2001年7月27日 

 本州各地は酷暑だそうで、快適な北海道の夏を満喫している私たちは、もったいないような気がします。

 息子の学童保育の時の親仲間たちが訪ねてくれました。その1人からメールが届きました。  「先日は、思いがけない和子さんの笑顔に触れ、回復という事があるのかと思ってしまいました。今までは、後藤さんへの笑顔は甘えがあり、私に見せてくれる笑顔は他人に対する笑顔でした。でも、このあいだは、〈 えっ! 私たちのこと、わかってるのじゃないか 〉と思ってしまうほどの対応でしたよね。  後藤さんの毎日の会話や音楽がよいのでしょうね」

 6月1日、美容院にヘアダイに行きました。その翌日から2週間のベッド生活という異常事態だったから、その日のことは忘れません。その時美容師さんが、和子の後頭部に2ヶ所「円形脱毛」があるのに気付き、そっと私に教えてくれました。「ストレスがあるんでしょうかねえ」と言われました。  和子がベッドから解放された直後に、3ヶ月に1回のケアプランの会議がありました。そこでその話を出しました。厚生省から抑制禁止の通達が出ていることは何度か聞いているけれど、和子が起きている間、私が行って一緒に過ごす以外の時間、彼女が食堂で大きいテレビの音や様々な生活騒音や、スタッフの大声に晒されている状態は、精神的な抑制そのものだと話しました。和子は安定している今でも、大きな音にはビクッと反応します。彼女の部屋がいま幸いに食堂から一番遠い場所にあるので、スタッフの目が届かない間、車椅子に安全ベルトをして過ごせるようにと提案しました。彼女はもう、突然立ち上がって転倒する心配は殆どないのですが、念のためにです。  食事以外の時間、同室の方3人はベッドにいらっしゃることが多いけれど、その方たちに邪魔でなければ、和子の枕元のラジカセで、クラシック音楽のテープをかけてくれるように頼みました。すべて私の提案通りになり、1ヶ月余り経ちました。私が毎日4時ごろに行くと、和子はいつもベッドのそばで、車椅子に安全ベルトをして、音楽を聴きながら静かに微笑んでいます。いま置いてあるテープは、グレン・グールドが弾くバッハとモーツアルト、アルゲリッチが弾くシューマン、そしてモンティヴェルディのミサ曲『聖母のための夕べの祈り』です。

 スタッフの大声は大型テレビの大きい音と完全に相乗効果で、明きらかに悪循環です。1階でテレビがほとんどついていない食堂は、介護のスタッフたちの声も静かです。和子の居る2階から1階に移られたスタッフが、「私も2階にいるときは、聞こえないので大声で怒鳴っていました」と仰言ってました。札幌などでここ数年来新しく出来たホームで、食堂(デイルーム)にテレビがなく、「テレビはベッド脇でイヤホンで聴くのがルール」という所も増えています。別室に大型プロジェクターを設置して、月に何回か名画鑑賞会をやっているところもあります。テレビは自分のベッドでイヤホンで聞くというのは、病院でも今や常識です。嫌煙権と嫌音権は今や日本でも常識だと思うけれど、この施設では、テレビが好きな一部の人のために、テレビの嫌いな人たちは我慢を強いられているのかと思います。

 今年はイタリアのオペラ作曲家ヴェルディの、没後100年の年です。そのヴェルディがミラノに創設した、老音楽家たちが暮らすホームの日々を伝えるドキュメント番組がが放送されました。ピアノを弾く元・ピアニスト、オペラのアリアを歌う元・プリマドンナ、その伴奏をする元・ピアニスト・・・。その國による文化の違いとはいえ、この小樽の施設が終の棲家になった和子の老後は辛いとつくづく思います。

 いつかホームのソーシャルワーカーと音楽療法の話をしたとき、彼女は「音楽療法などという高度なものは考えたことはありません。娯楽を提供しているだけですから」と言いました。“娯楽”という日本語は英語でば amusement だと思うけれど、クラシック音楽会に足を運び、CDに耳を傾ける人達は、娯楽というのとは少し違う精神的なものを求めているのだろうと思います。私たちがそんなに特殊な例だとは思えません。

 テレビのドキュメンタリー番組で、クラシックの生演奏を生活のメニューに取り入れて施設や病院のことも報じられています。演歌も童謡もクラシックもゴッチャにではなく、それぞれの人に合わせた選択メニューが必要だと思います。クラシックの音楽会に行くと、かなり高齢な方もいらっしゃいます。こんな方達が施設で老後を送ることになったら・・・と、フト思ってしまいます。

 気温は毎日25度前後になるので、快適だけど汗もかきます。ホームの入浴は週2回です。これは厚生省が決めた基準です。私は毎日シャワーを使っていて、昔に比べれば贅沢になったとは思うけれど、和子はそれが出来ないので、汗をかいた日は、自室で上半身を熱いタオルで拭いてやります。下着のシャツとTシャツとソックスは毎日取り替えて、家に持って帰って洗います。ホームで履いているのは運動靴なので2足を毎日取り替え、これも一週間に一回は家に持って帰って洗います。

 日本は地球温暖化・京都会議の議長国です。そのとき決まった『京都議定書』の批准をアメリカの新しいブッシュ政権が拒否しています。私は昭和ヒトケタの人間だから、エネルギー排出量を抑える為に、毎日のシャワーを1日おきにしろと言われれば、それもできます。涼しい北海道に住んでいるから言えるのではありません。クーラーなど存在しない時代に、「日本一暑い」と言われる岐阜で15年以上暮らしたのですから。シャワーを浴びなくても死ぬわけじゃないと思っています。  でも國から提供される介護の質が劣悪なために不平等が生じている、そしてそれが日本の繁栄を築いてきた高齢者にしわ寄せされている現状は許せないと思っています。

 次号の『介護日記』は8月15日の予定です。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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