼女が発する言葉は殆ど意味不明で、それでも何とか話そうとするらしく、声もだします。コンサートの途中でも多分あるだろうとあらかじめ断って、牧師にも教会の人たちにも受け入れてもらって、出かけました。  結果は心配したほどのことはなく、時々「ハイ、ハイ」という独り言を発したりしたけれど、バッハからパーカッション付きのビートルズ・メドレーまで、1時間半の演奏を和子は楽しみました。ほとんど知っている曲だったから、時々手でリズムを取ったりしていました。  終わった後のティータイムにも招ばれて、皆さんから親切にされて上機嫌でした。音楽会は4年ぶりです。4年前に行った最後のコンサートは、両手で耳を塞いだし、札幌からの車中で立ち上がったりして、高速道路自体が危険になったので、コンサートはそれ以後断念しました。  先回彼女の“社会復帰”のことを書いたけれど、コンサートへの“社会復帰”も果たせたのだと思いました。この4年間で病気は遠慮なく進行したけれど、「要介護5」の患者が行けるコンサートがあってもいいのではないかと、この頃思います。

 ここのところ北海道は暑さが戻ってきて、ホームの部屋の中が30度を超す日もあるけれど、暑さに強い私たちには快適な夏です。毎日ダム湖に出かけて行って、残り少ない北海道の夏を楽しんでいます。夜になると涼しくなるし、快適な北海道の晩夏です。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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