2001年5月3日 憲法記念日

 氷に閉ざされたダム湖が、去年より半月も早く「湖(うみ)明け」を迎えました。今は雪融け水を一杯溜めて、湖畔の道路から青々とした湖面が見下ろせます。ダムの吐水口からは水がほとばしっています。桜も咲き始めました。連休明けには春が満開になるでしょう。

 ダム湖園地の雪が融けてきたので、和子を連れて園地のスロープを歩き始めました。ほぼ半年ぶりです。まだ風が冷たく、ダム下の電光掲示板の温度計が10度を越える日は殆どないのですが、歩行距離を少しずつ伸ばしています。スロープを下がったり上がったりしながら、いちばん短いコースを1周すると一千歩程になります。半年間スロープのないバリアーフリーのホームの廊下を歩いていただけなので心配していたのですが、緩やかなスロープは大丈夫のようです。まだ体のバランスは良くないのですが、何とか元に戻るだろうかと願っています。でも手すりのない園地の階段の上り下りが再び出来るようになるか心許ない感じです。今日は暖かく、1500歩まで歩行距離を伸ばしました。 でも1年前の今頃は、和子はオムツと車椅子の生活で全く歩けなかったのですから、去年の夏から秋にかけての彼女の回復振りは、奇蹟を見る思いがあります。

 園地のスロープを歩いていると、小さい子ども連れの家族と出会ったりします。和子は子どもを見ると大喜びで何か言います。その子のお母さんが笑顔で和子に声をかけてくれますが、和子の返事は意味不明なので怪訝な顔をされたりします。和子は一見したところでは全く病気には見えません。まさか通りがかりの方に「重度のアルツハイマー病です」と説明するわけにもいきません。 人の多い休日は片手で和子の手を引きながら、片手で車椅子を押して歩きます。そうすれば相手の方は何か察して下さるようです。車椅子は和子が疲れたとき座らせるために押して歩くのですが、病気の和子のダミーでもあります。 子犬がいて和子にじゃれついたりすると、それはもう素敵な時間です。犬は和子を病気とは認識しないだろうから、それこそ心のバリアーフリーです。

 和子のホームの関連施設から出張してきた理学療法士が和子の状態の評価をしてくれたと、ケアプランの会議で聞きました。「階段の歩行は危険なので、廊下の歩行を」ということしでしたが、山登りをする私の長年の経験では、平地の歩行と、階段やスロープの上がり下りは全く違います。平地だけを歩いていれば危険は少ないのかも知れないけれど、その「安全」と「体力の後退化」は多分同時並行です。そしてそのバリアーに抵抗して歩くことが、脳の活性化を促しているのでは? というひそかな思いもあります。でも外出届を書いて屋外に連れていけば、あとは私の責任でやることなので、また冬までの半年間、和子と歩きながら雄大な景色を楽しもうと思っています。

 今年も大きなタケノコを買いました。灰汁抜き用の米糠が付いてきます。孟宗竹は北海道には生えないので、本州から運ばれてきたものです。冷蔵コンテナーで運ばれてくるのか、この頃は鮮度のいいものが手に入ります。タケノコご飯と若竹汁と若竹煮は、年に1度の季節の味わいで欠かせません。レトルトの水煮では味わえない春の香りです。和子は一昨年の6月にホームに入ったので、去年から私一人で食べています。でもタケノコご飯をお握りにして、持っていって食べさせようと思っています。

 今日は55回目の憲法記念日です。空前の支持率を得たという新内閣から改憲の声が聞こえてくるけれど、私はこの憲法のお陰で大戦後の56年間、日本の平和と我々の命が守られてきたのだと信じています。もはや自分を表現できなくなった和子も、そう思っているという確信があります。

 「諸国民との協和による成果と、わが國全土にわたって自由のもたらす  恵沢を確保し、・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、・・」                        日本国憲法・前文

 「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が、調査官の修正意見を入れて検定を通りました。でも韓国政府も中国政府も全く納得していません。おまけに今度は小中学校の教科書採択の過程から現場の教師を排除する動きが全国に拡がっています。こんなことは私の長い教師歴でも初めてです。高校の場合、教科書を決めるのは現場の教師でした。授業をやらない管理職やお役人や第3者が決めることなど、あり得ませんでした。戦後国定教科書が廃止されてから、ずっとそうだったのではないかと思っています。現場の教師を教科書採択の過程から排除したり、職務命令を出して日の丸・君が代を無理矢理に学校に導入する教育委員会のお役人達は、憲法や教育基本法を読んだことがあるのか疑わしくなります。

 「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、・・」 憲法第15条   「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育    成を期するとともに、・・」          教育基本法・前文

 どう考えても、権力を振りかざすお役人は「全体の奉仕者」というイメージとはつながりません。  民主主義の國なんだから、改憲論議をする自由はもちろんあるけれど、今は現行憲法が國の最高法規として生きているのです。教育長などという人達は「法治国家だから」とすぐ言うけれど、その法治国家の最高法規が日本日本国憲法だということ、そして教育の最高法規が教育基本法だということをご存知無いのかとさえ思えてきます。

 憲法記念日の今日、日本の各地で記念集会が開かれています。小樽に来てからは和子との生活が手一杯で、そんな集会に出ることもなくなったけれど、やはり毎年思いを新たにする日です。戦争の生き残りでもある我々の世代は、「憲法を眸のように大切にしてきた」という思いがあるのです。

 FM放送で、スイス・ロマンド管弦楽団が演奏するサンサーンスの交響曲第3番を聴きました。オルガンにピアノまで登場するきらびやかな曲です。子ども達にも大人気だったアメリカ映画の『ベイブ』の中で、ずっとテーマ曲として流れていた曲です。牧羊犬ならぬ牧羊ブタが言葉を話すという、荒唐無稽だけど、しかしとても心温まる映画でした。和子が隣で大笑いしていたのがつい去年のことのようにも思えます。あれからもう5年も経ちます。和子の病気が判ってから一緒に過ごした日々は、忘れ難く記憶から離れません。

 そして、今日は去年亡くなった作曲家・中田喜直の「水芭蕉忌」です。江間章子作詞・中田喜直作曲の有名な『夏の思い出』にちなんだのでしょう。中田喜直は美しい合唱曲の他に、たくさんの歌曲や童謡を残しました。和子はその何十もの曲を、歌詞も見ないで歌えました。中田喜直や山田耕筰の曲が大好きでした。大学で日本の歌曲を習った様子はないので、全部和子が自分で覚えたのでしょう。  いま手許に『日本名歌百曲集』という、すっかり酸化して黄ばんだ楽譜集があります。これは私が初任地の浦河高校時代、歌い込んだ楽譜です。音楽室のピアノを借りて指1本で音取りをしながら、懸命に覚えました。B5版240ページ・定価300円という、もう40数年前の楽譜です。冬の朝、まだ用務員さんがストーヴの火を入れにくる前の時間、かじかんだ手でバイエルやこの楽譜と格闘していた日々でした。5年後美唄に転勤して和子と出会いました。

 私が大学の男声グリーにいた頃、仙台で全日本合唱コンクールが開かれました。大学の部の北海道代表の一員として仙台に行き、当時レジャーセンターと言われていたホールの舞台に立ちました。自由曲で、堀口大学作詞・清水修作曲の男声合唱組曲『月光とピエロ』から何曲かを歌いました。和子と出会ったとき時その話をしたら、彼女はその頃高校の合唱部にいて、顧問の先生に連れられてそのコンクールを聴きにきていたといううのです。そして私たちが歌った『月光とピエロ』をはっきり覚えていると言いました。その時はただの同僚だったし、後に生活を共にする見込みなどなかった頃でしたが、いま彼女が病気になって、私がひたすら合唱に打ち込んでいるのも奇しき因縁なのかも知れません。和子が愛用したピアノで練習を続けている札幌西高OB・OGによるベートーヴェンの第九の演奏会が3ヶ月後に迫りました。私は西高のOBではないけれど、元教師の一人としてその一員に加えてもらって歌います。今まで何十回も聴いたたこの曲の、シラーの『歓喜に寄す』という原詩とベートーヴェンの曲に改めて感動しながら、何とか練習についていこうと励んでいます。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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