2001年6月15日 

 小樽の初夏の花、タニウツギが咲き始めました。この花が咲く頃は毎年暖かくなって初夏の感じになるので、私は勝手に小樽の初夏の標準木と決めているのですが、今年は天候が不順で寒い日が続きます。札幌では昔から「札幌祭(6月15日)が終わるまでストーヴを外すな」と言われているのですが、今年はそのとおりになって、まだ小樽でもストーヴを焚いています。

 作曲家の團伊玖磨が北京で亡くなりました。まだ77歳でした。和子は彼が作曲した歌曲の『花の街』が好きでした。「七色の谷を越えて 流れて行く風のリボン 輪になって輪になって かけて行ったよ 春よ春よと かけて行ったよ」といつも歌っていました。去年亡くなった中田喜直作曲の『夏の思い出』も好きでした。両方とも江間章子の作詞です。美しい詩につけられた美しい曲が、一体となって子どもの頃(多分小学校高学年ぐらい)に彼女の脳裏に刻まれたのでしょう。何番もある歌詞を全部ソラで歌えました。ほんの1年前まではそうでした。去年の初め車椅子生活になり、夏頃からリハビリをして歩けるようにはなったけれど、その間に歌をきちんと歌えなくなりました。車の中でテープでかける歌に合わせて、口の中でメロディーらしいものが時々出てきます。1年前と比べると、それはもう歌と言えるようなものではないのだけれど、でも本人は歌っているつもりのようです。

 和子が風邪をひきました。熱が少し出て、外出できない日が2週間も続きました。熱は時々37度を少し越すだけで、胸部X線も尿検査の結果も異常はなかったのですが、「大事をとって部屋のベッドで」ということで、彼女は2週間寝たままでした。血色も良く、食事も普通食を全量たいららげて、とても元気なのですが、昨日やっとベッドの生活から解放されました。2週間振りに入浴もできて、髪も洗ってもらいました。入浴が出来なくても体は介護のスタッフが拭いてくれるけれど、頭がかゆそうで可哀想でした。  洗面台で下を向いて髪を洗うことが出来なくなったのは2年も前です。大脳から小脳への指令回路はとっくに壊れていたので、「目をつむって洗面化粧台で下を向く」という行為は、本人が不安になって出来なくなっていました。それからはずっと特別浴室で機械浴です。ストレッチャーに寝たままで浴槽に入いれるし、目をあけたままで頭もそのまま洗えるので、以前家にいた頃より本人はずっと安心でしょう。この冬、ホームでインフルエンザにかかった方はなかったようですが、ここのところの天候不順のせいか、風邪が流行っています。

 今日は6月15日です。和子が2年前特別養護老人ホームに入所した日です。2年の間にいろいろなことがありました。入所までは毎週末ショートステイを利用し、ショートとショートの間は毎日デイサービスを利用しながらの在宅生活でした。それでも足腰は丈夫だったし、デイサービスから帰ると毎日家の周りを1時間も歩きました。マンションは急な坂の上に建っているので、玄関から歩けば必ず坂を下りて、また上らなければ家に帰れません。 2年前、ホームのショートステイのベッドが足りなくなって、入所という選択をせざるを得なかったのですが、バリアーフリーのホームでの生活で、和子の足腰はやはり弱くなりました。家の玄関からいつ飛び出すか判らない不安はなくなり、ホームで必要な介護と内科的な医療を受けての2年間でした。車椅子の生活だけで全く歩けなかった時期もあったのですが、リハビリの結果歩けるようになって、間もなく1年です。  でも病気は遠慮なく進行しました。去年4月介護保険が実施になり、最初から和子は「要介護5」でした。この病気の進行そのものはくい止められないけれど、彼女はまだ64歳だし、笑顔はいっぱいあるし、元気で一緒に生きて行こうと思っています。

 1年前和子が数ヶ月車椅子生活になったあと、出来れば在宅復帰させたいとリハビリのメニューを注文して、歩けるようにはなったけれど、マンションの玄関にある数段の段差は、ホームに1年暮らした後の和子には、もう越えられないバリアーになってしまいました。このマンションの地域が小樽の開業医の往診区域外である状況も、入所前と変わりません。この病気になって、在宅で暮らすことの大変さを改めて思います。

 2週間外に連れては行けなかったけれど、和子のベッドの脇で、ラジカセやCDで音楽を楽しみました。モーツアルトのリートをかけると、やはり少し口ずさんでいます。食事以外はベッドに寝たきりの同室の3人の方は、食事の時は食堂に移動されるので、私と和子だけの貴重な音楽空間になりました。

 彼女がベッド生活の間に私は札幌の高校登山大会にゲスト参加して羊蹄山に登り(雨で途中で下山したのですが)、その翌週は恒例の浦河高校山岳部OB・OG登山で日高のアポイ岳に登りました。アポイ岳は中腹から上はガスと強風でしたが、60歳に近いOB・OGと私と全員登りきりました。去年も同時期だったのですが、去年に比べて花は少く、まだ咲き始めたところという感じでした。この冬は低温が続き、春にかけても寒い日が多かったからなのでしょう。私も春先になって何度か胸のアタックがありましたが、ニトロで何とか治まりました。

 和子は私のことがまだ判ります。山に行って2、3日留守にすると、覚えていてくれるかどうか心配になりますが、今のところは大丈夫です。でも病気が進むと、「いつかは・・」とはいつも思います。しかし心配しても仕方がないので、和子の笑顔を楽しみに毎日会いに行って数時間過ごしています。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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